まざあ・ぐうす

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まざあ・ぐうす
北原白秋訳

日本の子供たちに

はしがき

 お母さんがちょうのマザア・グウスはきれいな青い空の上に住んでいて、
大きな美しいがちょうの背中にのってその空を翔かけったり、
月の世界の人たちのつい近くをひょうひょうと
雪のようにあかるくとんでいるのだそうです。

マザア・グウスのおばあさんがそのがちょうの白い羽根をむしると、
その羽根がやはり雪のようにひらひらと、地の上に舞もうてきて、
おちる、すぐにその一つ一つが白い紙になって、
その紙には子供たちのなによりよろこぶ子供のお唄が書いてあるので、
イギリスの子供たちのお母さんがたはこれを子供たちに
いつも読んできかしてくだすったのだそうです。

いまでもそうだろうと思います。

それでそのお話をお母さんからうかがったり、
そのお唄を夢のようにうたっていただいたりするイギリスの子供たちは、
どんなにあの金きんの卵をうむがちょうや、
マザア・グウスのおばあさんをしたわしく思うかわかりません。

 ですが、ほんとうをいえば、そのマザア・グウスは
やはりわたくしたちと同じこの世界に住んでいた人でした。

べつにお月さまのお隣の空にいた人ではありません。

子供がすきな、そうして、ちょうどあのがちょうが金きんの卵でも
うむように、ぼっとりぼっとりとこの御本の中にあるような
美しい子供のお唄を子供たちの間におとしてゆかれたのでした。

ありがたいお母さんがちょうではありませんか。

 そのグウスというおばあさんはいまから二百年ばかり前に、
その当時英国の植民地であった北アメリカにうまれたかたでした。

そのおばあさんに一人のちっちゃなまご息子むすこがありました。
おばあさんはそのまご息子がかわゆくてならなかったものですから、
その子をよろこばせるためにその子のよろこぶような、
そうしてその子の罪のない美しいお夢を
まだまだかわいいきれいな深みのあるものにしてやりたいのでした。

それでいろいろなおもしろいお唄をしぜんと自分でつくりだすようになりました。

やっぱりその子がかわいかったのですね。
 

 それも初めはただなんということなしに節をつけておはなししたり、
うたったりしたものでしょうが、そうしたものはどうしても忘れやすいものですから、
また覚え書きに書きとめておくようになりました。

そうなるとまた、そうして書きとめておいたのが
一つふえ二つふえしていつかしら一冊の御本にまとまるようになったのでしょう。

 そのおばあさんの養子にトオマス・フリイトという人がありました。

この人は印刷屋さんでした。で、そのお母さんが自分の息子のために
うたってくだすった、そうしたありがたいお唄を刷すって、
自分の息子ばかりでなく、ほかのたくさんの子供たちを
よろこばしてやりたいと思ったのでした。

それでこのマザア・グウスの童謡の御本がはじめて刷られて、
ひろく世間によまれるようになりました。

それは西洋暦の千七百十九年という年で、
時のイギリスの王さまはジョウジ一世ともうされるおかたでした。

 で、このマザア・グウスの童謡はずいぶんと古いものです。

古いものですけれど、いつまでたっても新しい。

ほんとにいいものはいつまでたっても昔のままに新しいものです。

考えてみてもその御本がでてから、イギリスの子供たちは
どんなにしあわせになったかわかりません。

その子供たちがおとなになり、またつぎからつぎにかわいい子供たちが
うまれてきて、またつぎからつぎにこのお母さんがちょうの
ねんねこ唄をうたって大きくなってゆくのです。

それにこの御本がでてからしあわせにされたのは
そのイギリスの子供ばかりではありません。

イギリスのことばをつかっている国々の子供はむろんのことですが、
世界じゅうのいろいろな国のことばに訳されていますので、
そうした国々の子供たちもみんなしあわせにされているはずです。

それにいろいろ作曲されて、ずいぶんひろくうたわれているようです。
ですから、赤いくちばしと赤い水かきとをもったがちょうのおばあさんが
おいすに腰かけて、おなじような赤いちっちゃなくちばしと
赤いちっちゃな水かきとをもったちっちゃながちょうをおひざにのっけて、
赤い御本をひらいている画えのついた表紙のや、
三角帽さんかくぼうのリボンに鵞がペンをさしたおばあさんが
テエブルの前に腰をかけて、なにか書いていると、
そのそばから大きながちょうがくちばしをあけて、
針の頭のように眼めをちっちゃくしてのぞきこんでいる画のや、
がちょうとおばあさんが空を翔かけているのや、
緑色みどりいろの牧草まきぐさの中に金の卵をおとしている白いめんどりの
がちょうのや、いろんな本がでています。

