ピーターパンとウエンディ

ピーターパンとウェンディ
PETER PAN AND WENDY
ジェイムス・マシュー・バリ James Matthew Barrie
Katokt訳


【テキスト中に現れる記号について】

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[#2字下げ]一章 ピーター登場[#「一章 ピーター登場」は中見出し]

 コドモはみんな成長していくものです、一人を除いては。コドモは、すぐに自分が成長するものだという事がわかるのです。ウェンディが成長するということをわかったのは、このようにしてでした。二才のある日のこと、庭で遊び、花をつんで、それを持ってウェンディがママの所へ走っていきます。そうしているウェンディは、幸福に満ち満ちているように見えたことでしょう。ママは、胸に手をあてて「まぁ、どうしてあなたは、ずっとこのままでいられないんでしょうねぇ!」と声をあげたのですから。コドモの成長について、ママとウェンディの間で交わされた言葉は、これだけです。ただこのことによって、ウェンディは、自分が成長しなければならないということをわかったのでした。二才にもなれば、分かるものです。二才ともなれば、きざしがあらわれるものなのです。
 そうそう、ママとウェンディは十四番地に住んでいて、ウェンディが生まれてくるまでは、ママが一家の花でした。愛らしい少女でロマンティックな心と、とてもかわいらしくこまっしゃくれた口もとをしていました。ロマンティックな心は、まるであの不思議なる東洋から来た、一つの箱の中にもう一つの箱がある入れ子の小さい箱のようで、いくつ箱を開けても、そこにはいつももうひとつ箱があるのです。ママは、かわいらしくこまっしゃくれた口もとにキスを浮かべていたのですが、右はしにはっきりと見えていて、まさにそこにあるにもかかわらず、ウェンディには決して手が届かなかったのでした。
 パパとママが結婚したてんまつは、このようなものでした。ママがコドモだった時にコドモだった多くの男の人は、みんないっぺんにママのことを愛していることに気づいて、パパ以外のみんなはママの家にプロポーズするために走って駆けつけたものでした。パパはというと、つじ馬車をひろって、真っ先にママの家に飛びこみました。そうしてパパとママは結婚しました。パパはママの全てを手に入れました、もっともあの一番内側の箱とキス以外の全てだったんですが。パパは箱のことには気づきもしなかったですし、そしてそのうちキスしてもらうこともあきらめてしまいました。ウェンディは、例えばナポレオンならキスしてもらえるかもと思っていました。けれどもわたしには、ナポレオンが挑戦してはみたけれどキスしてもらえず、カンシャクをおこして、ドアをぴしゃりとしめて立ち去るのが目に浮かぶようです。
 パパは、ウェンディによくこう自慢したものでした。ママはわしのことを愛しているだけでなく、尊敬もしてるんだよと。パパは債券と株式について、とても詳しい人たちの一人でした。もっとも債券や株式のことを、本当に知ってる人なんていやしなくて、いかにも知ってるように見えたというだけだったんですが。パパはよく債券が上がり、株式が下がると断言したものでした、どんな女の人でもパパを尊敬するにちがいない風に。
 ママは白いウェディングドレスで結婚して、最初のうちは完璧に、芽キャベツ一つでさえもらさないように、まるでゲームみたいにまったく楽しそうに家計簿をつけていました。が、そのうちカリフラワー全部もつけそこなって、その代わりに顔のない赤ん坊の絵を書いてるしまつでした。ママは合計しなければならない所に、あかんぼうの絵を書いていたのです。それはママの想像するあかんぼうたちなのでした。
 ウェンディが最初に生まれ、それからジョン、マイケルと続きました。
 ウェンディが生まれて一、二週間は、養っていけるかどうかさえ疑わしいものでした、なぜなら養う口が一つふえるわけですから。パパはウェンディのことを誇らしげにさえ感じていたんですが、とてもきちんとした人でしたから、ママのベッドのはしに腰掛け、ママの手を握りながら出費を計算したのです。その間ママはパパを哀願するような目で見つめていました。ママはたとえ何があろうとも、とにかく養っていきたいと思っていました。ただそれは、パパの流儀ではなかったのです。パパの流儀は鉛筆と紙でもって、きちんと計算することであり、もしママがいろいろ口出しをしてパパを困らせるようだと、再び最初にもどってやり直さなければなりません。
「さて、じゃませんでくれ」パパはママにそう頼んだものでした。
「ここに一ポンド十七シリングある、で事務所には二シリング六ペンスだ。事務所でコーヒーを飲むのはやめよう、十シリングだがな。すると二ポンド九シリング六ペンスで、おまえの十八シリングと三ペンスと合わせて、三ポンド九シリング七ペンスになる。そして私の小切手帳の五ポンドで、八ポンド九シリング七ペンスになる。だれだそこで動いているのは? 八ポンド九シリング七ペンス、七ペンスが繰り上がって、しゃべるなといったろう、おまえが玄関の所に来た男に貸した一ポンドを、ウェンディ静かに、でコドモを繰り上げて、あらっ、へまをやったぞ。わしは九ポンド九シリング七ペンスって言ったかな。そうだな、わしは九ポンド九シリング七ペンスと言ったぞ。問題はだ、一年を九ポンド九シリング七ペンスでやっていけるかだな?」
「もちろん、平気だわ」ママは大声をだしました。もちろんウェンディの味方をしての発言です。ただパパは、ママに比べてすごくしっかりしていました。
「おたふく風邪もわすれちゃならんしな」パパはほとんどママを脅すように言うと、再び計算に取りかかりました。「おたふく風邪に一ポンド、と書いたものの三十シリングぐらいが適当だな、だまってろって、はしかが一ポンド五シリング、ふうしんは半ギニーだから二ポンド十五シリング六ペンス、指をふるわせるのはよせったら、百日ぜき、そうだな十五シリング」と続けていくと、やるたびに合計が違うのでした。で、最後にはとうとうウェンディは合格ということになりました。おたふく風邪を十二シリング六ペンス、はしかとふうしんはひとつとして計算したからなんですが……。
 ジョンのときもまったく同じ騒動がもちあがり、マイケルの時にいたってはぎりぎり合格といった具合でした。でも二人とも育てられ、すぐに三人のコドモが一列にならんで、乳母が付き添ってフルサム幼稚園に通うのを見ることでしょう。
 ママは、なにもかもきちんとしておくのが好きでしたし、パパも隣近所にはひけをとるまいと必死だったので、もちろん乳母を雇いました。ただコドモのミルク代でお金が足りなくて、乳母はナナという名前の、きちんとしてはいますけどニューファウンドランド犬でした。ナナはダーリング家で飼われるまでは、特別どこで飼われていたというわけではありません。ただナナはコドモを大事なものと考えており、ダーリング家とはケンジントン公園で知り合いになりました。ナナはそこでひまな時間の大半は、乳母車をのぞきこんで過ごしていて、コドモの世話を十分にしてない乳母たちには大変嫌われていました。というのもそんな乳母たちの家までついていき、世話を十分にしてないことを奥さんにいいつけたからでした。そして、ナナは本当に乳母のカガミであることがわかりました。お風呂にいれるのも完璧でしたし、夜中のいつでも、コドモ達のひとりのかすかな泣き声にさえちゃんと起きるのでした。もちろん犬小屋はコドモ部屋にあり、ナナはコドモが一回咳をしてもがまんさせちゃいけなさそうな具合だぞとか、のどに靴下をまかなきゃいけない頃だということが生まれながらにしてわかっているかのようでした。ナナは死ぬまで、ダイオウの葉っぱだとかの昔風の治療法を信じきっていました、そして細菌とかなんとかいった新しいだけの話には、はなからばかにしたようなうなり声をあげるのでした。ナナがコドモ達を学校へ送り迎えする姿は礼儀作法のお手本にしたいくらいで、コドモ達がちゃんとしているときはおちつきはらって横にならんで歩いているし、コドモ達が列からはみだそうものなら、頭でつついて列におしもどすのです。ジョンがサッカーをやる日にセーターを忘れたことはありませんし、雨の日にはいつも口に傘をくわえていきました。フルサム幼稚園には地下にひと部屋あり、そこで乳母たちはコドモを待つのです。乳母たちは長いすに腰掛け、一方ナナは床に寝そべっていました。違いは本当にその点だけです。乳母たちは自分たちより身分が低いんだから、とナナを無視するふりをしましたし、ナナはナナで乳母達の内容のないおしゃべりをばかにしていました。ナナはコドモ部屋にママの友達がくるのを大変嫌がっていましたが、実際来たときは、まずマイケルのエプロンをさっとぬがせ、青い組みひもで縁取られたエプロンを着せて、ウェンディの服のしわをのばし、それからいそいでジョンの髪をとかしつけるのでした。
 これほどきちんとしているコドモ部屋が、他にあったでしょうか。そしてパパもそれをよく知ってはいましたが、まだ時々、近所の人がなんと言ってるか不安に思うのでした。
 なにしろパパは、町での自分の立場も考えなければならなかったのです。
 ナナも別の意味で悩みの種でした。時々ナナが、パパを尊敬してないように感じたのです。「わたしは、ナナがあなたをとっても尊敬してるのを知ってるわよ」とママはパパを励ましたものです、そしてコドモ達にパパに特別やさしくしなさいという合図をしたものでした。愛らしいダンスがはじまり、もう一人のリザという召使も時々一緒に踊ることをゆるされました。長いスカートと召使の帽子をかぶった姿はとても小さくみえましたが、雇われたときには、もう十才にはみえませんと自分で断言していたのです。遊びまわるみんなのにぎやかなこと。でも全員の内で一番楽しそうなのはもちろんママで、すごい勢いでつま先でくるくるまわっていたために、あのキスしか見えないほどでした。もしいまママに飛びついたのなら、キスしてもらえたかもしれません。ピーターパンが来るまでは、こんなに何から何まで幸せに満ちた家庭は、他にはなかったことでしょう。
 ママがはじめてピーターパンのことを耳にしたのは、子供たちの心を整理整頓しているときでした。かならず毎晩、コドモ達が寝入ったあとで、いいママならだれでも、コドモ達の心の中をひっくりかえして、昼間にあちこちに散らかったものをそれぞれの場所につめなおして、翌朝のために整理整頓するものなのです。もしあなたが起きていられたら(もちろん無理でしょうけど)、あなたのママが整理整頓してるのをみることでしょう、そしてそんなママを見てるのは、とても面白いことでしょう。それはまるで、たんすの整理みたいなものなのです。私が思うには、あなたはママがひざまづいて、こんなことをしてるのをみるでしょう。つまりあなたの心の中にある物のいくつかを面白そうに手にとってみて、一体全体どこでこんなものをひろってきたのか不思議に思って、その発見をうれしく思ったり、逆にあんまりそうでもなかったり、まるで子ネコみたいにかわいいものであるかのようにほおにおしあてたり、あわてて見えない所にしまいこんだりする所を。あなたが朝起きたときには、夜寝るときにベッドにもちこんだわがままや意地悪は小さくたたみこまれて、心の奥底にしまいこまれているし、一番上にはすっかりかわいたきれいな心が、すぐ身に付けられるようにひろげてあるのでした。
 あなたが心の地図を見たことがあるかどうか、わたしは知りません。お医者さんは、時々あなたの心以外の地図を描きます。あなた自身の地図は、あなたにとって、とても興味深いものです。お医者さんが、コドモの心の地図を描こうとしているのをみてみましょう、そのコドモの心は散らかってるだけでなく、いつもくるくる回りつづけています。心の上には、まるであなたの体温表みたいにジグザグの線があり、それはたぶんその島の道なのでしょう、なぜならその島、ネバーランドは、大体島といってもいいようなものであり、あちこちに驚くほどの色の模様があり、さんご礁、沖合いに速そうにみえる小船、野蛮人がいて、さびしい墓地、たいがい仕立て屋をやってる小人たちがいて、川が流れているどうくつがあって、六人の兄をもつ王子がいて、刻々とくずれおちていく小屋があり、カギ鼻の背の低い老婆がいたものです。これで全部なら、まだまだ簡単な地図といえるでしょう。でもまだ学校での最初の登校日、宗教、祖先、まあるい池、針仕事、殺人、絞首刑、間接目的語をとる動詞、チョコレートプディングの日、歯列矯正器をつけて、九十九といって、じぶんで歯をぬいたら三ペンスやるよ、とかとにかくそんなものがあるのです。そしてそれらはすべてネバーランドの一部、もしくは透けて見える別の地図といったぐあいで、とにかく全く混乱しており、しっかり根をおろしてかわらないものなど何もないといった具合でした。
 ネバーランドは、もちろんとってもヘンカにとんでいます。たとえばジョンのネバーランドには、ラグーン(さんごにかこまれた浅瀬)があってその上をフラミンゴの群れが飛んでいて、ジョンはそれを撃ちます。一方マイケルといえば、まだとっても小さかったので、フラミンゴがいて、その上をラグーンの群れが飛んでるのです。ジョンは砂浜にさかさまになっていたボートに住み込んで、マイケルはインディアンのすむようなテントに、ウェンディは巧みに縫い合わされた葉っぱの家に住んでいました。ジョンには、一人も友達がいません。マイケルは夜の間だけの友達がいて、ウェンディは親にすてられた狼をペットにしていました。ただ、まあだいたい、ネバーランドは兄弟姉妹では似たり寄ったりになるもので、兄弟姉妹のネバーランドを一列に整列させたら、同じような鼻だなぁとかなんとかいうことになるでしょう。ネバーランドの魔法の岸辺で遊んでいるコドモ達は、いつも小船を岸にひきあげているのです。わたしたちも、かつてはそこにいたことがありました。まだ波の音がきこえるでしょう。でも、もうわたしたちはその島へ上陸することはできないのです。
 全ての楽しい島々の中で、ネバーランドはもっともこじんまりしていてコンパクトです。えぇ、ひとつの冒険から次の冒険までがいやになるくらい離れているほど、おおきかったり不規則に拡大していたりはしません。ちょうどいい具合につめこまれています。昼間のあいだ、椅子とテーブルクロスのところで、ネバーランドの遊びをするときは、まったく不安になることはないのに、眠りにおちる前の二分間には、急に現実みたいに思えたりもするのです。それこそが、ナイトライトがある理由だったりします。
 時々ママがコドモ達の心の中を旅してると、理解できないものにつきあたったりします。その中でも、もっとも途方にくれてしまうのは、ピーターという言葉でした。ママにはピーターなんて知り合いはいませんでしたし、ジョンとマイケルの心のあちらこちらにいて、ウェンディの心ときたら、ピーターという名前の落書きであふれかえりそうなぐらいなのでした。ピーターという名前は、他の言葉にくらべてもより太い字で書かれており、ひときわ目立ちましたし、ママはその名前をじっとみると、みょうにうぬぼれているといった感じをうけるのでした。
「まあかなりのうぬぼれやさんね」ママがそうたずねたので、ウェンディはしぶしぶそう認めました。
「いったい誰なの、ペット?」
「ピーターパンよ、ママ知ってるでしょ?」
 最初ママには分かりませんでした。でもコドモの頃のことを思いかえしてみると、妖精たちとくらしているといわれていたピーターパンのことに思い当たりました。ピーターパンの話はかなりかわっていて、たとえばこうです。コドモが死んだときには、ピーターパンが途中まで一緒についていって、恐がらないようにしてあげるといったようなぐあいです。ママも当時は、ピーターパンがいることを信じていました。でも今は、結婚して分別もついていましたから、ピーターパンなんているのかしら? とかなり疑わしく思っていました。
「それにしても」ママは、ウェンディにいいました。「もう今では大人になってるわね」
「あらやだ、ピーターパンはオトナになんてなりません」ウェンディは胸をはって、自信たっぷりにいいはりました。「ピーターは、わたしとまったく同じおおきさだし」彼女がいってる“おなじおおきさ”の意味は、心と体の両方とも“おなじおおきさ”ってことでした。ウェンディはどういうふうにして“おなじおおきさ”ってことがわかったかはわからないけど、とにかくわかっていたのでした。
 ママはパパに相談しましたが、パパはばかにして笑うだけでした。「わしの言葉を覚えておけよ、」とパパ。「ナナがコドモ達に教え込んだたわごとさ、イヌが考えそうなことだ。ほっとけよ、忘れるだろう」
 ところが、忘れるどころのさわぎではありません。そのやっかいごとをひきおこす男の子は、ママに大ショックを与えたのでした。
 コドモというものは親たちにわずらわされなければ、どんなかわった冒険でもします。例えば、森にいて、死んだお父さんと会っていっしょに遊んだよなんてことを、終わって一週間もしてから、思い出して言ったりします。ウェンディがある朝、おどろくべき意外なことをいいだしたのは、こんなふうになにげなくでした。木の葉がコドモ部屋で見つかりました。昨晩コドモが寝たときには、確かになかったはずなのに。ウェンディがしょうがないわねぇって微笑みながらこう言った時、ママは木の葉をただ不思議だなぁと思っていました。
「また、ピーターのせいだと思うわ」
「いったいぜんたい、どういうこと、ウェンディ」
「わんぱくだから、くつをふかないのよ」ウェンディはきちんとした子でしたから、ため息をついていいました。
 ウェンディは、まったくあたりまえのことを話しているように、ピーターが時々コドモ部屋にやってきて、ウェンディのベッドの足の方に腰掛けて、笛をきかせてくれるの、と説明しました。残念なことに、起きていなかったので、どうやってそのことがわかったかはわからないけど、とにかくわかっていたのでした。
「なにわけのわからないことをいってるの、かわいい子。玄関のドアをノックせずに家にはいってくるなんてことは、できないのよ」
「窓からきたと思うのよ」とウェンディは、いいました。
「まぁ、ここは三階なのよ」
「じゃあどうして葉っぱは窓際にあるの?」
 全くその通りでした。葉っぱは、まさに窓際にあったのですから。
 ママにはまったく訳がわかりませんでしたが、ウェンディがあまりに平然としてるので、夢でもみてたんじゃないのなんて、さっさと片付けてしまうわけにはいきませんでした。
「いいこね、」ママは声をちょっとあらげました。「でもなんでもっと前にママにいってくれなかったの?」
「わすれてたんだもの」ウェンディはそっけなくいうと、あわてて朝食をたべました。
 ええたぶん、夢でもみてたにちがいありませんとも。
 でも、かたや、葉っぱはたしかにあるのでした。ママが葉っぱをとても注意深く調べてみると、それはすじばっかりの葉っぱで、イングランドに生えてる木のものではないことはわかりました。ママは床にはいつくばって、ろうそくでもって照らして、かわった足跡がないか調べてみました。火かき棒で煙突をガタガタさぐったり、壁をたたいたりしました。窓から道路までテープをたらしてみました。垂直に三十フィートもあって、のぼってこれる雨どいひとつとしてありません。
 夢をみてたんですとも。
 でもウェンディが夢をみてたわけじゃなかったことは、まさに次の日の夜に明らかになりました。コドモ達のおどろくべき冒険がはじまったといってもいいあの夜に。
 その夜、またコドモ達がベッドにはいったところから、はじめましょう。たまたまナナが夜に外出していたので、ママがコドモをおふろにいれて、ひとりまたひとりと握ってたママの手をはなして、夢の国にはいっていくまで、子守唄をうたってやりました。
 ママはなにもかもが安全でここちよく感じられたので、心配する必要なんてなかったんだわと微笑んで、縫い物をするために暖炉のそばにゆったり腰をおろしました。
 縫い物はマイケルのもので、今度の誕生日にはシャツをきることになっていたのです。暖炉の火は温かく、コドモ部屋は三つのナイトライトで照らされているだけでうすぐらかったので、やがて縫い物はママのひざの上に落ちました。頭は、とてもゆうがにですが、こっくりこっくりとして、ママは眠りにおちてしまいました。四人をみてください、ウェンディとマイケルはあちらで、ジョンはここです、そしてママはだんろのそばで。四つ目のナイトライトがあるべきでした。
 ママが眠りにおちて、夢をみていると、ネバーランドはとても近くにあって、一人の見知らぬ男の子がネバーランドから登場しました。ママは、男の子にはびっくりしません。なぜなら前にもコドモのない女の人の顔に、その男の子を見たことがある気がしたからでした。たぶん、母親になった女の人の顔にだって、その男の子をみつけられるのかもしれませんが。でも夢の中では、男の子はネバーランドをおおい隠していたうすいまくをひきちぎって、ママにはウェンディとジョンとマイケルがその裂け目から、こちらをのぞいているのが見えました。
 夢そのものは、ささいなことかもしれません。でも夢を見ている間、コドモ部屋の窓が風で開いて、男の子が床にころげこんできたのでした。男の子といっしょに不思議な明かりも、こぶしほどのおおきさで、まるで生きてるかのように部屋の中をダーツみたいにまっすぐに飛んでいきました。思うにその明かりで、ママは起きたにちがいありません。
 ママは悲鳴をあげてとびおきました、そして男の子をみました、で、どうしてかすぐにそれがピーターパンだってことが、わかったのでした。もしあなたやわたし、あるいはウェンディがそこにいたのなら、男の子がまるでママのキスみたいだなぁ、なんてことに気づいたのにちがいありません。男の子は愛らしい子で、すじばっかりの葉っぱと木からにじみでた樹液でできた服をきていて、ただ一番うっとりさせるのは、歯がひとつもはえかわってないことでした。男の子はママが大人だとみると、その真珠のような歯で、ママに向かって歯ぎしりしました。