 日本ではこのわたしのが初めてです。

日本の子供たちのために、わたしはこのお母さんがちょうを
日本の空の上にきてもらいました。

そうして空からひらひらとその唄のついたがちょうの羽根をちらしてもらったのでした。

その羽根にかいてある字はイギリスの字ですから、
わたしは桃色のお月さまの光でひとつひとつすかしてみて、
それを日本のことばになおして、
あなたがた、日本のかわいい子供たちにうたってあげるのです。

そしてみんなうたえるようにうたいながら
書きなおしたのですからみんなうたえます。

うたってごらんなさい。ずいぶんおもしろいから。

 その童謡の中には、青い萌黄色もえぎいろの月の夜よのお月さまを
とびこえるめうしのダンスや、
紅あかい胸のこまどりが死んで白嘴しらはしがらすがお経をよむのや、
王さまの前のパイのお皿からうたいだす二十四匹の黒つぐみや、
「パンにおせんべい」とうなるロンドンのお寺の鐘や、
おうちが大火事でプッジングのおなべの下にもぐりこむてんとうむしのむすめや、
赤いにしんにのまれるくろんぼうの子供や、
かごにのって青天井あおてんじょうのすすはきしにお月さまより高くのぼるおばあさん、
おくつの中に子供をどっさりいれてしまつにこまるおばあさん、
挽割麦ひきわりむぎを三斤さんぎんぬすんでお菓子をこさえる王さまや、
拇指おやゆびよりもちいさな豆つぶのだんなさま、
赤いおわんにのって海へでるおりこうさん、
気ちがいうまにのってめちゃくちゃにかけてゆく気ちがいの親子、
そうした、それはもうどんなに不思議で美しくて、
おかしくて、ばかばかしくて、おもしろくて、
なさけなくて、おこりたくて、わらいたくて、
うたいたくなるか、ほんとにゆっくりとよんで、
そうしてあなたがたも今までよりもずっとかわった
お月夜の空や朝焼け夕焼けの色どりを心にとめて、
いつも美しいあなたがたのお夢を深めてくださるよう。

そうならわたしはどんなにうれしいかわかりません。

 この本の中の童謡はおもにそのマザア・グウスから訳したのですが、
そのほかにもイギリスやアメリカの子供のうたっているので違ったのが
たくさんつけたしてあります。

いろんな指あそびや、顔あそび、めくら鬼、
はしご段あそびなど、日本のとちがった遊戯唄をおしまいのほうにのせてみました。

皆さんでひとつやってくださるとうれしいと思います。

 これからもまだいろんなものを皆さんのために書いてお贈りしたいと思っていますが、
わたしもこれからほんとに念をいれて、がちょうが金の卵をうみ落とすように、
ほんとにいい童謡をぽつりぽつりと落としてゆきたいと思います。

 では、どうぞ、この本の初めにあるその金の卵の歌からよんでいってください。

するときっとがちょうがあなたがたを背中にのせて、
高い高いお月さまのそばまで翔かけてゆくでしょう。

大正十年九月
木兎みみずくの家にて
白秋しるす

序詩

マザア・グウスの歌

マザア・グウスのおばあさん、
いつもであるくそのときは、
きれいながちょうの背にのって、
空をひょうひょう翔かけてゆく。

マザア・グウスのすむ家いえは、
一つ、ちんまり、森の中、
戸口にゃ一羽の梟ごろすけが
みはりするのでたっている。

むすこがひとりで名はジャック、
その子まずまずお人よし、
ずんとよいことせぬ代わり、
ずるいわるさもようしえぬ。

市場いちばへジャックをやったれば、
めすのがちょうを買ってくる、
「まあまあ、お母さん、みておいで、
そのうちいいこともあるでしょよ」

それからがちょうのめすとおす
なかよしこよしであそんでる。
いつもいっしょに餌えをたべて、
ガアガア、お池におよいでる。

ある朝、ジャックがいってみりゃ、
(ほんに話によくきいた)
金の卵がありまする。
うんでくれたはめすがちょう。

金の卵だ、はよ告つげよ、
ジャックはお母さんへとんでゆく。
お母さんもほくほくごきげんだ。
「それはよかった、おおできじゃ」

ジャックは卵をうりにでる。
それをかおうと猶太人ジュウの悪者わる、
おもう半値もつけないで、
うまうまジャックをちょろまかす。

ジャックはお嫁とりにゆきまする。
むこうのおじょうさん華美はで好きで、
それはかわいい、うつくしい、
花の山査子さんざし、百合ゆりみたよう。

ところへ、あとからつけまわす
猶太人ジュウとおしゃれのおべっか屋、
脇腹わきばらめがけて、ぶってやろと、
かわいそなジャックにつっかかる。

そのときすばやく、すっときたは、
マザア・グウスのおばあさん、
杖つえでジャックをちょいと打ちゃ、
道化の*ハアレクインにはやがわり。

つづいて、おばあさんが杖あげて、
きれいなおじょうさんをちょいと打ちゃ、
すぐにその子もはやがわり、
それこそかわいい**コランバイン。

金の卵は海の中、
どさくさまぎれにほうられる。
だけど、ジャックがとびこんで、
またももとへととりかえす。

それで、めすがちょうとった猶太人ジュウのやつ、
ころしちまえといきまいた、
割さいて、こいつを売っとばしゃ、
ポケットにたんまり金もうけ。

ジャックのお母さんは、それみると、
すぐにがちょうをひったくり、
そして、その背にうちのって、
お月さまめがけてとんでいった。

 * ハアレクイン。道化芝居しばいの男役です。
** コランバイン。これは女役です。

まざあ・ぐうす

こまどりのお葬式ともらい

「だァれがころした、こまどりのおすを」
「そォれはわたしよ」すずめがこういった。
「わたしの弓で、わたしの矢羽やばで、
わたしがころした、こまどりのおすを」

「だァれがみつけた、しんだのをみつけた」
「そォれはわたしよ」あおばえがそういった。
「わたしの眼々めめで、ちいさな眼々で、
わたしがみつけた、その死骸しがいみつけた」

「だァれがとったぞ、その血をとったぞ」
「そォれはわたしよ」魚さかながそういった。
「わたしの皿に、ちいさな皿に、
わたしがとったよ、その血をとったよ」

「だアれがつくる、経帷子きょうかたびらをつくる」
「そォれはわたしよ」かぶとむしがそういった。
「わたしの糸で、わたしの針で、
わたしがつくろ、経帷子をつくろ」

「だァれがしるす、戒名かいみょうをしるす」
「そォれはわたしよ」ひばりがそういった。
「あかるいならば、くれないならば、
わたしがしるそ、戒名をしるそ」

「だァれがたつか、お葬式ともらいにたつか」
「そォれはわたしよ」おはとがそういった。
「葬ともらってやろよ、かわいそなものを、
わたしがたとうよ、お葬式にたとうよ」

「だァれがほるか、お墓の穴を」
「そォれはわたしよ」ふくろがそういった。
「わたしの鏝こてで、ちいさな鏝で、
わたしがほろよ、お墓の穴を」

「だァれがなるぞ、お坊ぼうさんになるぞ」
「そォれはわたしよ」白嘴しらはしがらすがそういった。
「経本きょうほんもって、小本こほんをもって、
わたしがなろぞ、お坊さんになろぞ」

「だァれがならす、お鐘をならす」
「そォれはわたしよ」おうしがこういった。
「わたしはひける、力がござる、
わたしがならそ、お鐘をならそ」

空そォらの上からみんなの小鳥が、
ためいきついたりすすりなきしたり、
みんなみんなきいた、なりだす鐘を、
かわいそなこまどりのお葬式ともらいの鐘を。

お月夜

へっこら、ひょっこら、へっこらしょ。
ねこが胡弓こきゅうひいた、
めうしがお月さまとびこえた、
こいぬがそれみてわらいだす、
お皿がおさじをおっかけた。
へっこら、ひょっこら、へっこらしょ。
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天竺てんじくねずみのちびすけ

天竺てんじくねずみのちびすけは、
ちびだからふとっちゃいなかった。
いつもあんよでおあるきで、
たべるときゃ断食だんじきゃいたさない。

さてそこらからかけてでりゃ、
けっしてそこにはもういない。
きけば、かけてるそのときは、
どっちみちじっとしちゃいないそだ。

キイキイなくのは常々ふんだんだ、めちゃくちゃあばれもたまたまだ。
それがさわいでわめくときゃ、けっしてだまっちゃいなかった。
たとえねこからおそわらなくとも、
はつかねずみがただのねずみでないのは御承知だ。

ところでたしかなうわさだが、
ある日、ひょっくり気がふれて、奇態な死に方した話。
とても勘かんのいい、金棒引かなぼうひきの人たちは、
きゃつめおっ死ちんだで、いきてるわけないぞといっている。