[#2字下げ]二章 その影[#「二章 その影」は中見出し]

 ママが悲鳴をあげると、ベルが鳴らされたかのようにドアが開いて、ナナが入ってきました。ナナが低くうなり、その男の子に飛びかかると、男の子は身軽に窓から飛び降りました。再びママが悲鳴を、今度は男の子の身を案じてです。ママは、男の子が死んでしまったと思いました。ママは、男の子を探しに、通りまでかけ下りましたけれど、何も見つかりません。ママが上を見上げても、暗闇の中に、流れ星としか思えないようなものしか見つけられませんでした。
 ママは子供部屋に帰ってきて、ナナが口になにかをくわえているのを見つけました。それは、あの男の子の影でした。男の子が窓から飛び降りる時、ナナはすかさず近寄って、捕まえることこそできなかったものの、影を逃がしはしなかったのです。窓をぴしゃりとしめ、影はポキンと折れたのでした。
 あなたが思うように、ママはその影を注意深く調べました。でもまったくなんの変哲もない、普通の影でした。
 ナナにはもちろんこの影をどうすればいいか、わかっていました。影を窓の外にぶら下げておけば、それを取り戻すために男の子は必ずもどってきます。コドモ達には害がなく、男の子が簡単に取り戻せるところに、その影をおいときましょうということです。
 ただ不幸にも、ママは窓に影をぶらさげたままにはしておけませんでした。それではまるで洗濯物みたいで、家の格を下げることになってしまうからです。ママはパパに影を見せようかと思いましたが、パパは頭を冷やすために冷たいタオルを巻きつけ、ジョンとマイケルの冬のりっぱなコートの出費の計算をしていたので、わずらわすのは申し訳ないような気がしました。その上、パパが「イヌを乳母なんかにするから、こんなことになるんだ」なんて言うのが、ありありと目に浮かぶようでした。
 ママは影をたたんで、パパに相談できるいい機会がくるまで、たんすの中にていねいにしまいこみました。あらまあ。
 機会は、一週間後に訪れました。あの決して忘れることのできない金曜日に、もちろん金曜日にです。
「わたしが金曜日には、特別注意するべきだったんだわ」後になって、ママはパパによくそういいました。そういってるときに、おそらくナナはパパの反対側のママの手をにぎっていたことでしょう。
「いやいや」パパはいつもこういうのでした。「わしに全責任がある、わしジョージ・ダーリングがやるべきだったんだ」そしてラテン語で「わしがわるいんだ、わしがな」といいました。パパはラテン語の素養もあったのです。
 それからかれらは座り込んで、来る夜も来る夜もあの運命の金曜日のことを思い出していたので、しまいにはどんな細かいことまでも頭の中に刻み込まれ、頭の反対側までも突き抜けそうでした。それはまるで、できの悪いコインに刻まれた顔が、反対側まで突き抜けてしまっているかのようでした。
「わたしが、二十七丁目の家での夕食のお誘いを承知さえしなければ」ママはいいました。
「わしが、ナナのおわんにわしが飲む薬を入れたりしなかったら」とパパもいいました。
「わたくしが、お薬が好きなフリさえしておけば」ナナのうるんだ瞳が、そういいたいようでした。
「わたしのパーティー好きが、あなた」
「わしのユーモアのセンスのなさがだ、おまえ」
「わたくしが些細なことへこだわったりするからなんです、ご主人様」
 それからひとり、ふたりと一緒に泣き崩れるのでした。ナナは「そうだ、そうだ、イヌを乳母なんかにするべきじゃなかったんだ」と考えて、パパはナナの目に何回もハンカチをあてなければなりませんでした。
「あの悪魔め、」パパは叫んだものでした。ナナのほえる声がそれを繰り返しました。ただママは、ピーターを決して責めません。彼女のくちもとの右はしにあるなにかが、ピーターの名前を口にだすことをためらわせるのでした。
 みんなはがらんとしたコドモ部屋に座り込んで、あの恐ろしい夜のどんな細かいことでさえ、愛情をこめて思いだそうとするのです。はじまりは、いつもと全くかわらない平凡な、本当に他の幾夜と全く同じで、ナナはマイケルのお風呂のために水をいれ、マイケルを背中に乗せてお風呂までつれていくところでした。
「まだ、ねむたくない」マイケルは、いうことはそれだけしかないと固く信じているといった具合に大声をだしました。「やだよ、やだ。ナナ、まだ六時じゃない。おねがいだから、おねがい。もうキライになるから。ナナ、おフロには入りたくないっていってるの、やだやだ」
 そこへ、夕食会のための白い夜会服をきたママが来ました。ママはウェンディが夜会服を着た姿をみるのをとてもよろこぶので、おおいそぎで着替えてきたのです。ママはパパから貰ったネックレスをつけ、前もって貸してくれるように頼んでいたウェンディのブレスレットをはめていました。ウェンディはママにブレスレットを貸してあげるのが、大好きだったのです。
 ママは年上の二人が、ウェンディが生まれた時のママとパパのフリをして、遊んでいるのをみました。ジョンがこういいます。
「おまえにこういえることを、幸せに思うよ、おまえ、おまえはいまや母親なんだよ」まるでパパが、まさにその時に使ったであろう口調で言うのでした。
 ウェンディは、よろこびのあまり踊りだしました、まさに本当のママがしたに違いないように。
 それからジョンが生まれ、パパは男の子が生まれたひときわの感慨を抱き、そしてマイケルがおフロからでてきて、僕も生まれた? とたずねました。ただジョンは、そっけなく、パパとママにはもうコドモはいらないよと言ったのでした。
 マイケルはほとんど泣きそうになって「ぼくなんて、だれにも必要とされてないんだ」といいだし、白い夜会服をきたママはその状況に黙っていられません。
「ママは欲しいわよ」と口をはさみました。「ママは、とっても三番目のコドモがほしいわ」
「男の子、女の子?」マイケルは、あまりキタイはしていないようにたずねました。
「もちろん、男の子よ」
 すぐにマイケルは、ママの腕の中に飛び込みました。そんなささいなことさえ、いまやパパとママとナナには思いだされるのです。ただ、もしそれがマイケルのコドモ部屋での最後の夜になってしまうのなら、ささいなこととはいってられませんが。
 回想は続きました。
「わしがたつまきのように部屋に入っていったのは、そのときじゃなかったかな?」パパは自分自身をあざけるように、そういいました。そして実際にも、まるでたつまきのようだったのでした。
 パパにもたぶん弁解の余地はあるのでしょう。パパもパーティにでかけるために正装していて、ネクタイを結ぶまでは、完璧にこなせていました。債券や株のことまで分かるはずが、まともにネクタイもむすべないなんてことを、パパについて言わなければならないのは、びっくりぎょうてんです。パパは時々争わないでマケを認めるようなことがありましたが、一家にとっては、パパがぐっとプライドを押えて、最初から結んであるネクタイを使うほうが良い場合が、ままあったものです。
 今回もまさにそんな場合で、パパは手にしわくちゃのコンチクショウのネクタイをもって、コドモ部屋に駆け込んできました。
「あらどうしたの、あなた」
「全く、」パパは本気で叫びました、「このネクタイときたら、むすべないようになってるんだ」パパはひどく皮肉っぽく「首のまわりをまわりやしない、ベッドの柱なら上手くいくのに、ああ、ベッドの柱なら二十回はできたぞ、どうして自分の首のまわりだとだめなんだ、おまえ、弁解を許してくれ」といいました。
 パパが思うに、ママはそれほどびっくりしていないようだったので、厳しい口調でこう続けました。「おまえ、もしもこのネクタイが結べなければ、今夜のディナーは取りやめだということをいっておくぞ。今夜のディナーに行かなかったら、仕事にも二度といけん。仕事に二度と行けなければ、おまんまのくいあげだ。コドモ達も路頭にまようんだぞ」
 その時でさえママは落ち着いていて、「まあ、あなたやらせてみてください」といいました。パパがママに頼みに来たことも、まさにそのことだったのです。そして見事な手際でパパのネクタイを結んで、そのあいだコドモ達は自分達の命運が決するのを、まわりで立ちすくんで見守っていました。ママがそんなに簡単にネクタイを結ぶので、かえって腹をたてる男の人もいたかもしれません。ただパパは全くそんな性格の持ち主ではありません。ママにそっけなくお礼をいったそのとたん、すっかり怒ってたことも忘れて、つぎの瞬間にはマイケルを背中におぶって踊りまわっているのでした。
 わたしたちはなんて騒々しく、ふざけたりしてたんでしょう。ママは、思い出しながらそう言いました。
「最後のおふざけだったな」パパはうめくようにいいました。
「ジョージったら覚えてます? マイケルがわたしに突然こういったのを。いったいどうやって僕のことをわかるようになったのって」
「覚えてるさ」
「まったく優しいコドモたちだったと思いません、ジョージ」
「それにわしらのコドモだよ、わしらの。もういなくなってしまったけど」
 おふざけはナナの登場でおさまりました。大変不幸なことにパパとナナはぶつかって、ナナの毛がパパのズボンについたのです。ズボンは新しいだけではなく、パパにとっては始めての組みひも付きのズボンだったので、パパは泣かないために口びるをかみしめなければなりませんでした。もちろんママはパパのズボンにブラシをかけましたが、パパはやっぱりイヌを乳母に雇うのは間違いなんだという話をむしかえしだしました。
「ジョージ、ナナはこの家の宝だわ」
「それは認めるよ、ただ時々ナナが、コドモ達を子犬とでも思ってやしないか、不安になるんだ」
「あらいやだ、あなた、ナナはちゃんとコドモ達がたましいをもっていることを知ってますわ」
「うたがわしいもんだな」パパは思慮深くいいました。「うたがわしいな」いい機会だとママは思ったので、あの男の子のことをパパに話してみました。パパは最初はその話をバカにしていましたが、影をみせられると考え込み「全くしらないやつだわい」と詳しく影を調べながら、こうつづけました。「ただ悪いやつのようだな」
「わしたちがまだ話し合ってたときだったな、覚えてるかい、ナナがマイケルの薬をもって入ってきたんだった。もうおまえも口で薬のビンをくわえてくることもないんだなぁ、ナナ、全部わしのせいだ」
 パパは強い人でしたが、薬のこととなると必ずかなりばかげた行動をとってしまうのでした。もしパパに欠点があるとするならば、薬なんて小さい頃から平気で飲んできたなんて思いこんでいたことでしょう。そして今マイケルが、ナナが口にくわえてさしだしたスプーンをいやがると、パパはぶつぶついいだしはじめました。「男だろ、マイケル」
「やだやだ」マイケルはわがままにも泣き始めました。ママは、ごほうびにマイケルにあげるチョコレートをとりに部屋をでていきました。で、パパはママのそんな行動が厳しさに欠けてるぞと思って、「おまえ、マイケルを甘やかしちゃダメじゃないか」と呼び止め、こう続けました。「マイケル、わしがおまえの年頃のころにはだ、ぶつぶついったりせずに薬をのんだものだ。わしは言ったよ、やさしいおとうさん、おかあさん、元気になるための薬を飲ませてくれてどうもありがとう、ってな」
 パパは、これが本当のことだったと思っているのです。そしてウェンディもナイトガウンに着替えていたんですが、パパはそうだったにちがいないと信じていましたから、マイケルを励ますためこういったのでした。「パパが時々飲んでる薬は、もっと嫌な味がするわよねぇ、パパ」
「もっと、もっとだ」パパは胸をはっていいました「もしわしが薬のビンさえ失してなければ、いまここでおまえの手本に飲んでやるのになぁ」
 正確には、失したわけではありません。パパは真夜中に衣装部屋の一番上まで登っていって、薬ビンを隠したのです。ただパパは知らなかったのですが、仕事熱心なエルザが、それを見つけて洗面所に返しておいたのでした。
「どこにあるか知ってるわ、パパ」ウェンディはそう叫ぶと、役にたてることがうれしくて、「もってくるわ」とパパが止めるヒマもなく、姿を消しました。突然パパの気分は、ドット落ち込んでしまいました。
「ジョン」パパは身震いしながら、言いました。「あれはまったくひどいしろものだぞ、むかむかするし、べたべたするし、おまけに甘ったるかったりするんだぞ」
「すぐに飲み終わるよ、パパ」ジョンが励ますようにいうと、すぐに薬のはいったグラスを持ったウェンディが、かけこんできました。
「できるかぎり、いそい、だのよ」ウェンディは、息をきらしながら言いました。
「もちろん、おまえは、すばらしいっていっても過言じゃないほど急いでくれたよ」パパは、ウェンディに対してまさに悪意に満ちたていねいな口調で、そう言い返しました。
「まずマイケルからだ」パパはがんこに言いました。
「パパが最初だよ」マイケルはうたぐりぶかそうにいいました。
「どうもわしはき・ぶ・んがわるいなぁ」パパは脅すようにいいましたが、「さあ、パパだよ」とジョンがいいはなちます。
「ジョン、おまえはだまってたらどうなんだ」パパは厳しく言いました。
ウェンディは、全く困惑してしまいました。「わたしは、パパがすぐにでもごくって、薬をのんじゃうと思ったのに……」
「そういう問題じゃないんだ」パパはこういい返しました。「問題はだ、マイケルのスプーンのより、わしの方が量が多いことなんだ」パパの誇り高きプライドは、はりさけんばかりです。「だからフェアーじゃないんだ。たとえ死に際の最後の一言になろうとも、わしはいうぞ、フェアーじゃないとな」
「パパ、ぼくまってるよ」とマイケルが冷たくいうと
「あぁ、おまえは待ってるなんていってるがいいさ、だがわしこそが待ってるんだ」
「パパは臆病なカスタードクリームみたい」
「なに、おまえの方こそ臆病なカスタードクリームだ」
「ぼくはこわくないもん」
「よし、じゃあ、飲むんだ」
「うん、じゃあ、パパのんで」
 ウェンディは、素晴らしい考えを思いつきました。「一緒に飲めばいいわ?」
「たしかに」パパは言いました。「マイケル、準備はいいか?」
 ウェンディはひとつ、ふたつ、みっつといって、マイケルは薬をのみました。だけどパパは自分の薬を背中にこっそりかくしたのでした。
 マイケルは怒りの叫び声をあげました。
「あらパパ」ウェンディも大きな声をあげました。
「どういう意味だ、あらパパ、なんて」パパは問い詰めました。
「さわぐんじゃない、マイケル。飲むつもりだったんだよ、だけど、ええっと、飲み損ねたんだ」
 三人がパパを見る眼はなにか見てはいけないものでもみるような、まるっきりぜんぜん尊敬してないような目つきでした。「おまえたち、そら見てごらん」ナナがバスルームへ姿をけすやいなや、パパは下手にでていいました。「すごいジョークを思いついたんだ。ほらわたしの薬をナナのおわんに入れて、ナナがミルクだと思ってそれをのんだら……」
 薬とミルクの色は一緒でした。でもコドモ達には、パパのユーモアのセンスは全然分かりかねました。ただパパがナナのおわんに薬を注いでいる間、非難がましくパパを見ていました。「おもしろいぞ」パパは自信なさそうに言って、コドモ達もママとナナが部屋に戻ってきた時に、思い切ってパパのことをばらしたりはできませんでした。
「ナナ、よしよし」パパは、ナナを軽くなでながらいいました。「少しミルクをどうだい」
 ナナはしっぽをふって、薬のところに駆け寄ると舌で飲み始めました。そしてナナはパパをすごい目つきでにらみ、怒った目つきではありませんが、こんなに気高いイヌに大変申し訳ないことをした、と思わせるような大粒の涙をパパにみせつけて犬小屋にもぐりこみました。
 パパはものすごく自分を恥じいりました。でもマイッタともいえません。ひどくいやなシーンとした雰囲気のあと、ママがおわんの匂いをかぐと、「ジョージったら、あなたの薬じゃないの」といいました。
「ほんのジョークのつもりだったんだ」ママがコドモ達とナナを慰めているのに、パパは大声で言うと「いいさ、」と苦々しく続けました。「わしがすっかり道化になってやって、この家を楽しくしようとしてるのに」
 ただウェンディは、まだナナをだきしめてました。
「いいだろう」パパは大声をだしました。「ナナをせいぜい大事にしてやるんだ、だれもわしにはかまっちゃくれん。いいんだ、わしはただの大黒柱ふぜいだよ、なぜわしを大切にしようとせん、どうしてだ?」
「ジョージ」ママは、パパに懇願するようにいいました。「そう大声をださないでくださいな、召使たちが聞きつけるじゃありませんか」どうしてか、リザは一人きりなのに召使たちなんて呼ぶようになっていたのでした。
「いいじゃないか、」パパは、なにもかまうもんか、というふうに答えました。「世界中にでも聞かせてやるさ。だが、もうこんりんざい、あのイヌをコドモ部屋に置いとくのはまかりならん」
 コドモ達は泣き始めました。そしてナナはお願いするように、パパの足元にかけよりました。ただパパは、しっしっとナナをおいやり、ふたたび偉くなったような気分を感じているのでした。「無駄だ、無駄だ」パパは大声をだしました。「おまえにお似合いの場所は、庭じゃないか。いますぐ庭にむすびつけられてくるといい」
「ジョージったら、ジョージ」ママは小さな声でいいました。「あなたにあの男の子のことを話したのを忘れたの?」
 まぁなんてことでしょう。パパは聞いていなかったのでした。パパは、この家の主人はだれかはっきりさせようと決心していましたし、命令してもナナが犬小屋からでてこないとみると、甘い言葉でおびきだし、がしっとナナをつかむとコドモ部屋からひきずりだしました。パパは自分を恥じていましたが、とにかくやったのです。
 それというのも全部パパの優しい心のためなので、とにかくみんなに感心してもらいたかったのです。ナナを裏庭に結びつけると、かわいそうなパパは廊下に行き、座りこむと、硬く握りしめたこぶしを目にあてていたのでした。
 その間、ママは普段には考えられないような沈黙がただよう中、コドモ達を寝かしつけ、ナイトライトをつけました。ナナがないているのがきこえます。ジョンが、泣き声でぶつぶつ文句をいいました。「ナナを庭に結びつけてるせいだ」ただウェンディは、もっと賢かったのでした。
「ナナは、自分が不幸だから、ないてるわけじゃないわ」ウェンディは何が起きようとしているのか、少し考え込んで言いました。「危険な匂いをかいだ時のなきごえよ」
 危険ですって。
「本当に? ウェンディ」
「もちろんよ」
 ママはこわくなって、窓際にいきました。窓はしっかり閉まっています。ママは錠をかけ、夜は星で輝いていました。星はこの家でなにが起こるのか、興味深そうに家の周りを取り囲んでいるみたいです。ただママはこのことに気づきませんでしたし、小さな星の一つ二つがママにまばたきしたのさえ気づかなかったのです。ただなんともいえない不安が、ママの心をいっぱいにして、こういわせるのでした。「今夜のパーティに行かなくてもいいなら、どんなにいいことかしら」
 すでにうとうとしていたマイケルでさえ、ママが不安にかき乱されていることを知っていて、「なにかが、ぼくらにわるさをするの? ナイトライトがついてるのに、ねぇママ」と尋ねました。
「そんなものありませんよ、ナイトライトはコドモ達を守るために、ママが後に残していく目の代わりなんだから」
 ママは、ベッドからベッドへコドモ達をうっとりさせるように歌いながら足を運び、小さなマイケルはママに腕をまわしてだきついてこういいました。「ママ、大好き」それが長い間、ママがマイケルから聞いた最後の言葉でした。
 二十七番地はほんの少ししか離れてなかったのですが、うっすらと雪がふっていてパパとママは靴をぬらさないように器用に雪の上の道を選んで歩きました。パパとママのほかに通りにはひと一人おらず、全ての星がパパとママを見つめています。星は美しく輝いていましたが、なにかを進んでやろうとはしないのです。星は永遠に見ているだけです。それは星に課された罰で、なにが理由でそんな罰が与えられたのかは、あんまり昔のことで今やだれも知りません。年とった星は生気のない目をして、ほとんどしゃべりもしなかったのですが(まばたきが星の言葉です)、ただ若い星は、まだあれこれと思いをめぐらしているのでした。星たちは実のところ、ピーターのことがすごく好きというわけではありませんでした、というのもピーターったら茶目っ気たっぷりに星の後ろにこっそりまわりこんで、吹き消そうとしたりしましたから。ただ星は、楽しいことが大好きだったので、今夜はピーターの味方なのでした。で大人たちが片付くかどうか、固唾をのんでみまもっています。だからパパとママが家の中に入り、二十七番地のドアがしまるやいなや、夜空は大騒ぎになり、天の川の一番小さな星が叫びました。
「さあ、ピーター出番だよ」

[#2字下げ]三章 行っちゃった、行っちゃった[#「三章 行っちゃった、行っちゃった」は中見出し]

 パパとママが家を後にしてしばらくの間、三人のコドモのベッドのそばのナイトライトは、あたりをこうこうと照らしていました。とても素敵で小さなナイトライトで、明かりがついたままでピーターをみることができたらと願わずにいられません。でもウェンディのライトがまばたき、そしてあくびをはじめ、他の二つのライトも同じようにあくびをしました。そして口を閉じるまえに、三つ全てのライトが消えてしまったのでした。
 部屋の中には、今や別の明かりがありました。ナイトライトより何千倍も明るくて、わたしたちがこの話をしているときにもピーターの影をさがして、コドモ部屋の全てのたんすの中に入りこんで衣裳部屋をくまなく探し、全てのポケットをひっくり返しています。それは、本当は明かりではありません。あまりに早く点滅していたので、明かりみたいに見えたのです。ただちょっとの間それが休んでいると、妖精だってことがわかったでしょう。あなたの手ぐらいの大きさで、まだまだ成長しているところです。妖精はティンカーベルという名前の女の子で、えりが大きくてカクばってカットされたすじだけの葉っぱを、素晴らしく優雅に着こなしていました。その葉っぱを通してみる姿は、とても素晴らしいものでした。というのもほんのわずかなんですが、ティンクったら太りぎみだったのです。
 妖精が入ってきてしばらくして、窓は小さな星たちの息で開き、ピーターが転がり込んできました。ピーターは道中の一部、ティンカーベルを運んできてあげたので、妖精の粉がまだ手にこびりついていました。
「ティンカーベル」ピーターはコドモがぐっすり寝てることを確認して、声をひそめてよびました。「ティンク、どこにいるんだい?」その時ティンクは水差しの中にいて、そこがとても気に入っていました。なにしろ、いままで水差しに入ったことがなかったのです。
「その水差しからでておいで、そして教えておくれ。どこに僕の影をしまいこんだか分かったかい?」
 金の鈴のような愛らしい鈴の声で、答えがありました。それが妖精の言葉です。あなたがた普通のコドモには、それを聞き分けることはできません。でも耳にしたなら、かつてどこかで聞いたことがあるのが分かることでしょう。
 ティンクは、影は大きな箱のなかにあるといいました。ティンクがいってるのは引き出しのついてるたんすのことでした。なので、ピーターはたんすに飛びついて、まるで王様が群集にお金でもばらまくように両手で中身を床にぶちまけました。すぐに影をとりもどし、よろこびのあまりうっかりしてティンカーベルをたんすの引き出しに閉じ込めたまま、すっかり忘れてしまいました。
 ピーターがすこしでも前もって考えていたとすれば、もっともピーターが前もって考えているなんてことは、わたしには思いもよらないことですけど、ピーターとその影は近づければ水滴みたいに自然にくっつくだろう、なんて考えていたのでしょう。そしてそのようにしてくっつかなかった時、ピーターはぞっとしました。ピーターは、浴室から石鹸をもってきてくっつけようとしましたけど、だめでした。ピーターの体をぞっとする身震いがおそいました。そして床に座りこみ、泣き出したのでした。
 ピーターの泣き声で、ウェンディは目を覚まし、ベッドに坐り直しました。ウェンディは、見知らぬ子がコドモ部屋の床で泣いているのをみても驚きません。というのもわくわくして、興味しんしんだったからです。
「あなた」ウェンディは礼儀正しくいいました。「どうして泣いていらっしゃるの?」
 ピーターも、非常に礼儀正しく振る舞いました。妖精の儀式で正式な礼儀作法を習っていましたので、優雅に立ちあがってウェンディにお辞儀をしました。ウェンディは大喜びで、自分もベッドからピーターに向かって優雅にお辞儀を返しました。
「お名前は?」ピーターは尋ねました。
「ウェンディ・モイラ・アンジェラ・ダーリングと申します」ウェンディはいくぶん満足を覚えながら、返事をしました。「あなたは?」
「ピーターパンです」
 ウェンディは、最初っからピーターに違いないと確信していました。でもウェンディと比べると、いかにも短い名前に思えたのでした。
「それで全部?」
「うん」ピーターは、いくぶんつっけんどんに答えました。自分の名前が短いなんて感じたのは初めてのことでした。
「ごめんなさいね」とウェンディ・モイラ・アンジェラが言うと、
「かまいません」ピーターは涙をぐっとこらえます。
 ウェンディがどこに住んでいるのかと聞くと、「二つ目の角を右にまがって、あとは朝までまっすぐ」とピーターが答えます。
「なんて面白い住所なんでしょう」
 ピーターは意気消沈しました。たぶんそれが面白い住所だなんて感じたのも初めてのことでした。
「いいえ、そんなことはありません」ピーターは言いました。
「私が言ったのは、手紙にはどう書いてあるのって意味だったの」ウェンディは、自分がお客様をもてなす方だということを思い出して、こう上手く答えました。
 ピーターは、手紙のことなんかにふれないでくれたらなぁと願うような気持ちだったのですが、「手紙なんてもの、もらわないです」と軽蔑したように言いました。
「お母さんはもらうでしょ?」
「お母さんはいません」お母さんがいないだけでなく、持ちたいなんてこれっぽっちも思ったことはなかったのでした。お母さんなんてものは、とても買いかぶられてる、なんて思っていましたから。けれどもウェンディにとっては、すぐさま悲劇の渦中にいるかのように感じました。
「あらピーター、泣いてるのも無理ないわ」ウェンディはそう言うと、ベッドからでてピーターのもとへと駆けよりました。
「お母さんのことで泣いてたんじゃないよ」ピーターは、かなり憤慨したように言いました。「影がくっつかないから泣いてたんだ、いいや、そもそも泣いてやしないよ」
「とれちゃったのね」
「うん」
 それからウェンディは、床に落ちている影を見ました。それはとても汚れて見えました。そしてウェンディは、ピーターのことをとてもかわいそうに思って、「なんてひどいんでしょう」と言いましたけど、ピーターが石鹸でくっつけようとしているのを見ると笑いをこらえられませんでした。なんて男の子っぽいことでしょう! 運よく、ウェンディには、すぐ何をすればいいのかが分かりました。「縫いつけないとね」とウェンディはちょっとお母さんぶって言いました。
「縫うって?」
「なんにも知らないのね」
「そんなことないです」
 でもウェンディは、ピーターがなにも知らないことが嬉しかったのでした。「あなたのために縫いつけてあげるわ、わたしの小さい子」ピーターはウェンディと同じくらいの背丈だったんですが、こう言うと裁縫箱を取り出してきて、影をピーターの足に縫いつけました。
「ちょっと痛いかもしれないわ」ウェンディは、ピーターに注意します。
「ええ、泣きませんとも」ピーターはそういうと、生まれてこの方一回も泣いたことなんてないよ、ってすでに思いこんでいます。そしてピーターは、歯を食いしばって泣きませんでしたし、すぐさま影は元通りになりました。まだちょっと折り目がついていましたけれど。
「アイロンをかけなきゃいけなかったわね」ウェンディは、思いやりをもってそういいましたが、ピーターは男の子らしく見た目には無頓着で、大喜びで飛び跳ねました。あらまあ、ピーターはもうウェンディのおかげってことをすっかり忘れちゃっていました。「ぼくは、なんてかしこいんだろう」ピーターは、有頂天になって歓声をあげました。「それにしても、ぼくは、かしこいなぁ」
 このピーターのうぬぼれが、彼のもっとも魅力的なところの一つだなんていわなければならないのは恥ずかしいことです。思い切って正直に言わせてもらえば、すくなくとも横柄な子ではないのです。
 ただその時のウェンディには、ショックでした。「ぼくはかしこいですって! ええ、そうでしょうとも」ウェンディは痛烈にあてこするように、こういいました。「もちろんわたくしは、なんにもさせていただきませんでしたけど」
「ちょっとは、してくれたかな」ピーターは無頓着にいうと、踊りつづけました。
「ちょっと、ですって」ウェンディは、プライドをもっていいました。「わたしが役にたたないのなら、ともかくおいとまさせてもらうわ」というと威厳をもってベッドに飛び込んで、顔まで毛布をかぶったのでした。
 顔を出してもらおうとピーターは帰るフリをしましたが、全然効果がなかったので、ベッドのはしに腰掛けて足でちょんちょんとウェンディをつつきました。「ウェンディ」ピーターは言いました。「とじこもらないで。ぼくは、自分がうれしいときは、ついついうかれちゃうんだよ、ウェンディ」ウェンディは、顔は出しませんでしたけど、耳はそばだてていました。「ウェンディ、」ピーターは続け、その声にあらがえる女の人はいなかったことでしょう。「ひとりの女の子は、二十人の男の子よりずっと役に立つね」
 さてウェンディは、まだそんなに大きいというわけではありませんでしたけれど、どこからみても女の人そのものでした。ベッドの布の間から顔をのぞかせました。
「ホントにそう思うの? ピーター」
「もちろん」
「ホントに調子いいって思うわ」ウェンディははっきりそう言うと、「起きるわ」とベッドのはしにピーターと並んで腰掛けました。そして、もししてほしいのなら、キスしてあげてもいいわよなんて、ついでに言ったのでした。しかしピーターは、ウェンディが何のことを言ってるのか分からなかったので、何がもらえるのか期待しながら手の平をだしたのです。
「キスって、なんだかわかってるんでしょうね」ウェンディは、びっくりして尋ねました。
「くれればわかるよ」ピーターはかたくなに答えました。ウェンディは、ピーターのことを傷つけまいとして指ぬきをあげました。
「さあ、僕もキスをあげるよ」ピーターが言うと、ウェンディは少しすましてこう答えました。「したければどうぞ」はしたないことに、顔をちょっとピーターの方へ傾けたりしたのです。でもピーターは、どんぐりでできたボタンを手渡しただけでした。ウェンディは顔の位置をそっともとの場所に戻して、すてきねといって、首のまわりにくさりをつけてピーターのキスをつけました。くさりで身に付けたのは幸運でした。なんといっても後でそれがウェンディの命を救ったのですから。
 お互いに紹介しあったら、年を尋ねるのが礼儀というものです。そういうことをするのが大好きなウェンディは、ピーターにおいくつと尋ねました。ピーターにそう尋ねるのは、実のところ適切な質問というわけではありません。まるで、試験問題でイングランドの王様のことが出たらなぁと思ってたところに、文法の問題が出るようなものでした。
「知らないや」ピーターは不愉快そうに答えました。「でもまだとっても若いんだ」ホントにピーターは、年のことなんてぜんぜん知らなかったのです。自分でも疑わしかったのですが、思い切ってこういいました。「ウェンディ、僕は生まれたその日に逃げ出しちゃったんだ」
 ウェンディは、びっくりぎょうてんでした。でも興味しんしんです。そこで素敵な応接間にいるかのように、自分の寝巻きをちょっとさわって、もっとわたしの近くに座れば? と示しました。
「逃げ出したのは、パパとママが僕が大人になったら、何になってほしいなんてことを話してるのを聞いちゃったからなんだ」と最初は小さい声で説明していましたが、声を大きくすると「いつまでも、オトナになんてなりたくないや」と力強くいいました。「いつまでも小さな男の子のままでいて、楽しくやるんだ。だからケンジントン公園から逃げ出して、妖精たちの間でずっとずっと暮らしてきたんだ」
 ウェンディは、ものすごく感心したようにピーターをみました。ピーターはそれを僕が逃げ出したことに感心してるんだなぁなんて思っていましたが、実のところピーターが妖精と知り合いであることに感心していたのでした。ウェンディは家でふつうに暮らしていたので、妖精と知り合いになれるなんてすごく楽しいことのように彼女の目には映ったのです。ウェンディは妖精について矢継ぎ早に質問すると、ピーターは驚きました。というのも妖精なんてピーターにしてみればじゃまっけですから。ピーターのことをじゃましたりなんだりもして、実際、時にはピーターは妖精におしおきしたりもします。ただ、まあまあ妖精のことは気に入っていたので、妖精がどうやって生まれるのかをウェンディにお話してあげました。
「いいかい、最初にうまれてきた赤ん坊が最初に微笑んだ時に、その微笑が無数の破片にわかれてとびはねて、妖精がうまれるんだよ」
 たいくつな話でしたが、いつも家にいるウェンディには気に入ったのでした。
 それでピーターは、楽しそうに続けました。「男の子にも女の子にも必ず一人づつ妖精がいるんだよ」
「必ず? いないんじゃないの?」
「まあね、いまのコドモは物知りだろう。すぐに妖精がいるなんて信じなくなっちゃうんだ。コドモが“妖精なんて信じないや”なんていうたびに、どこかの妖精が地面に落ちて死んじゃうんだ」
 そうそう、ピーターは妖精についてはもう十分に話したと思ったのですが、ふっとティンカーベルが静かにしてることに思い当たりました。「ティンクがどこにいっちゃったのかわかんないや」とピーターが立ち上がりながら言うと、ティンクの名前をよびました。ウェンディの心臓は突然のスリルでドキドキしはじめました。
「ピーター」ウェンディはピーターをつかむと声を大きくしました。「この部屋に妖精がいるなんていわないでよ」
「ティンクは今ここにいるよ」ピーターは少しイライラしながらいいました。「聞こえないかな?」とピーターとウェンディは耳をすませました。
「鈴の音みたいな音しか聞こえないわ」とウェンディは言いました。
「そうだよ、それがティンクだよ。それが妖精の言葉なんだよ。僕にも聞こえるや」
 音はたんすの引出しから聞こえてきました。ピーターは愉快な顔をすると、ホントにピーターみたいに愉快な顔をする人はみたことがありません。心の底から愛らしくのどを鳴らして笑うのでした。うまれて初めて笑ったときのままの笑顔です。
「ウェンディ、」ピーターは大喜びでささやきました。「どうやらぼくは、ティンクをたんすに閉じ込めちゃったらしいや」
 ピーターは、かわいそうなティンクをひきだしから出してあげました。ティンクは怒りのあまりのカナキリ声をあげながら、コドモ部屋を飛び回りました。「そんなこというもんじゃないよ」ピーターは言い返しました。「もちろんものすごく悪かったよ。でもぼくにだって、どうやって君がたんすの中にいたなんてわかるんだい?」
 ウェンディは、ピーターの言うことなんて聞いてませんでした。「ねぇピーター」彼女は叫びました。「ティンクがじっとしてて姿をみせてくれたらねぇ」
「妖精はじっとしていられないんだよ」ピーターはそういいましたが、ウェンディはティンクがちょっとの間かっこう時計の上で休もうとした時に、そのロマンティックな姿を目にしました。「なんてかわいいの」彼女は叫びましたが、ティンクの顔はまだ怒りでゆがんでいるのでした。
「ティンク」とピーターは感じよくいいました。
「このお嬢さんが、君に彼女の妖精になってほしいっていってるよ」
 ティンカーベルは無礼な返事をしました。
「なんていったの、ピーター?」
 ピーターは通訳してあげなければなりません。「ティンクはあまり礼儀正しくないんだ。ティンクがいうには、君はばかでかくて、みにくいだなんていうんだ。おまけにティンクは、ぼくの妖精だなんていってるし」