木のぼりのおさる

木のぼりのおさるさん、
おちたときゃ、そのときゃおちていた。

石いィしの上うゥえのつんがらす、
飛たったときゃ、そこらにゃ影もない。

りんごかじりの婆ばばおかみ、
二つたべたときゃ、一対たべていた。

水車場すいしゃばがよいの小荷駄こにだうま、
てくるときゃ、じっとたっちゃいなかった。

拇指おやゆびちょんぎったうしころし、
けがしたそのときゃ、血をだした。

かけっこしてゆくお供ォともさん、
はやがけするときゃ、かけあしだ。

おくつそそくるくつなおし、
つくろっちゃったそのときゃ、しあげてた。

ろうそくつくるがろうそく屋、
型からひっぱいだときゃ、手にもってた。

スペインさしていった艦隊かァんたい、
かえったときゃ、またぞろやってきてた。

くるみ

ちいさな緑のお家うちがひとつ。
ちいさな緑のお家の中に、
ちいさな金茶のお家がひとつ。
ちいさな金茶のお家の中に、
ちいさな黄色いお家がひとつ。
ちいさな黄色いお家の中に、
ちいさな白しィろいお家がひとつ。
ちいさな白しィろいお家の中に、
ちいさな心ハアトがただひィとつ。

ボンベイのふとっちょ

ひとりふとっちょがボンベイにござった。
ある日、日なたでたばこのんでござった。
そこへ、ついときたはしぎという小鳥よ、
パイプひっさらってまたふいととんじまう。
そこでじれました、ボンベイのふとっちょ。

六ペンスの歌

うたえうたえ、六ペンスの歌を。
衣嚢かくしにゃごほうびの麦がある。
二十四匹にじゅうしひきの黒つぐみ、
焙ほうじこまれて、パイの中。

パイがはがれたそのときに、
すぐに小鳥がうたいだす。
もともと王さまにそなえます
きれいなお皿じゃ、そりゃないか。

  『王さまは会計院で、
   お金の御勘定かんじょう。

   おきさきゃお居間で、
   パンと蜜みつをめしあがり。

   女中さんはお庭で、
   衣裳いしょうをせっせとほしている。

   そこへ小鳥が一羽とんでまいって、
   つんとはじきました、女中さんのお鼻』

一時

いっちく、たっちく、おうやおや。
ねずみが時計をかけあがる。
柱時計がチーンとうつ。
ねずみがすたこらかけおりる。
いっちく、たっちく、おうやおや。
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お乳のよに白い大理石の壁に、
絹きぬの柔軟しなしたうすい膜かわつけて、
すいて凝こごった泉の中に
金のりんごがみえまする。
そのお城に戸一つないので、
どろぼうどもまでわりこんで金のりんごをぬすみだす。

朝焼け夕焼け

朝焼け小焼け、
ひつじかいの気がかり。
夕焼け小焼け、
ひつじかいの後生楽ごしょうらく。

風がふきゃ

風がふきゃ、
まわります、
粉ひき車よ。

風がやみゃ、
とまります、
粉ひき車さ。
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文なし

一文なしの文三郎もんさぶろう、文三郎をさらおうと
どろぼうどもがやってきた。
にげた、にげた、烟突えんとつの素頂辺すてっぺんへ攀よじてった。
しめた、しめたとどろぼうどもがおっかけた。
それをみて文三郎、そろっとむこうへにげおりた。
こうなりゃみつかるまい。
かけた、かけた、十五日じゅうごんちに十四じゅうしマイル、
それで、ふりむいたが、もうだァれもみえなんだ。

ファウスト国手せんせい

ファウスト国手せんせいはいい人で、
時々、お弟子たちをひっぱたく。
ひっぱたいて、おどらして、追ったてて、
イギリスでてからフランスへ、
フランスでてからスペインへ、
そしてまた、ひっぱたいて逆もどり。

とことこ床屋さん

とこ、とこ、床屋さん、
ぶたの毛かっちょくれ、
鬘かずらがちょっくらいりようだが、
何本、その毛がありゃたりる。
二十四にじゅうし本でたくさんだ。
フンとお鼻でごあいさつ

おくつの中に

おくつの中におばあさんがござる、
子供がどっさり、しまつがつかない、
おかゆばっかり、パンもなにもやらず、
おまけに、こっぴどくひっぱたき、
ねろちゅば、ねろちゅば、このちびら。