 ピーターはティンクを説得しようとしました。「ぼくの妖精になれないことぐらいわかってるよね、ティンク。ぼくは男の子だし、君は女の子だよ」
 これに対するティンクの答えときたら、「このすっとこばか」ですって。そして浴室に姿を消しました。「妖精ってああいうもんなんだよ」ピーターは、弁解するように言いました。「彼女はティンカーベルって呼ばれてて、というのはポットとやかんを修理するからなんだ」(ティンカーは、ティン(すず)のワーカー(職人)という意味)
 そしてピーターとウェンディは、肘掛け椅子にすわり、ウェンディはピーターを質問攻めにしました。
「今はケンジントン公園に住んでないとしたら……」
「時々はまだ住んでるよ」
「今はたいていは、どこにすんでるの?」
「迷子の男の子達といっしょにね」
「迷子の男の子達ってだれ?」
「迷子の男の子達っていうのは、乳母がよそ見をしてるときに乳母車から落ちちゃったコドモ達なんだよ。七日の間に這い上がれないと、その罰としてはるか遠くのネバーランドにやられちゃうんだ。僕が隊長だよ」
「面白いんでしょうねぇ」
「うん、」抜け目のないピーターはこう付け加えました。「でもぼくらはずいぶん寂しい思いもしてるよ、女の子の友達はいないし」
「女の子は一人もいないの?」
「うん、女の子は、えーっと、すごくカシコイから乳母車から落ちたりしないんだよ」
 こういわれて、ウェンディはとても喜びました。「わたしが思うには」ウェンディはいいました。「あなたの女の子についての話し方は、ものすごくいいと思うわ。そこのジョンなんて、女の子のことをはなからバカにしてるのよ」
 返事をする代わりに、ピーターは立ち上がってジョンをベッドからけり落としました。毛布やなんやかんやといっしょに一蹴りで。この態度は、ウェンディにとっては、初めて会ったにしてはかなりあつかましいように思えたので、思い切ってピーターはこの家の隊長ではないことを言いました。だけど、ジョンは床の上で何事もなかったかのようにぐっすり寝ていたので、そのままにしておきました。「あなたが、やさしくしてくれようとしてるのはわかるしね」ウェンディは、やさしい気持ちでいいました。「キスしてもいいわよ」
 その時には、ピーターがキスのことを知らないのをウェンディは忘れていたのでした。「君が返して欲しいんじゃないかって思ってたよ」ピーターは少しにがにがしく言うと、指抜きを返すよっていいました。
「まあ、キスのことじゃないのよ、指ぬきのことを言ったのよ」機転のきくウェンディはいいました。
「それはなに?」
「こういうこと」ウェンディはピーターにキスしました。
「おもしろい」ピーターはまじめくさって言いました「指ぬきしてもいい?」
「どうぞ」ウェンディは、今回は頭を傾けずにいいました。
 ピーターがウェンディに指ぬきするとすぐさま、ウェンディは金切り声をあげました。「どうしたの、ウェンディ」
「まるで、だれかがわたしの髪をひっぱったみたいなの」
「ティンクがやったに違いないよ。前はこんなに乱暴じゃなかったのになぁ」
 確かにティンクは再び、あれこれ非難しながらあたりをダーツの矢のように飛び回っていました。
「ティンクがいうには、ぼくが君に指ぬきするたびに、君の髪を引っ張るんだって、ウェンディ」
「でも、どうして?」
「どうしてだい、ティンク?」
 今度もティンクはこう答えました。「このすっとこばかまぬけ」ピーターは、どうしてこんなことをいうのかわかりませんでしたが、ウェンディにはピンときました。そしてウェンディはピーターが彼女に会いにではなく、お話を聞くためにコドモ部屋の窓のところまで来てたと言うので、ほんの少しですががっかりしたのでした。
「だって、僕はひとつとしてお話を知らないんだもの、迷子の男の子でお話を知ってる子はいないんだ」
「なんてぞっとしちゃうんでしょう」ウェンディはいいました。
「ツバメがどうして家の軒に巣を作るか知ってるかい?」ピーターは尋ねました。「お話が聞きたいからなんだよ、ねぇウェンディ、君のお母さんはとっても素敵な話をしてくれてたよね」
「どのお話のこと?」
「ガラスの靴をはいた女の子を見つけられなかった王子様の話とか」
「ピーターったら、」ウェンディは興奮していいました。「それはシンデレラの話よ、王子様はシンデレラを見つけたわ。それで末ながく幸せに暮らしたのよ」
 ピーターは大喜びで、いままで座りこんでいた床から飛び上がり、急いで窓のところにいきました。
「どこいくの?」ウェンディは心配でさけびました。
「他の男の子達に話してやらなくちゃ」
「行っちゃだめ、ピーター」ウェンディはお願いするように言いました。「わたしは、そんなお話をたくさん知ってるわ」
 これが、ウェンディの一言一句そのままでした。これではピーターを最初に誘惑したのはウェンディだってことは、否定のしようのない事実です。
 ピーターは引き返してきましたが、ウェンディを警戒させるようなぎらぎらした目つきをしていました。といってもウェンディは、ぜんぜん警戒してなかったのですが。
「あぁ、男の子達にお話をしてあげられればねぇ!」ウェンディがそういうと、ピーターはウェンディをつかんで、窓の方へひっぱっていこうとしました。
「放して」ウェンディはピーターに命令しました。
「ウェンディ、僕と一緒にきて他の男の子達にもお話ししてあげてよ」
 もちろん、こう頼まれてとってもうれしかったのですが、こう言わなきゃいけませんでした。「あら、いけないわ、ママのことを考えなきゃ。だいいち飛べないもの」
「教えるよ」
「まあ、飛ぶのは素敵でしょうね」
「風にのって飛ぶ方法を教えるよ。そうすると、うんと遠くまでいけるよ」
「あらまぁ」ウェンディは大喜びして声をあげました。
「ウェンディ、ウェンディったら。あんなちっぽけなベッドで寝ている間に、僕と一緒に飛び回って星に楽しいことをささやいたりできるんだよ」
「まあ」
「そのうえ、ウェンディ、人魚もいるんだよ」
「人魚ですって、尾っぽのある?」
「とても長い尾っぽがね」
「まぁ、」ウェンディはさけびました。「人魚を見てみたい」
 ピーターったら恐ろしく抜け目がありません。「ウェンディ、どんなにぼくらが君のことをあこがれてるか!」なんて言うのです。
 ウェンディは、困って体をもじもじさせました。まるでなんとかがんばって、コドモ部屋に残ろうとしているみたいでした。
 でもピーターは、容赦はしません。
「ウェンディ」ピーターは続けます。卑怯な手です。「夜は、ぼくらをベッドに入れてくれるよね」
「まぁ」
「夜にぼくらをベッドに入れてくれる人は、いままでだれもいなかったんだよ」
「まぁ」といって、ウェンディは手をピーターの方に伸ばしました。
「君はぼくらの服を縫って、ポケットを作ってくれるよね。僕らはだれもポケットをもってないんだ」
 ウェンディは、どうやって抵抗すればよかったのでしょう? 「もちろんよ、ものすごく魅力的だわ」ウェンディはそういうと「ピーター、ジョンとマイケルにも飛び方を教えてくれるわよねぇ」と頼みました。
「君がそうして欲しいならね」ピーターはあまり関心なさそうにいいました。そして、ウェンディはジョンとマイケルのところにかけより、体をゆすりました。「おきなさい」ウェンディはこういいました。「ピーターパンがやってきて、飛び方を教えてくれるのよ」
 ジョンは目をこすって、「それならおきるよ」と言いました。もちろん床の上にいたのですが、「おはよう、おきたよ」と言ったのでした。
 マイケルもこのときまでには起きていました、六枚の刃とのこぎりがついているアーミーナイフみたいにいっそう厳しい目で、状況を見守っていたのです。でも、ピーターが突然静かにするように合図しました。みんなの顔には、オトナの世界の音に耳をすますコドモの抜け目のなさが見てとれます。しーんと静まりかえっていますし、何事もないのでした、いやまって、逆です、何事もないどころじゃありません、ナナです。宵のうちはずっと悲しげにほえていましたが、今はすっかり静かでした。ナナの方からは、物音ひとつ聞こえてこないのでした。
「明かりを消して、隠れろ、早く」ジョンがいいました。冒険全体を通じて、ジョンが命令を下したのはこのときだけだったんですが。そしてナナをつれてリザが入ってきた時、コドモ部屋はまったくいつもどおりで、真っ暗で、誓ってもいいですが、聞こえるのは三人のまるで寝ているかのような天使のようなねいきだけでした。実際には、窓のカーテンの後ろから上手くねいきをたてる真似をしていたのでした。
 リザの機嫌は最悪でした。台所でクリスマスプディングを混ぜ合わせていたのに、ナナのばかげた疑りぶかさのせいで、レーズンをほおにつけたまま、プディングから引き離されてきたのです。リザは、ナナを静かにさせる一番の方法は、ちょっとの間でもナナをコドモ部屋につれて行くことだ、と思ったのでした。もちろんくさりはつけたままです。
「それごらん、おまえはホントに疑りぶかいよ」リザは、ナナが罰をうけていることもかわいそうとは思っていなかったので、そう言いました。「みんな無事だろ、そうだよ。あの小さい天使みんなが、ベッドでぐっすりねてるよ。ほら、あのやすらかなねいきを聞いてごらん」
 それでマイケルがごまかせているのに気をよくして、あんまり大きく息をたてたので、もう少しでばれちゃうところでした。ナナはごまかしてるねいきを先刻承知だったので、リザがくさりを引っ張るのから逃れようとしました。
 でもリザはなにもわかっていません。「もうだめだったら、ナナ」リザはナナを部屋から引きずり出しながら、厳しくいいました。「言っとくよ、もう一回ほえたら、ご主人様のところへ行って、パーティから帰ってきてもらうから。それから、まぁご主人様は、おまえをひどくむちでうつだろうねぇ」
 リザは、かわいそうにナナをまた縛りつけました。でもナナがほえるのをやめると思いますか? ご主人様をパーティからつれもどさなきゃ。そう、それこそナナがまさに望んでたことでした。乳母である自分にまかされたコドモ達が無事でありさえすれば、ナナがむちで打たれるかどうかなんて気にしたと思いますか? 残念なことに、リザはクリスマスプディングに取りかかってしまい、ナナはリザからは助けが期待できないと知ると、くさりをひっぱりにひっぱって、ついにひきちぎりました。その次の瞬間には、二十七番地の食堂に飛び込むと、前足二本を天まで届くくらい高く上げました。これは、ナナがものを伝えたいときにもっとも強く感情を訴える方法なのでした。パパとママはすぐに恐ろしいことがコドモ部屋で起こっていることを知り、招待されたお宅の奥さんにさようならもいわずに道に駆け出しました。
 でも三人の悪い子たちがカーテンの陰でねいきを立てている真似をしてから、ゆうに十分は経っていましたし、ピーターパンには十分もあればいろいろできちゃうのでした。
 さあコドモ部屋にもどってみましょう。
「大丈夫だ」ジョンが隠れてた場所から姿をあらわして、知らせました。「ねえ、ピーター、ホントに飛べるの?」
 わざわざ答える代わりにピーターは、マントルピース(だんろの上にあるかざり)をつかんだりしながら、部屋中を飛びまわりました。
 ジョンとマイケルは「すっごいなぁ」といい、
 ウェンディは「すてき」とさけびました。
「あぁ、ぼくはすてきなんだ、すてきなんだ」ピーターはまた礼儀正しくするのを忘れて、そういってます。
 飛ぶのは、楽しくなるほど簡単にみえました。コドモたちが床からベッドまで飛ぼうと最初に試してみたんですが、どうしても飛ぶどころか床に落ちてしまいます。
「ねぇ、どうやって飛ぶの?」ジョンが、ひざをさすりながら尋ねました。ジョンはなかなか賢い子ですから。
「ただ、すてきですばらしいことを考えるだけだよ」ピーターは、そう説明しました。「そうすると空中に浮くんだ」
 ピーターは、ふたたび飛ぶのを見せてあげました。
「君は速すぎるよ」とジョンは言いました。「もっとゆっくり飛んでくれない?」
 ピーターは、ゆっくりとすばやくの両方飛んで見せました。「わかったよ、ウェンディ」ジョンはいいました。でもすぐに飛べないことがわかりました。三人のうち、だれ一人として少しも飛べませんでした。マイケルでさえ二音節の言葉を知ってて、ピーターときたらAからZさえも知らなかったにもかかわらずです。
 もちろん、ピーターはみんなをからかって遊んでいたのでした。妖精の粉をふりかけられずに、飛べる人なんていません。幸運なことに、前にもお話しした通り、ピーターの片手には粉がついてたので、めいめいに粉をすこしずつふりかけてあげました、すると素晴らしいことに、
「さて肩をこういうふうに震わせてごらん、そして飛ぶんだ」とピーターは言いました。
 みんなベッドの上にいて、勇敢なマイケルが最初に飛びました。正確にはマイケルは飛ぶつもりはなかったのですが、飛んじゃったのでした。そして、すぐさま部屋をよこぎりました。
「飛んだよ」まだ空中にいる間から、マイケルは叫びました。
 ジョンも飛びあがり、浴室のそばでウェンディと顔を見合わせました。
「なんてすてきなの」
「すごいや」
「みてよ」
「みろよ」
「みて」
 みんなは、ピーターほど優雅というわけではありません。少し足でけらなければならなかったのです。一方頭は天井にぶつかってふらふらしました。ただ、これほど愉快なことはありません。ピーターは、最初ウェンディに手を貸してあげましたが、やめなければなりませんでした。ティンクがカンカンに怒るのです。
 三人は上下にくるくる飛びまわりました。天国にいるみたいとウェンディはいいました。
「さあ、」ジョンはいいました。「外にいこうよ」
 もちろんピーターがコドモ達を誘惑してたのは、このことです。
 マイケルは、今にも行きそうです。一兆マイルをどれくらいでいけるのか、知りたくて知りたくてたまらなかったのでした。でもウェンディは躊躇していました。
「人魚だよ」ピーターは再び言いました。
「まぁ」
「海賊もいるよ」
「海賊だって」ジョンは、お出かけ用の帽子をつかみながら叫びました。「すぐいかないと」
 パパとママがナナと一緒に二十七番地をでたのは、ちょうどそのときでした。通りの真ん中まで駆け出して、コドモ部屋の窓を見上げました。そうです、まだ閉まっています。でも部屋は明かりでこうこうと照らされていました。それはとにかく心臓をわしづかみにされたようなびっくりさせる光景でした。カーテンに映った影で、三人の寝巻きをきた小さな姿がくるくる回っているのが見えたのでした。しかも床の上ではなく空中を。
 三人の姿ではありません、四人です。
 ぶるぶる震えて、パパとママは通りに面したドアを開けました。パパは階段を駆け上がりました、でもママはパパに落ち着いていくように身振りでしらせ、自分も落ち着くようにしていました。
 コドモ部屋には間に合ったのでしょうか。間に合ったのなら、どんなにパパとママは喜んだことでしょう。わたしたちみんなも安堵のため息をつくことでしょう。でも、それじゃあお話にならないんです。とはいっても、間に合わなくても私は神にちかって、オシマイにはなにもかも上手くいくことは約束します。
 もしあの小さな星達がパパとママを見張っていなければ、コドモ部屋に間に合ったかもしれません。もう一度星達が窓を息で開けて、あの一番小さい星が大声で叫びました。
「逃げて、ピーター」
 それでピーターは一刻の猶予もないことを知り、「来いっ」と命令すると、すぐに夜の闇へ飛び出して行き、ジョンとマイケルとウェンディが続きました。
 パパとママとナナが、コドモ部屋に駆け込んだのは遅すぎました。小鳥たちは飛び去ってしまいました。

[#2字下げ]四章 フライト[#「四章 フライト」は中見出し]

 二つ目の角をまがって、あとは朝までまっすぐ。
 ピーターがウェンディにいうには、これがネバーランドまでの道のりなのです。でも鳥たちでさえ、地図を持って風の曲がり角で道をしらべても、こんな案内じゃとてもネバーランドを見つけることはできなかったでしょう。ピーターはごぞんじのように、頭に浮かんだことはなんでもすぐ口にだしちゃうのです。
 初めのうちは、ウェンディ達はピーターのことを盲目的に信頼していました。そして飛べることに大喜びだったので、気に入った教会の尖塔やその他の高い建物をぐるりとまわったりして道草をしていたのでした。
 ジョンとマイケルは競走をして、マイケルが先にスタートしました。
 しばらく前に部屋をくるくる飛び回ったぐらいで自分達はすごい、なんて考えたことをはずかしく思い返すぐらいでした。
 でもしばらく前って、どれくらい前なんでしょう? こう考えてウェンディが真剣に悩みはじめる前に海をこえました。ジョンが考えるには、二回目の海で三回目の夜ということなのでした。
 暗くなったり、明るくなったり、とても寒くなり、またとても暖かくなりました。時々本当におなかがすいたのか、それとも単にそんな気がするだけなのかわからなくなりました。というのもピーターは、いままでみたこともなかったような本当に楽しい方法でご飯を食べさせてくれたからです。ピーターの方法ったら、人間が食べられる餌を口にくわえている鳥を追いかけてひったくるのです。すぐに鳥は追いかけてきて、餌を取り戻します。それからみんなで何マイルも、楽しそうに追いかけっこをするのでした。しまいにはお互いに楽しかったよなんて言って、別れるのでした。けれどウェンディは少し疑わしくも思いました。つまりピーターがこんな風にして食べ物を手に入れるのがかなりおかしな方法だってことを、いいえそもそも他に方法があることすら知らないんじゃないか、ということに気づいていたのでした。
 ウェンディ達が眠たい気がするだけではなかったのは、確かなことでした。実際に眠たかったのです、あぶないことに。しばらくするとすぐ眠りに落ちて、落下してしまうのでした。恐ろしいことにピーターは、それすらおもしろいやなんて思ってたのでした。
「また落ちてくや」マイケルが突然石みたいに落下していった時、ピーターは上機嫌で叫びました。
「助けてやって、助けて」ウェンディは、恐ろしい海がはるか下にあるのを恐怖に震えながら見て、叫びました。ついにはピーターは空中を急降下して、マイケルが海に打ちつけられる寸前に捕まえました。ピーターったらなんて上手くやったことでしょう。ただあなたも感じるように、ピーターの興味の先はあくまで自分の手際のよさで、人の命を救ったなんてことではなかったのでした。ピーターはヘンカにとんでいることが大好きで、一時期ある遊びに熱中してたと思えば突然にして興味を失ってしまうので、次に落下したときには助けないでそのままほっとくなんてことも十分にありえることなのでした。
 ピーターはといえば、単に仰向けにねて浮いてるだけで、空中で落下せずに眠ることができました。ただ少なくとも、その理由の一部は、もしピーターの後ろにまわりこんで吹き飛ばしたら、すばやく飛んでいってしまうくらい軽かったということなんですが。
 みんなで「隊長につづけ」で遊んでいるときに、「もっとピーターに礼儀正しくしなきゃ」とウェンディがジョンにささやきました。
「なら、やつにも見せびらかすのはやめろっていって」とジョンは言い返しました。
「隊長につづけ」で遊んでるとき、ピーターは海すれすれに飛んで通りすがりにさめの尾っぽにタッチするのでした、まるで道を歩いているときに、鉄の柵に指を走らすように。ジョン達はこの遊びでは、それほど上手くはピーターにつづけませんでした。そしてたぶん、ピーターがうしろで見ていて、ジョン達がいくつ失敗したかを数えてたりするのが、どちらかといえば見せびらかしみたいに見えたのでしょう。
「ピーターに親切にしなきゃだめよ」ウェンディは、二人の弟に念をおしました。「ピーターが、わたしたちをおきざりにしたらどうすればいいの?」
「家にかえればいいよ」とマイケルは言いました。
「どうやってピーターなしで、家までちゃんと帰れるの?」
「まあ、とにかく飛んでいけばいいよ」ジョンは言いました。
「ひどいもんね、ジョン、わたしたちは飛びつづけるしかないのよ。なんてったって、どうやってとまればいいか知らないのだもの」
 これは本当のことでした。ピーターは、止まり方を教えるのをすっかり忘れていたんです。
 ジョンは最悪の場合でも、しなきゃいけないのはまっすぐ飛ぶことで、そうすれば地球は丸いから、そのうちわが家のあの窓のところに帰れるにちがいないなんて言うのでした。
「だれが食べ物をとってくるの、ジョン?」
「ぼくはあのわしの口から、とっても手際よく餌をかすめとったでしょ。ウェンディ」
「二十回も挑戦してやっとね」ウェンディは、ジョンに注意してやりました。「でも食べ物は大丈夫だとしても、もしピーターが近くにいて手を貸してくれなかったら、どれほど雲なんかにどすんどすんってぶつかっちゃうか分かるでしょう」
 確かにウェンディ達は、ぶつかってばかりでした。もうしっかりと飛ぶことはできましたけど、まだ足でけりすぎてしまうのでした。もし前方に雲が見えると、よけようとすればするほど、確実にぶつかってしまうのです。このときナナがいっしょにいたら、マイケルの額に包帯を巻いたことでしょう。
 ピーターは今のところウェンディたちとは一緒にいなかったので、三人だけだとかなり心細く感じました。ピーターはウェンディ達よりかなりはやく飛べたので、突然どこかにいなくなって、一人だけで冒険をしてきたりするのでした。ピーターは星と話し、おもしろいやと笑いながら空から降りてくるのでしたが、なにがおもしろかったのかは忘れてしまっているのです。また人魚のうろこを体につけたまま、海から上がってくることもありました。ただ、何があったのかはっきりとは言えないのでした。人魚を見たこともない三人にとっては、本当にいらいらさせられることでした。
「でもこんなにすぐ忘れちゃうってことは、なんでわたし達のことはちゃんと覚えていられるっていえるのかしら?」とウェンディは弟たちに説明しました。
 確かに、戻ってきたときにピーターは、ときどきウェンディたちのことを覚えていないのでした、いや少なくともきちんと覚えてなかったってことです。ウェンディは、それは確かだと思っていました。ピーターがウェンディ達に時刻を知らせて通りすぎて行こうとしてた時に、初めて思い出すような姿をウェンディは気がついていたのでした。
一度なんて、ウェンディはピーターを名前で呼ばなければならないくらいでした。
「わ・た・しはウェンディよ」と動揺しながら言いました。ピーターは大変すまなく思って、「ちゃんとウェンディっていうよ」と彼女にささやきました。「もしぼくが君のことを忘れてるようにみえたら、いつでも“わたしはウェンディよ”っていいつづけてくれさえすればいいよ。そうしたら、すぐに思い出すから」
 もちろんすごく不安たらありません。だけど埋め合わせに、ピーターはこれからの道のりで、どうやって吹き荒れるつよい風の中で横になって寝るのかをウェンディたちに見せてくれました。そしてこれはとても楽しいことだったので何回も試してみて、それから安全に眠れることがわかりました。実際、ウェンディ達はぐっすりとねむっていたのに、ピーターはすぐ寝てるのに飽きて、すかさず船長が命令するような声で「さあ出発だ」と号令をかけるのでした。そしてちょっとしたこづきあいや全行程をつうじた浮かれ騒ぎの果てに、ネバーランドの近くまでやってきたのでした。何ヶ月もかかってとうとうたどりついて、おまけに始終まっすぐ飛んできたのです。でもたぶんピーターとティンクの案内のおかげというよりは、むしろネバーランドが彼らをみつけてくれたんでしょう。つまり、それこそがネバーランドの魔法の岸を見られるたった一つの方法なのです。
「ほらごらん」ピーターはやさしくいいました。
「どこ、どこ」
「矢印が指し示しているところだよ」
 実際、コドモ達のために百万の金の矢印が島を指し示しており、その矢は全て友達である太陽が指し示してくれたものでした。太陽はコドモ達に夜になって太陽がいなくなっても、道をはっきりさせておいてくれたのでした。
 ウェンディとジョンとマイケルは、島を最初にみるために空中でつま先立ちしていました。不思議なことに、みんなが同時に島をみることができて、島をみて歓声をあげました。そのうちに恐れをなすことになるのですが。それは長い間夢見たものをとうとう見つけたからというよりは、むしろ休暇で故郷へ帰って仲のいい友達に会うようなものだったのでした。
「ジョン、さんご礁に囲まれた海よ」
「ウェンディ、砂浜に海がめが卵をうめてるのをみてごらん」
「ジョン、わたしはフラミンゴが片足を折っているのを見たわ」
「マイケル、みてごらん、おまえの洞窟よ」
「ジョン、あのやぶのなかには何がいるの」
「子連れのおおかみだよ。ウェンディ、絶対に姉さんのコドモおおかみだよ」
「私のボートがあるわ、ジョン、脇に穴があいてるけど」
「ちがうよ。だって、ボートは燃やしたもの」
「あれはボートだわ、とにかく。ジョン、わたしはインディアンがキャンプしているときの煙をみたわ」
「どこどこ、教えてよ、そしたら煙の立ち上り方で戦いに出かけるところかどうか教えてあげるから」
「そこよ、不思議な川の向こう側よ」
「見えるよ、そうだ、まさに戦いに出かけるところだよ」
 ピーターは、三人があまりに物知りなのでちょっとむっとしたんですけど、三人にいばりちらしたいのならお茶のこさいさいでした。なぜなら、すぐに三人に恐ろしいことが起こるってことを言ってませんでしたっけ? 
 矢印は消えて行き、島は暗闇につつまれました。
 家にいたころには、いつもネバーランドは薄暗く、就寝時間におびやかされているようにみえはじめたものでした。そしてまだ探検されていない部分が、ネバーランドの中から生まれてきて広がり、暗い影がそこでうろつき、餌食になったけものの叫び声も今や全く違うものです。そしてあなたは、なにより勝てるという気持ちをなくしてしまって、ナイトライトがついてて本当によかったなんて思うのでした。ナナがこれはこちらのだんろのかざりみたいなもので、ネバーランドなんて全部つくりごとなんですよ、なんていってくれるのさえ好ましく思うのでした。
 もちろん当時は、ネバーランドはつくりごとでしたが、今や現実のものなのでした。そしてナイトライトはないし、刻一刻と暗くなっていくのでした。そしてナナはどこにいるのでしょう? 
 コドモ達は離れて飛んでいたのですが、今はピーターの近くに集まりました。ついにピーターの無頓着な態度もすっかり消え、目はかがやきました。そしてぞくぞくする興奮が、ピーターの体にさわるたびに伝わってきます。いまやぞっとするような島の上にいて、あまりに低く飛んでいたのでときどき足に木がかるく触れるくらいでした。空中には、恐ろしいものはなにもみえなかったのですが、歩みはゆっくりになり、苦労して進むのでした。それはまるで敵の軍勢の中をすすんでいくようなもので、ときどきピーターが空中をこぶしでなぐるまで、空中でただよって待っているのです。
「やつらは、ぼくらを上陸させたくないんだ」ピーターは説明しました。
「やつらって?」ウェンディは、身震いしながらささやきました。
 でもピーターは言えないのか、言いたくないのかだまっています。ティンカーベルは、ピーターの肩で寝ていましたが、ピーターが起こして先導させました。
 ときどきピーターは空中で立ち止まって、耳に手をあて熱心に耳をすませました。そして再び、地球に二つ穴があくくらいぎらぎらした目でにらみつけるのでした。そうしてから、また進み始めるのです。
 ピーターの勇気は、かえってあきれるくらいのもので、「冒険かい、それともお茶かい?」なんて気軽にジョンに尋ねました。
 ウェンディは「お茶にしましょうよ」とすばやく答えました。そしてマイケルが賛成するように、ウェンディの手をにぎりました。でももっと勇敢なジョンは、躊躇したのでした。
「どんな冒険?」ジョンは用心しながら尋ねました。
「僕らの真下には大草原があって、海賊がひとりねてるんだ」ピーターはジョンにいいました。「もし君がそうしたいのなら、下に降りてって、やつを殺そう」
「みえないよ」ジョンは、しばらくして言いました。
「みえるさ」
「海賊が目をさましたら、」ジョンはちょっとかすれた声でいいました。
 ピーターは憤然として言いました。「僕が海賊が寝てる間に殺すなんて思ってるんじゃないだろうね。まず起こすんだ、それから殺す。それが僕のいつものやり方さ」
「そうなんだ、おおぜい殺したの?」
「やまほどね」
 ジョンは「なんてすごいんだ」なんていいながら、まずはお茶にすることにしました。ジョンがピーターに、いま島に海賊はたくさんいるのと尋ねると、ピーターはそんなに大勢いるかどうかは知らないなと答えました。
「今はだれが船長なの?」
「フック」ピーターは答えました。そのいやな言葉を口に出すと、顔がけわしくなりました。
「ジェームズフック?」
「そうだ」
 それを聞くとマイケルは泣き出してしまいましたし、ジョンでさえつばを飲みこみながら口をきくのがやっとでした。なぜなら二人ともフックの評判を知っていましたから。
「フックは、海賊黒ひげの甲板長だったんだよ」ジョンはかすれた声でささやきました。「フックがやつらのなかでも一番悪い奴なんだ。バーベキューでさえフックだけはこわがってたんだから」
「そう、やつだ」ピーターは言いました。
「どんなやつなの? 大きい?」
「昔そうだったほどでもないな」
「どういう意味なの?」
「ちょこっとちょんぎってやったのさ」
「君が?」
「もちろん僕がだ」ピーターはとげとげしく答えました。
「失礼な意味でいったんじゃないんだ」
「ああかまわないよ」
「でもどれくらいちょんぎったの?」
「右手をね」
「じゃあもう今はフックは戦えないんだね」
「いや戦えないどころか!」
「左ききなの?」
「右手の代わりに鉄のカギをつけたのさ、それでひっかくんだぜ」
「ひっかくだって!」
「僕がそういっただろ、ジョン」とピーター。
「はい」
「アイアイサーというんだ」
「アイアイサー」
 ピーターは続けました。「僕の手下の男の子はひとつだけ約束しなきゃいけない、君もだ」
ジョンは青ざめました。
「それはこういうことさ、野戦でフックと出会ったら、フックは僕にまかせなきゃいけない」
「約束します」ジョンは忠実に答えました。
 しばらく、あんまりぞっとした感じがしなくなりました。というのもティンクが一緒に飛んでくれて、ティンクの明かりでお互いの姿が見えたからです。残念なことにティンクはみんなほどゆっくりは飛べなかったので、動いているみんなのまわりを円をかいてくるくるまわらなければなりませんでした。それはまるで光の円の中にいるようで、ウェンディはとてもそれが気にいりましたが、しまいにはピーターがまずいと言いだしました。
「ティンクがいうには、海賊たちが暗くなる前に僕らをみつけて、艦載砲をもちだしてくるんだって」
「あの大砲のこと?」
「うん、もちろんティンクの明かりをみつけるに違いないし、僕らが近くにいるなんて思ったら間違いなくぶっぱなすよ」
「ウェンディ」
「ジョン」
「マイケル」
「ティンクにすぐどっかに行くように言ってよ、ピーター」三人は同時にさけびました。でもピーターは断固拒否しました。
「ティンクは、ぼくらが道に迷ったと思ってるんだ」とかたくなに答えました。「ティンクもかなりこわがってるんだよ。まさかこわがってるティンクを、ぼくが一人でどこかに行かせるなんて思ってないだろうね」
 そのとき光の輪がみだれて、なにかがピータをやさしくちょっとつねりました。
「じゃあ、彼女に明かりを消すようにいってよ」とウェンディは頼みました。
「明かりは消せないんだよ。妖精がたったひとつできないことさ。眠ってるときだけ消えるんだ。星と同じだね」
「じゃあ、いますぐ眠るようにいえば」とジョンも注文をつけました。
「眠くならなきゃ眠れないんだ。それも妖精にはできないたったひとつのことなんだ」
「僕にしてみれば、その二つこそがする価値があることだと思うけど」ジョンはぶつぶつ不平をいいました。
 今度はジョンがつねられました。でも、さっきみたいなやさしいつねり方ではありません。
「だれかポケットをもっていればなあ」ピーターは言いました。「その中にティンクをいれて運べばいいんだけど」だけどあまりにいそいで出発してきたので、四人ともポケットのない服でした。
 ピーターにいいアイデアがうかびました。ジョンの帽子です。
 ティンクが、手で運んでくれるなら帽子で旅するのもいいわと言いました。ティンクは、ピーターに運んでもらいたかったのですが、ジョンが運ぶことになりました。しばらくしてジョンが、飛んでると帽子が膝にあたるや、なんて言いだしたので、ウェンディが持つことになりました。そしてこれが、これから見ていくように、やっかいな事へとつながっていくのでした。なぜなら、もちろんティンクはウェンディに恩着せがましくなんてされたくなかったからです。
 黒い帽子の中で光は完全におおい隠され、みんなは静かに飛んでいきました。いままで経験したこともないような全くの静けさです。遠くでぴちゃぴちゃと水を飲む音が一度、静寂をやぶりました。ただピーターがいうには、それはけもの達が浅瀬で水を飲んでいる音だということです。そして再び、木々の枝がお互いにこすれているようなぎしぎしという音が静寂を破りました。ただ、ピーターがいうには、それはインディアン達がナイフを研いでいる音だということです。
 それらの音は止みましたが、マイケルは寂しさのあまりびくびくして「なにか音がしたらなぁ」と大きな声でいいました。
 と、マイケルのリクエストに答えるように、いままで聞いたこともないようなすざまじい爆発が、空気を引き裂きました。海賊たちが、艦載砲をみんなに向けてぶっ放したのでした。
 大砲の轟音は、山々にひびきわたり、そのやまびこは、まるで野蛮人のおたけびのようでした。「やつらはどこだ、やつらはどこだ、やつらはどこだ……」
 突然おきた恐ろしいことで、三人はつくりごとの島とその同じ島が現実になったことの違いがよくわかりました。
 空がふたたび平穏をとりもどしたとき、ジョンとマイケルはくらやみのなかで、自分たちだけであること事が分かりました。ジョンは無意識に空中を歩いていて、マイケルときたらどうやって浮いてるかもしらずに浮いています。
「うたれたか?」ジョンは、びくびくしながらささやくと、
「まだみたい」マイケルもささやき声で答えました。
 わたしたちは、今やだれも撃たれていないことはわかってます。しかしながらピーターは、海のはるかむこうの方まで、爆風で運ばれて行ってしまいましたし、一方ウェンディはといえば、一人で、ティンカーベルは一緒ですけど、上空にふきとばされました。
 ウェンディにしてみれば、撃たれたときに帽子も落っことしちゃえばよかったんですけど。
 そんな考えが、突然ティンクに浮かんだのか、来る途中にすでに計画していたのかは知りません。だけどティンクは、すぐに帽子から飛び出してきて、ウェンディを破滅へと誘惑するのでした。m
 ティンクは、根っから悪い妖精というわけではなかったのですが、いやどちらかといえば、今は根っから悪い妖精なのでした。でもこの反対で、時々は根っからいい妖精になるのでした。 妖精というものは、あるもの、あるいはそうでないもののどちらかにしかなれないのです。なぜならとても小さいので、残念なことに一度には一つの感情しか入る余地がないのです。もちろん変わることはできますが、完全に変わることしかできないものなのです。今のところティンクは、ウェンディへの嫉妬でいっぱいでした。ティンクが愛らしくベルをならすように言ったことは、もちろんウェンディには理解できませんでした。わたしもそのいくつかはひどい言葉だったと思いますが、とてもやさしく響いたし、行ったり来たり飛んでいたので、それはまるで「ついてらっしゃい、心配ないから」なんて意味みたいに思えたのでした。
 かわいそうなウェンディ、他にどうできたというのでしょうか? ピーター、ジョン、マイケルの名前を呼びましたが、返事として聞こえてくるのはからかうようなこだまだけでした。ウェンディは、ティンクが自分のことを、まさに大人の女の人が憎むぐらいの残忍さで憎んでるなんて、まだ思いもよらなかったのでした。そして途方にくれて、よろめくように飛びながらもティンクの後をついて、破滅への第一歩を踏み出したのでした。

[#2字下げ]五章 ネバーランドが現実に[#「五章 ネバーランドが現実に」は中見出し]

 ネバーランドはピーターが帰ってきたことを感じて、再び活っ気づいたのでした。本当は「活気づいたのでした」といわなければならないのですが、「活っ気づいたのでした」という方がピーターらしくていいんです。
 ピーターがいないと島は静かなものです。妖精たちは朝は一時間よけいに寝ぼうしますし、けもの達は自分のコドモの世話をします。インディアンたちは六日間昼夜をとわず食事をたっぷりとりますし、海賊と迷子の男の子達が出会っても、お互いにばかにしあうだけなのでした。けれども、とにかく静かにしてることにガマンできないピーターが帰ってくると、みんな再び前に進み始めるのがつねでした。今地面に耳をおしあてれば、島全体が生命のいぶきでわきかえっているのが聞こえることでしょう。
 その夜、島の主だった軍勢はこのようになっていました。迷子の男の子達は、ピーターを捜しに外に出ていました。インディアン達は海賊たちを捜しに、海賊たちは迷子の男の子達を捜しに、けもの達がインディアン達を捜しに、それぞれ外に出ていたのでした。くるくる島をまわっていたのですが、みんなが同じ速度でまわっているので、決して出会うことはなかったのでした。
 男の子達以外は血に飢えており、いつもは男の子達も血を好むのでしたが、今夜ばかりは隊長を出迎えにでていたのです。ネバーランドの男の子達は、もちろん数もヘンカしています、というのも殺されたりしてるからなんです。大人になったように見えるとルール違反ですから、ピーターが数を少なくしちゃうのでした。今は男の子達は双子を二人として数えてですが六人いました。さとうきびの間に横たわったように見せかけて、男の子達が短剣に手をかけて、一列でそばにこっそり近づいてくるのを見てみましょう。
 男の子達は少しでもピーターらしく見えることはピーターから固く禁止されていましたから、自分たちで殺した熊の毛皮をきていました。すると男の子たちは丸々と太って毛むくじゃらになり、足をすべらすと転がってしまうのです。だから、男の子達の足取りは非常にしっかりしたものでした。
 最初に通りすぎたのはトゥートルズです、その勇敢な一団のなかでかなりの勇気の持ち主なんですが、とにかくもっとも運の悪い子でした。だれよりも経験した冒険の数が少ないのです。というのもトゥートルズが角を曲がった瞬間にいつも大事件勃発といったぐあいだし、あたりが平穏なので今がチャンスとばかりに薪用の木の枝を集めにでかけたりすると、帰ってきた時には他の仲間たちは血をキレイに掃除しているといったありさまでした。こんなに運が悪いので表情には影がありましたが、気難しくなるでもなく性格が運の悪さをやわらげて、男の子たちの中でも一番謙虚でした。なんてかわいそうなやさしいトゥートルズ、今晩きみには空中で危険がふりかかるんだよ。冒険が目の前に差し出されても、気をつけるんだよ。手を出そうものなら、奈落の底に落ちちゃうかもしれないし。トゥートルズ、妖精のティンクだよ、今夜はいたずらに熱中してて、そのお膳立てを探しているんだよ。しかもティンクは、君トゥートルズがもっともひっかかりやすいなんて思ってるんだから。「ティンカーベルには気をつけて」
 トゥートルズに、わたし達が話したことが聞こえたならいいんですが。でもわたし達は実際にこの島にいるわけではないですし、トゥートルズはこぶしをかみしめながら通りすぎていきました。
 次にくるのは、陽気で快活な男の子のニブスです、スライトリーが後につづきました。スライトリーは木から笛をつくって、自分の笛にあわせて夢中でおどるのでした。スライトリーは男の子のうちでも一番のうぬぼれやで、迷子になる前の風俗習慣なんてことを覚えてると思っていて、それで彼の鼻はあんなにいやにかたむいているのでした。カーリーが四番目です。いたずらっ子で、ピーターが厳しく「これをやったやつ、一歩前にでろ」というといつも自首しなければならなかったので、今や自分がやってるかどうかにかかわらず、命令されると自然と足が一歩前にでてしまいます。最後に双子がきますが、説明はできません。なぜなら必ず違う方のことを説明してしまうからです。ピーターも双子がどういうものか良く分かっていません。ピーターの手下としては、ピーターが知らないことを知るなんて許されないことでした。だから双子もいつもどっちがどっちか自分たちでさえあいまいで、一生懸命弁解するみたいに、なるべく二人一緒にいることで満足してもらおうとしているのでした。
 男の子達は暗闇に消え、それからしばらくして、この島では物事はきびきびしているのでそんなに長くではありません、海賊たちが男の子達のあとをつけてやってきました。姿が見える前から声がきこえてきます。いつものあの恐ろしい歌声です。

[#ここから2字下げ]
「まて、とめろ、よーほー、停船だ!
海賊さまのおとおりだい。
うたれて死んだら、地獄であおうぜ!」
[#ここで字下げ終わり]

 処刑場でも、これより悪党面したようなやつが一列にならんでしばり首になるなんてことは決してありません。まず少し先行していて、時々地面に頭をつけて物音を聞き、太い腕をむきだしにして耳には八つも飾りをつけているのは、ハンサムなイタリア人のセッコです。ガオ牢獄の刑務所所長の背中に血染めの文字でその名前を刻み込んだやつです。セッコの後ろのバカでかい黒人はある名前を捨てて以来、いろんな名前を使ってきたやつでした。その名前ときたら、黒人の母親がグアドジョモ川のほとりでコドモを脅かすのに未だに使っているくらい、ビル・ジュークスです。全身いれずみだらけで、ポルトガル金貨の袋から手を離すまでにウォレス号のフリント船長から六ダースは奪い取ったいうあのビル・ジュークス。コックソン、ブラック・マーフィーの兄弟と言われていましたが(本当のことは誰にもわかりません)。ジェントルマン・スターキー、かつてパブリックスクールの門番だったので殺し方も優雅なものでした。スカイライト(モーガンのスカイライトです)そしてアイルランドの甲板長のスメーで、腹を立てることもなく人を刺すなんて言われていて、不思議なことに温和な男でフックの船員でたった一人の非国教徒なのでした。ヌードラー、その両手をいつも背後にまわしているのでした。そしてカリブ海ではその名を知らない者はないくらい恐れられていた、ロバート・マリンズ、アルフ・メイソンとその他大勢の悪党どもがいたのでした。
 やつらの真ん中に、その暗い場面の中でももっとも邪悪でもっとも大きいジェームズフックが、自分ではJas.Hookと自分の名前をつづりましたが、横たわっていたのでした。フックは、シークックが恐れたたった一人の男であると言われています。手下が引っ張って進めている馬車みたいなものに乗ってゆったりくつろいで、右手のかわりに鉄のフックがあり、それで時々ペースをあげるために手下どもの尻をたたいたりしていました。この恐ろしい男は、イヌみたいに手下どもを扱い命令を下し、手下どももイヌみたいに従うのでした。容姿はといえば死人みたいな暗い顔つきで、髪ときたら長い巻き毛にしており、その髪はちょっと離れたところから見ると黒いろうそくみたいで、ハンサムな顔立ちにひどく人をおどすような印象を与えていました。すばやく右腕のフックをあなたに見舞う時を除いては、目はワスレナグサみたいなブルーで深い憂いに満ちています。ただ右腕のフックを見舞うようなときには、目の中に二つの赤い点があらわれ、身の毛もよだつ炎を燃え上がらせたのでした。態度といえばどこか偉大な君主みたいなところにこだわっていて、空中にいるうちにあなたを引き裂いたりするのでした。フックは評判になるほどの話し上手だと言われていましたし、礼儀正しいときほどもっとも残酷なときで、それこそたぶんフックが本物の礼儀作法を身につけているということの証明になるのでしょう。ののしってるときでさえ、フックの言葉使いの優雅な事ときたら、態度に気品があるのと同じように、他の船員とはひときわちがった気質の持ち主であることを示していました。不屈の勇気をもった男にも、ひとつだけは後ずさりするようなものがあるといわれていますが、フックにとってそれは自分の血を見ることでした。その血はどろどろしており、ふつうとは違った色なのでした。正装する時は、フックはチャールズII世の名前を思わせるような衣装をいくぶん真似していましたし、若い頃にはあの不幸な運命のスチュアート王家の人々をほうふつとさせるだなんていわれていたのを聞いたものでした。口には、自分で発明した同時に二本ハマキがすえるパイプをくわえていました。でもなんといってもフックの体の部分でもっとも恐ろしいのは、疑いなく鉄のカギヅメでした。
 フックがどうやって人を殺すのかを見るため、海賊を一人血祭りにあげてみましょう。スカイライトがいいでしょう。通りすぎて行くときにスカイライトがうかつにもフックの方によろめいて、フックのレースのカラーにしわをつけてしまいました。右腕のフックが宙を舞い、引き裂く音と悲鳴がひとつ、そして死体は脇へ蹴りとばされ、海賊たちが通りすぎていきます。フックが口からハマキを離すことさえありません。
 ピーターが立ち向かうのは、こんな恐ろしい男でした。どちらが勝つでしょうか。
 海賊たちのあとをつけてぬきあしさきあしで、慣れない者の目には決して見つけられない戦の道を、音もなくインディアン達がみんな目ん玉をひんむいてやってきました。インディアン達はトマホーク(石でできたおの)とナイフをもっています。はだかの体には模様とオイルがてかてかと光っていて、自分たちの周りには頭皮をじゅずつなぎにして並べていました。頭の皮は、男の子達のものもあれば、海賊たちのものもありました。なぜこんなことをするのかといえばピカニニ族だからで、もっと臆病なデラウェア族やヒューロン族と間違えられちゃたまらないからでした。先頭で四つんばいなのは、グレート・ビック・リトル・パンサーです。とても勇敢であんまり多くの頭皮をはいでいるので、今の姿勢のまま前進するのには頭皮がすこし邪魔っけなくらいでした。しんがりを務めるのは、なんといったって一番危険な場所ですから、タイガーリリーでした。誇らしげにまっすぐ立ち、生まれながらにして王女でした。リリーは色の黒い森の女神達の中でももっとも美しく、ピカニニ族一番の美人でした。コケティッシュだったり冷たかったり色っぽかったりと、ころころ態度を変え、このわがまま娘を妻にと願わない勇者は一人としていませんでした。しかしいくさ斧でもって、だれかと結ばれるのを避けているのです。まったく音をたてずにインディアン達が落ちてる小枝の上を通りすぎていくさまに注意してみてください。聞こえるのは、ただインディアン達のややはげしい息づかいだけです。事実インディアン達はがつがつ食べ過ぎた直後だったので、すこしふとり気味でした。しばらくすれば身も引き締まることでしょうが、当面はふとり気味なのが一番の危険のもとなのでした。
 影のように登場したのと同じように、インディアン達は姿を消しました。そしてすぐにけもの達が沢山のごたまぜの行列になって、その場所にあらわれました。ライオン、とら、くま、そしてそれから命からがら逃げ出すたくさんの小さな野生動物がいました。どのけものもみんな、特に人食い動物はみな、この恵まれた島では頬と頬を寄せ合って仲良く暮らしていました。ただけもの達の舌が垂れ下がっていて、どうやら今夜は腹をすかせているみたいです。
 けもの達が通りすぎ、全員の最後に姿をあらわすのは、巨大なワニです。しばらくすると、ワニが誰を探し求めているのかわかるでしょう。
 ワニが通りすぎると、男の子達がふたたび姿をあらわしました。なぜならその行列はだれかが止まるかペースを変えるかしない限り、ずーっと続くに違いなかったからです。ただ止まるかペースをかえるとすぐ、お互いだれが強いか争いが始まるのでした。
 前方にばかり注意を払っていましたけど、後ろから危険がせまってるかもしれないなんてことは疑ってもみません。このことから、ネバーランドがどんなに現実そっくりだったかわかるでしょう。 
 最初にくるくるまわる輪から抜け出したのは、男の子達でした。男の子達は、地下のわが家のすぐ近くの芝生の上に身を投げ出しました。
「ホントにピーターが帰ってきてくれたらなぁ」と、背もとくに体の幅なんてとっくに隊長のピーターより大きかったというのに、みんなは、口々に不安がって言うのでした。
「ぼくだけだな、海賊なんてちっともこわくないのは」スライトリーは、およそみんなには好かれそうもない風に言いました。ただいくぶん遠くの方で物音がして声がさえぎられたので、急いでこう付け加えました。「でもピーターが帰ってきて、シンデレラについてなにか聞いてきてくれたかどうか教えてくれたらなぁ」
 男の子達はシンデレラの話をしていて、トゥートルズは自分のママがシンデレラそっくりに違いないって自信たっぷりでした。
 お母さんのことを話せるのは、ピーターが留守のときだけです。そんな話はばかげてるからとピーターには禁止されていたのでした。
「僕がお母さんについて覚えているのは、」ニブスは言いました。「お父さんによくこう言ってたことだなぁ。“自分の小切手帳があればねぇ”だって。小切手帳ってなんだか知らないけど、お母さんにあげられるなら一つあげたかったなぁ」
 話している間にも、遠くで物音がしたのが聞こえました。森で野生で暮らしているものでもなければ、わたしやあなたにはなにも聞こえなかったことでしょう。でも男の子達には聞こえたのでした、こわーい歌です。

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「よーほー、よーほー、海賊暮らしは
どくろと骨の旗だぜ、たのしいじゃねぇかっ
あさ縄もって、海神ばんざい!」
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 すぐさま迷子の男の子達は、あらどこでしょう、すでにもうそこにはいませんでした。うさぎでさえこんなに早く姿を消せなかったことでしょう。
 どこにいるかをお教えしましょう。ニブスを別にして、ニブスは見張りをするために駆けだしていったのでしたが、男の子達はすでに地中の家にいました。とてもすごしやすい住居でしばらくしたらもっと詳しくみてみることにしましょう。でもどうやってそこまで行ったのかって? 入り口は見当たらないし、大きな石ひとつさえありません。もしそうなら石をどければ、どうくつの入り口が姿をあらわしたなんて事になるかもしれません。でも近寄って見てみると、七本の大きな木がここにあるのに気づくでしょう。それぞれには、男の子と同じ大きさの穴が木の幹の中にあったのでした。地中の家には七つの入り口があり、フックはいく夜もこの入り口を探していたのですが、見つかりませんでした。さて今夜はみつけられるのでしょうか? 
 海賊たちが進んで行くと、スターキーのすばしっこい目が、ニブスが森へ姿を消すのをとらえました。そしてすぐにピストルをさっと取り出したのですが、鉄のカギがスターキーの肩を押しとどめました。
「船長、放してくだせぇ」身もだえしながらスターキーは叫びました。
 さあフックの声を聞くのは初めてですね、むっとした声でした。「まずピストルをしまうんだ」脅すような口調です。
「おかしらの憎んでる坊やの一人じゃねえですか? 撃ち殺せたのに」
「おう、でタイガーリリーのインディアン達にもその音は聞こえて、すぐさまやってくるぞ。頭の皮をなくしたいとでもいうのか?」
「あとをつけましょうか、船長」哀れなスメーはたずねました。「で、コルク抜きジョニーでくすぐってやるんでさぁ」スメーはなにもかもに楽しい名前をつけるのでした。そり身の短剣がコルク抜きジョニーというわけで、なぜなら傷口にそれをねじ込むからなんです。スメーの愛すべき点ならいろいろ挙げられます。たとえば殺した後なんか、武器の血をぬぐうかわりにめがねを拭いたりしてるんですsから。
「ジョニーは音がしないからに」スメーはフックに念をおしました。
「まだだ、スメー」フックは陰気に言いました。「一人じゃねぇか、俺は七人ともこらしめたいんだ。散れ、奴らをさがすんだ」
 海賊たちは木々の間に姿をけし、たちまち船長とスメーが残されました。フックは大きくため息をつくと、どうしてかはわかりませんが、たぶん夕焼けの美しさなんかがその理由なんでしょう。急にこの忠実なる甲板長のスメーに、自分のこれまでの人生を打ちあけたい欲望にかられました。フックは長々と熱心に話したのですが、スメーは少し頭が足りなかったので、話された内容がどういうことなのか全くわかっていなかったのでした。
 しばらくして、自分が口にしたピーターと言う言葉にはっとすると「とりわけだ、」フックはすっかり興奮して語りました。「やつらの隊長のピーターパンだ、わしの腕を切り落としやがった」フックは、右腕のフックを脅すようにふりまわしました。「こいつでやつの手と握手するのを長い間待ちわびてんだ、やつを引き裂いてやる」
「でも、」スメーは言いました。「わしはかしらが右腕のフックは二十本の腕に値するなんて言ったのをよく聞いてますぜ。髪をすいたりその他いろいろ日常の役にたつなんてね」
「あぁ」船長は答えました。「おまえの母親だったら、手なんかのかわりにフックで自分の子供が生まれてくるように祈るところだな」そして鉄の手を誇らしげに一瞥すると、もう一方の手をあざけりの目でみつめるのでした。それから再び眉をひそめました。
「ピーターがわしの腕をほうりなげたんだ」フックは、一瞬びくっとしながら言いました。「よりによって、ちょうど通りすぎるところだったワニに向かってな」
「わしはおかしらが妙にワニを恐がるのに時々気づいてましたよ」スメーは言いました。
「ワニが恐いんじゃない、」フックはスメーの言葉を訂正しました。「あの例のワニだ」フックは声をひそめました。「とってもわしの腕が気に入ったらしいよ、スメー。それ以来ずっと、海から海へ陸から陸へとわしを追いかけ回しとる。わしの体の残りの部分に舌なめずりしながらな」
「とりかたによっては、一種の敬意を表されてるようなもんですな」スメーは答えました。
「そんな敬意がいるものか」フックは、いらいらしながらほえるように言いました。「わしが欲しいのはだ、ピーターパンだ。元はといえばやつがやったんだ、あのワニがわしのことを好むようにな」
 フックは、大きなキノコの上に腰掛けていました。そして今や少し震えてちょっとかすれた声で言いました。「スメー、あのワニはもっと前にわしをパクリとしてたことだろうよ。でも運がいいことに時計まで飲み込みやがったのさ、中でチクタクと音がするんだ。だからわしのところまで来る前に、わしはその音を聞きつけて逃げ出すといった具合だ」フックはうつろな声で笑いました。
「いつか」スメーは言いました。「その時計も止まることでしょう、そしたらあのワニはおかしらをパクリと……」
 フックは乾いたくちびるをなめて、言いました。「ああ、そいつがわしに取りついて離れない恐怖なんだ」
 座りこんでからフックは妙にあたたかい感じがしていました。「スメー、ここはあたたかいな」とフックは飛びあがって言いました。「なんだ、どうした、あっちっち。わしはもえてるぞい」
 キノコを詳しく調べてみると、サイズといい固さといい現実の世界ではお目にかかれないようなもので、ひっこぬこうとするとすぐにひっこぬけました。なにしろ根っこがありません。もっとかわったことに、煙がすぐにたちのぼってきました。海賊たちは互いに目を合わせました。「えんとつだ」二人とも叫びました。
 まさに地下の家のえんとつを見つけたのでした。敵が近くにいるときは、キノコで煙突にふたをするのが男の子達の習慣でした。
 立ち上ってくるのは、煙だけではありません。男の子達の声も聞こえてきました。隠れ家では男の子達は安心していたので、声も大きくしてしゃべっているのでした。二人の海賊は、残忍な顔をして耳をすませました。そしてキノコを元の場所にもどし、あたりをみまわし、七本の木の穴に気づいたのでした。
「聞きましたかい、おかしら、ピーターパンはいないだなんて言ってましたな」スメーは、コルク抜きジョニーをもてあそびながらささやきました。
 フックはうなずいて長い間考えこみ、立ちつくしていましたが、ついに凍るような笑みが浅黒い顔に浮かびました。スメーは、じっとそれを待ちかまえていて熱心にこう尋ねました。「プランってやつを聞かせてくだせい、おかしら」
「船にもどってだな、」フックは、まるで歯の間から言葉をもらすかのように、ゆっくり答えました。「みどりの砂糖をたっぷりかけた、十分にボリュームのある大きなクリームたっぷりのケーキを作るんだ。この下には一つしか部屋はないだろうな、なんせえんとつが一つしかないからな。やつら頭の足りないもぐらどもには、めいめいにドアは必要ないってこともわかりゃしないんだろう。それで作ったケーキを人魚のラグーンの岸に置いとくんだ。やつらはいつもあそこらへんで人魚と遊びながら泳いでいるからな。ケーキをみつけてがつがつ食べるだろうなぁ、というのもやつらには母親がいないからな。そのクリームたっぷりの出来たてケーキを食べるのが、どんなに危険なことか分かるまい」というと大笑いを、もううつろな笑いではなく、本当に心から笑いはじめました。「はっはっはっ、やつらはおだぶつだ」
 スメーは聞けば聞くほど感心するのでした。
「わしが聞いたことある中じゃ、一番すばらしくて見事なやり方ですぞ」スメーはさけびました。そして二人は勝ちほこった気分になって踊って歌いました。

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「とめろ、やめろ、おいらが現われりゃ
恐怖でみぶっるい、フックのツメと
握手した日にゃ骨しか残んねぇやっ」
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 と歌いはじめましたが、最後までは歌えませんでした。他の物音がして、二人を黙りこませたのです。はじめそれは小さな音で、葉っぱが一枚落ちてもかき消されたかもしれないくらいでしたが、近づくにつれてはっきりとしてきました。
 チクタク、チクタク
 フックは、身震いがして片足で立ちすくんでいました。
「あのワニだ」フックははっと息をのみ飛びあがって逃げ出し、甲板長のスメーが後に続きました。
 まさにあのワニでした。今や他の海賊たちの頭皮をぶらさげていたインディアン達を追い越して、こっそりフックをつけ狙っていたのです。
 ふたたび男の子達は野外に出てきました。でもまだその夜の危険は去っていなかったのです。というのも、しばらくしてニブスが息も絶え絶えにみんなの中に駆け込んできたのでした。狼の一群に追いかけられて。追いかけている狼の舌は、口からぶらさがっていて、うなり声で身も凍らんばかりでした。
「助けて、助けて」ニブスは、転んじゃって叫びました。
「でもどうすればいい、どうすればいい?」
 そんな恐ろしい時にも男の子達がピーターのことを考えるなんて、ピーターにとってはすごく光栄なことでした。
「ピーターならどうする」みんなは同時に叫びました。
 ほぼ同時にみんなは叫びました。「ピーターなら足の間から狼を見ると思うな」
「じゃあ、ピーターのする通りにしようじゃないか」
 それこそ、狼を撃退するには一番よい方法でした。一人の男の子につづいて、みんなが体をまげて足の間からのぞきました。その次の瞬間は永遠にも思えましたが、すぐに勝ったことがわかりました。というのもそんなひどい格好で狼の方へ男の子たちが一歩でも踏み出すと、狼は尻尾をまいて逃げ出したのでした。
 さてニブスが起きあがると、他の男の子達にはニブスがまだ狼をじっと見ているように思えたのですが、ニブスが見ていたのは狼ではありません。
「すばらしいものをみたよ」とニブスが叫ぶと、みんながニブスのまわりに集まってきました。「大きな白い鳥なんだ、こっちの方へとんでくるよ」
「なんの鳥、だと思う?」
「しらないや、」ニブスはびくびくして言いました。「とってもつかれてるみたいで、飛んでて“かわいそうなウェンディ”なんてうめいてたよ」
「かわいそうなウェンディ」
「思い出したよ」スライトリーはすぐに口をはさみました。「ウェンディなんて鳥がいたっけな」
「みて、くるよ」カーリーは空のウェンディを指差しながら言いました。
 ウェンディは今まさに頭上にいて、みんなあわれな泣き声を聞きました。でももっとはっきり聞こえてくるのは、ティンカーベルのかん高い声でした。今や嫉妬にくるった妖精は、友達のフリをかなぐり捨てて、四方八方からいけにえのウェンディにむかって突進し、さわるたびにひどくつねったのでした。
「おーい、ティンク」不思議に思っていた男の子達がさけびました。
 ティンクの返事がひびきわたりました。「ピーターがウェンディをうてだって」
 ピーターが命令したことに疑問をもつなんてことはありません。「ピーターの言うとおりにしよう」単純な男の子達はいいました。「いそいで弓と矢だ」
 トゥートルズ以外はみんな木の中に飛び込みました。トゥートルズは弓と矢を携帯していました。ティンクはそれに気づいて小さな手をこすりあわせました。
「いそいで、トゥートルズ、いそいで」ティンクはさけびました。「ピーターはそれはよろこぶと思うわよ」
 トゥートルズは興奮して、矢を弓につがえました。「ティンクどくんだ」と叫ぶと弓を引いて、ウェンディは胸に矢がささりひらりひらりと地面に落ちたのでした。

[#2字下げ]六章 ちいさな家[#「六章 ちいさな家」は中見出し]

 おろかなトゥートルズは、他の男の子達が武器をもって木から飛び出してきたときに、ウェンディの死体の上に征服者のように立っていました。
「遅いね」トゥートルズは誇らしげにいいました。「ウェンディは矢で射落しちゃったよ。ピーターは僕のしたことによろこぶだろうなぁ」
 頭の上ではティンカーベルが「すっとこばか」と叫んで、一直線に飛んでいって隠れてしまいました。他の男の子達は、ティンクのいったことは聞いていません。ウェンディの周りにあつまって見ていると、森にはまったくの静けさが訪れました。もしウェンディの心臓が脈打っていたのなら、みんなに聞こえたことでしょう。
 スライトリーが最初に口火をきって、「鳥じゃないね」とおびえた声で言いました。「僕が思うに女の人にちがいないね」
「女の人?」トゥートルズは、身震いを感じながら言いました。
「僕らがこの女の人を殺しちゃったんだ」ニブスはかすれた声で言いました。
 みんな帽子を脱ぎました。
「うんわかったぞ」カーリーは、悲しみのあまり地面に倒れこみながら言いました。「ピーターがこの女の人を僕らのところに連れてきてくれたんだ」
「とうとう僕らの世話をしてくれる女の人がきてくれたのに、でも君が殺しちゃった」双子のかたわれが言いました。
 トゥートルズのこともかわいそうに思いましたが、それよりもっと自分たちのことをかわいそうに思ったのでした。トゥートルズが仲間の方に一歩近づくと、みんなは背を向けてはなれました。
 トゥートルズの顔は真っ青でしたが、今までには決して見られなかった威厳に満ちていました。
「僕がやったんだ」トゥートルズは繰り返し言いました。「女の人が夢で僕のところにやってきたときは“きれいなおかあさん、きれいなおかあさん”と言ってたのに。とうとう実際に来た時には、僕が矢で射っちゃったんだ」
 トゥートルズは力なく立ち去りました。
「行っちゃだめだよ」みんなはかわいそうに思って呼びとめましたが、「行かなくっちゃ」トゥートルズは身震いしながら答えました。「ピーターがこわいもの」
 この悲劇的なまさにその時、みんなは心臓が口から飛び出しそうになるほどびっくりする音を聞きつけました。ピーターの時を告げる声を聞いたのでした。
「ピーター!」みんながさけびました。時を告げる声はいつもピーターが帰ってきたときのしるしでしたから。
「女の人を隠さなきゃ」みんなはささやいて、急いでウェンディの周りに集まりました。ただトゥートルズは一人離れてぼうぜんと立ちつくしていました。
 ふたたび時を告げる声が鳴り響きました。そして、ピーターがみんなの前に空から登場しました。「よぉ、手下ども」ピーターはさけびました。ただ男の子達は沈んだ感じであいさつを返すだけで、再び沈黙が訪れました。
 ピーターはまゆをひそめました。
「僕が帰ってきたんだぞ」ピーターはムッとして言いました。「なんでお祭りさわぎにならないんだ?」
 みんな口は開きましたが、とても歓声をあげることはできませんでした。ピーターはみんなのそんな様子をちらっと見ると、すばらしいニュースがあると口を開きました。
「すごいニュースだ、手下ども、とうとうおまえたちみんなにお母さんを連れてきたんだぞ」
 依然としてしーんとしています。トゥートルズのドスンといった両ひざを落とす小さな音以外は。
「女の人を見なかったか?」ピーターは困ってたずねました。「こっちの方にとんできたんだ」
「ああ僕が」声がひとつ聞こえました。そして別の声が「なんて悲しい日なんだ」と。
 トゥートルズは立ちあがると「ピーター」とおちついた口調で言いました。「女の人をみせるよ」そして、他の男の子達がまだ女の人を隠そうとするので「双子うしろへ、ピーターに見せるんだ」と言いました。
 みんな後ろに下がって、ピーターに見せました。ピーターは、ちょっと見ただけではなにが起こっているのか分かりませんでした。
「死んでる」ピーターは不機嫌にいいました。「たぶん彼女自身、死んだことに恐がってるんだ」
 ピーターは女の人が見えなくなるまでおどけて立ち去って、それ以上その場所に近づかないようにしようかと思いました。ピーターがそうすれば、男の子達みんなも喜んでそれに従ったことでしょう。
 でも矢が突きささっていたのでした。矢を心臓から抜くと、手下の一団をじっと見つめました。
「だれの矢だ?」ピーターはきびしく追求しました。
「僕のです、ピーター」トゥートルズはひざまずいて言いました。
「ひきょうもの」ピーターはそういうと、矢を突きさすためにふりあげました。
 トゥートルズは逃げようとせず、胸をはだけて「突きさしてください、ピーター」と覚悟を決めて言いました。「本当に突きさしてください」
 二回ピーターは矢を振り上げましたけれど、二回とも手をおろしました。「僕には突きさせないや」ピーターは恐れをなして言いました。「なにかが僕の手をとめてるんだ」
 みんな不思議そうにピーターをみました。ただニブスはといえば、幸運なことにウェンディを見ていたのでした。
「彼女だよ、ウェンディっていう女の人だ。みてよ、彼女の腕だよ」
 すばらしいことに、ウェンディが自分の腕をあげていたのでした。ニブスはウェンディの上にかがみこむとうやうやしく耳を傾け、「ぼくが思うには、“かわいそうなトゥートルズ”って言ってるよ」と言いました。
「生きてる」ピーターは手短に言いました。
 スライトリーはすぐにさけびました。「ウェンディという女の人は生きてる」
 それからピーターはウェンディのそばにひざまづき、ピーターのボタンを見つけました。覚えてらっしゃるでしょうか、ウェンディはそれにくさりをつけて首のまわりにかけていたのでした。
「みろ、矢はこれにつきささったんだ。これは僕がウェンディにあげたキスだ。これがウェンディの命を救ったんだ」
「ぼくもキスはおぼえてるや」スライトリーはすぐに口をはさみました。「見せて、あぁ、それは間違いなくキスだよ」
 ピーターは、スライトリーの言うことは聞いていません。ウェンディがすぐによくなるように、そうしたら人魚をみせてあげられるからと願っていたのでした。もちろんウェンディはひどく弱っていたので、まだ答えられませんでしたけど、頭上からは残念がるような声が聞こえました。
「ティンクに耳をすませてごらん」カーリーは言いました。「ウェンディが生きてるもんだから、残念がってるんだ」
 それで男の子達は、ピーターにティンクが犯した悪事を言いつけなければなりませんでした。そんなにきびしいピーターはいままで見たことがありません。
「聞けよ、ティンカーベル! もうおまえとは友達でもなんでもない! 永遠に僕の前に姿をあらわすんじゃない!」
 ティンクはピーターの肩に飛んできて嘆願しましたが、ピーターははたき落としました。ただウェンディが再び腕をあげたので、ようやく態度を和らげてこう言いました。「よし、永遠にじゃなくて、まるまる一週間だ」
 ティンカーベルは、ウェンディが腕をあげてくれたことに感謝したと思います? いいえぜんぜん、感謝どころかこれほどウェンディをつよくつねりたいと思ったこともなかったぐらいでした。妖精っていうのはホントに変わっていて、妖精を良く知っていたからこそ、ピーターはよく平手打ちしたものです。
 でもこんなに弱っている状態のウェンディにどうしてあげたらいいんでしょう? 
「家まで運んで行こう」カーリーが提案しました。
「うん」とスライトリー。
「女の人にはそうするものだ」
「いやいや」ピーターは言いました。「さわるんじゃない。それじゃあ十分に礼儀正しいとは言えないんだ」
「それこそ」スライトリーは言いました。「僕が考えてたことだな」
「でもこのままここに横たえておいたら、」トゥートルズは言いました。「死んじゃうよ」
「うん死んじゃう」スライトリーは認めました。「でも他に方法がないんだもの」
「いや、ある」ピーターは言いました。「周りに小さな家を作るんだ」
 みんな大喜びでした。「いそげ」命令が下りました。「めいめい持ってるもののうち、一番いいものをもってくるんだ。家をひっかきまわせ。てきぱきやるんだ」
 その瞬間に、みんなは婚礼前夜の仕立て屋みたいに大忙しになりました。みんなはあちこち駆けずりまわって、ベッドの用意のために降りていったと思えば、薪集めのために登ってくるといった具合でした。みんなが取りかかっている時まさに姿を見せたのは、ジョンとマイケルでした。二人は地面の上をのろのろと進み、立ったまま寝て止まったり起きてみたり、一歩進んだと思うとまた寝たり、といった様子なのでした。
「ジョン、ジョン」マイケルは言いました。「起きてよ、ナナは、ジョン、ママは?」
 そうするとジョンは目をこすって、こうむにゃむにゃ言いました。「ホントだよ、飛んだんだってば」
 あなたも思った通り、二人はピーターを見つけてとてもほっとしました。
「やあピーター」二人がいうと「やあ」と友好的な返事を返しましたが、ピーターは二人のことはすっかり忘れていました。その時はウェンディのための家をどれくらいの大きさにしたらいいか、自分の足でウェンディの大きさをはかるのに大忙しだったのです。もちろん椅子とテーブルを置く場所は、残しておくつもりでした。ジョンとマイケルは、ピーターを見守りました。
「ウェンディは寝てるの?」二人はたずねました。
「そうだよ」
「ジョン」マイケルが言いだしました。「お姉ちゃんを起こして、晩ごはんを作ってもらおうよ」ただそう言った時も、他の男の子達の何人かが家を建てるための小枝を運んで駆けこんできました。「やつらを見なよ」マイケルは言いました。
「カーリー」ピーターはいかにも隊長らしい声でいいました。「そいつらにも家をつくる手伝いをさせるんだ」
「アイアイサー」
「家をたてるの?」ジョンが興奮していいました。
「ウェンディのために」カーリーはいいました。
「ウェンディのために?」ジョンは、びっくりぎょうてんして言いました。「どうして、女の子なんかのために!」
 カーリーは説明しました。「僕たちが彼女の召使だというのがその理由だな」
「君が? ウェンディの召使!」
「もちろん、おまえもだ。一緒にむこうへ行くんだ」ピーターは言いました。
 びっくりぎょうてんしている兄弟は引きずられていき、木を切ったり倒したり運んだりさせられました。
「椅子と暖炉が最初だ」ピーターはそう命令しました。「それからその周りに家をたてるんだ」
「そう」スライトリーは言いました。「それが家の建て方なんだ、思い出してきたよ」
 ピーターはあらゆることを思いつきます。「スライトリー、お医者さんをつかまえてくるんだ」なんていいだしました。
「はい」スライトリーはすぐに返事をすると、頭をかきむしりながら姿を消しました。でもピーターには逆らっちゃいけないと知っていたので、すぐにジョンの帽子をかぶって、まじめな雰囲気でもどってきました。
「どうぞ、」ピーターは近づきながらいいました。「お医者様ですか?」
 そんなときピーターと他の男の子の違いは、他の男の子達にはそれが“ごっこあそび”だってことがわかってましたけど、ピーターには“ごっこあそび”と本当のことの区別が全くつかないのでした。これは時々、他の男の子達にとってはやっかいなことで、夕ごはんを食べちゃったごっこをしなきゃいけないときなんかが、特にそうです。
 もし、ごっこ遊びを途中でやめたりしたら、ピーターに指をぴしゃりとぶたれるのでした。
「ええ、君」スライトリーは、びくびくしながら答えました。以前にぶたれた指はあかぎれになっていました。
「どうぞ」ピーターは説明しました。「女の人がとっても具合が悪くて横になっているんです」
 ウェンディは足元に横になっていました。でもスライトリーは見えないフリをしました。
「ちぇ、ちぇ、ちぇ」スライトリーは舌打ちしました。「一体どこにいるんだい?」
「むこうの空き地です」
「ガラスの体温計を口に入れないと」スライトリーは言った後、そうするフリをしました。その間ピーターはじっと待っています。ガラスの体温計を口から出すときが、ドキドキする瞬間でした。
「どんな具合です?」ピーターはたずねました。
「ちぇ、ちぇ、ちぇ」スライトリーは言いました。「これで治りましたぞ」
「うれしいです」ピーターは大きな声をだしました。
「夕方にでもまたよんでください。吸いさしつきの容器で、病人用の牛肉スープを飲ませてください」スライトリーはそう言いました。ただ帽子をジョンに返すと大きく息をはきました。それは、スライトリーが難しいことを切りぬけたときのくせでした。
 その間もずっと森では、おのの音が鳴り響いていました。居心地よく暮らすのに必要なものはすべて、ウェンディの足元に揃っていました。
 だれかが言いました。「もし彼女がどんな家が好みなのかわかりさえしたらなぁ」
「ピーター」ほかのだれかが言いました。「寝てるのに動いたよ」
「口も開いた」三人目が失礼にならないように、口の中をのぞきこみながら言いました。「かわいいなぁ!」
「たぶん寝てても歌いだすよ」ピーターは言いました。
「ウェンディ、どんな家に住んでみたいのか歌ってくれないかい」
 すぐ、目を閉じたままウェンディは歌い始めました。

[#ここから2字下げ]
「わたしはかわいい家がいい
みたことないほど小さくて
おかしな小さな赤いかべ
そして屋根はもちろん
こけで覆って緑色」
[#ここで字下げ終わり]

 この歌に男の子達は、喜びのあまりのどをごほごほ鳴らしました。というのもホントに幸運なことに運んできた小枝は赤い樹液でべたべたしていましたし、地面はあたり一面こけで覆われていたからでした。男の子達はその小さな家をガタガタ組み立てながら、急に歌い始めました。

[#ここから2字下げ]
「かべとやねのついた小さな家をつくっちゃった。
すてきなドアもつけちゃった。
ぼくらに言ってよ、ウェンディおかあさん
あとまだなにがほしい?」
[#ここで字下げ終わり]

 この歌にウェンディは欲張りにもこう答えました。

[#ここから2字下げ]
「あらホント、次にほしいのは
まわり全部をあかるいまどに、
バラがのぞき、あかんぼうたちが外をみる」
[#ここで字下げ終わり]

 こぶしの一撃で窓をつくると、大きな黄色い葉っぱをブラインドにしました。でもバラは……
「バラだ」ピーターはするどい声で命令しました。
 すぐにみんなは、壁に美しいバラを育てるフリをしました。
 あかんぼうたちは?
 ピーターがあかんぼうたちと命令する前に、男の子達はまた急いで歌いだしました。

[#ここから2字下げ]
「バラがのぞいてるようにしましたよ
あかんぼうたちはドアのところに
ぼくらはあかんぼうたちにはなれないや、
だってもう大きいんだもの」
[#ここで字下げ終わり]

 ピーターはこれはいいアイデアだとみると、すぐに自分で思いついたフリをしました。その家はホントにきれいで、ホントにウェンディは家の中で居心地が良さそうでした。もちろん家の中のウェンディの姿は見えません。ピーターは行ったり来たり、最後の仕上げを指示しながら大またで歩きました。ピーターのタカのような目をもってして、なにも見過ごすことはありませんでした。完全に出来上がったように見えたその時、ピーターは「ノッカーがドアのところにないぞ」と言いました。
 男の子達はとても恥ずかしく思いましたが、トゥートルズが靴底を提供し、すばらしいノッカーになりました。
 みんな完全に出来上がったと思いました。
 あとほんの少しでした。「えんとつがないじゃないか」ピーターが言いました。「えんとつは一本はどうしたっているぞ」
「えんとつはどうしたって一本は必要だね」ジョンはもったいぶって言いました。これを聞いてピーターはピンときて、ジョンの頭から帽子をひったくると、底をぶちやぶって屋根の上にのせました。小さな家はこんなにも立派なえんとつがついてとってもよろこんで、“ありがとう”とでも言うみたいに、帽子からすぐに煙をもくもくとはきました。
 さてこれで本当にオシマイで、あとはドアをノックするだけでした。
「身なりを整えるように、第一印象ってのがすごく大切なんだ」
 ピーターは第一印象ってなに? と誰にも聞かれなくてほっとしました。みんな身なりを整えるのにおおいそがしです。
 ピーターは礼儀正しくノックしました。そしてコドモ達と同じように森もしーんと静まりかえり、ティンカーベル以外からは物音ひとつしません。ティンクは木の枝のところから見守っており、みせびらかすようにせせら笑っていたのでした。
 男の子達がとまどっていたのは、ノックにはだれが答えるんだろう? ってことでした。もし女の人なら、どんな女の人なんでしょう? 
 ドアが開いて、女の人が一人出てきました。ウェンディでした。みんなは急いで帽子を脱ぎました。
 ウェンディは当然のことながら驚いたようで、これこそまさにみんながそうあってほしいと望んだとおりでした。
「わたしはどこにいるの?」ウェンディは言いました。
 もちろんスライトリーが最初に口をはさみ、急いでこう言いました。「ウェンディさん、あなたのために僕らで家を建てたんです」
「どうか、うれしいわっていってください」ニブスは叫びました。
「すばらしくステキな家だわ」ウェンディが言い、それこそまさにみんながそういってほしいと望んだとおりの言葉でした。
「それで僕らがあなたのコドモなんです」双子はいいました。
 みんなひざまずいて手を伸ばして「ウェンディ、どうか僕らのお母さんになってください」と叫びました。
「わたしがお母さんになるですって?」ウェンディは目を輝かせながら言いました。「もちろんすごく楽しそうだけど、まだわたしは小さな女の子なの、ホントのお母さんの経験もないし」
「問題ないね」ピーターは、今やすっかり自分だけが何もかも心得てるかのように言いました。でも実際は、一番なにも知らないのです。「僕らに必要なのは、まさに思いやりのあるお母さんみたいな人なんだ」
「あら」ウェンディは言いました。「それならわたしがぴったりじゃなくて?」
「そうです、そうです」みんなが声をそろえて言いました。「すぐにわかりましたよ」
「いいでしょう」ウェンディは言いました。「ちゃんとやるわ、さあ入ってらっしゃい、わんぱくぼうやたち。足は濡れているでしょう。寝るまでに、シンデレラの話をじゅうぶん最後までしてあげられるわ」
 みんなが中に入りました。そんなに広かったのかなんて事は、わたしにはわかりません。ネバーランドでは、すごくぎっしりつめこむことができるのです。そしてそれがウェンディと過ごしたたくさんの楽しい夕べの最初でした。やがてウェンディは、木々の地下にある家の広いベッドにみんなを寝かしつけると、その夜は自分は一人で小さな家で寝ました。そしてピーターはむきだしの剣をもって、外で番にあたったのでした。なぜなら海賊たちが遠くで酒盛りをする声が聞こえましたし、狼たちがうろついていたからでした。小さな家は暗闇の中でもブラインドを通して明るい明かりがもれ、煙突からは優雅に煙が立ち昇っていて、ピーターが立ったまま番をしていたので、とても居心地が良く安全そうに見えました。しばらくすると、ピーターも寝こんでしまいました。どんちゃんさわぎからの帰りで、ふらふらになった妖精たちのいく人かは、ピーターの上をよじ登って行かなければなりません。他の男の子達なんかが夜に妖精の通り道をじゃました日にはたっぷりいたずらされたことでしょうが、ピーターだったので鼻をつねるくらいで通りすぎて行ったのでした。

[#2字下げ]七章 地下の家[#「七章 地下の家」は中見出し]

 ピーターが次の日まっさきにしたことのひとつは、木の穴のためにウェンディとジョンとマイケルのサイズを測ることでした。覚えてらっしゃるでしょうか、フックはコドモそれぞれに木が一本ずつ必要と考えるなんてと男の子達をばかにしました。ただそれはなんにもわかってなかったのです。木のサイズがピッタリ合ってないと上り下りするのに骨が折れますし、男の子達ときたら二人として同じサイズの子はいないのでした。サイズがピッタリなら、てっぺんで息をはけばちょうどいいスピードで降りて行けますし、また登るためには、すったりはいたり交互にすることでもぞもぞとのぼっていくのでした。もちろんいったんこの動作を習得すれば、いちいち考えたりしなくても自然と体が動きますし、こんなに優雅な動きも他にはないことでしょう。
 でもとにかくピッタリでなければいけません。だからピーターは、スーツを仕立てる時みたいに慎重に、あなたの木を選ぶためにあなたのサイズを測ります。ただひとつ違うのは服はあなたに合うように作りますが、木だとあなたが木に合うようにしなければならないということです。普段はたくさん着こんだり脱いだりして、とても簡単に終わります。ただあなたの体が具合の悪い場所ででっぱったりしている場合や使えそうな木がへんてこな形だったりする場合、ピーターはあなたにちょっとした事をします。そうするとピッタリになるのです。いったんピッタリになると、ピッタリでいつづけるためにはとても注意しなければなりません。そしてこうすることが一家全員にとって、体調を万全にすることにつながって、ウェンディにとってもうれしいことでした。
 ウェンディとマイケルは最初の試着で、木にピッタリ合いましたけど、ジョンはちょっと変えなければなりませんでした。
 何日か練習すると、三人は井戸のつるべみたいに楽々と登ったり降りたりできるようになりました。そして三人は地下の家が大好きになって、特にウェンディにはお気に入りでした。地下の家には本来全ての家がそうあるべきですが、大きな部屋が一つしかありません。魚釣りに行きたければ餌を探して床をほることもできますし、かわいい色のマッシュルームが床からまっすぐ生えており、腰掛けとして使われています。ネバーランドの木が部屋の真ん中で一生懸命大きくなろうとしていたのですが、毎朝みんなで幹をのこぎりで切って、床と同じ高さにするのでした。それでもお茶の時間には二フィート(一フィートは三十センチ)は高くなりました。するとドアをその上において、テーブルにしちゃうのでした。お茶を片付けるとすぐにまた幹を切りました。それで遊び場所が広くなります。火をつけたければ、部屋のほとんどどこからでも手を伸ばして火をつけられるほど大きな暖炉がありました。そしてウェンディは細い糸をよじって作ったひもを部屋を横切ってはり、そこに洗濯物を干したのでした。ベッドは昼は壁に立てかけてありますが、六時半になると降ろします。降ろすとほとんど部屋の半分くらいになり、マイケルを除く男の子みんなが缶詰のイワシみたいに横たわって、そこで寝るのでした。寝返りにはきびしいルールがあり、だれかの合図があるとすぐ、みんな一斉に寝返りをしました。マイケルも寝ようと思えばみんなと一緒にそのベッドで寝ることはできたと思います。ただウェンディがあかんぼうを欲しがったのです。そしてマイケルが一番のおちびさんだったので、女の人がどんなものかはおわかりでしょう、結局のところマイケルがあかんぼうになって、バスケットで上からつるされたのでした。
 地下の家は自然のままのそっけないもので、あかんぼうの熊が同じように地下の家を作ったならそれと似てなくもなかったでしょう。ただ壁にひとつだけくぼんだところがあって、そこは鳥かごほどの大きさのティンカーベルのプライベートな部屋でした。小さなカーテンで部屋のほかの場所からは区切ることができて、ティンクときたらとても気難しかったので、着替えたりするときにはいつもカーテンをひいていたのでした。広さはどうあれ、寝室とつながっているこんなにきらびやかな着替えのための部屋をもってる女の人はいなかったでしょう。ティンクがいつも長いすとよんでたものは、曲がった足がついた本物の夢の女王(クィーン・マブ:夢を支配していると言われている妖精)のものでした。ティンクはベッドカバーを季節のフルーツにあわせて取り替えましたし、かがみは長靴を履いたネコのもので、妖精の取扱業者の間でも割れていないモノは三つとないなんてものでした。洗面台はパイの皮でできており裏返しでも使えましたし、引き出しつきのたんすは由緒のあるチャーミング六世のもので、カーペットと敷物はもっともよい(初期のものってことですが)時代のマージェリー&ロビンのものでした。おはじきで作ったシャンデリアも飾りとしてはありましたが、もちろん自分の明かりで部屋を照らしていました。ティンクはこの家で自分の部屋以外は全くバカにしていて、たぶんそれはしょうがないことだったのでしょう。ティンクの部屋はとてもキレイでしたけど、かなりうぬぼれているように見えて、鼻がいつもつんと上を向いたような感じなのでした。
 わたしが思うに、こういうこと全部がウェンディにとっては、まったくもってうらやましいことだったでしょう。というのも、乱暴な男の子達ときたら世話がやけるったらありゃしませんから。実際のところ、たぶん夕方に靴下につぎをあてるとき以外は、まるまる何週間も生きてる心地もしないくらいでした。料理ときたら、ぜひ言っておきますが、いつもポットと向かい合ってなければならないのでした。ポットになにも入ってないとき、あるいはポット自体がないときでさえ、沸騰するのを見守ってなければならないのです。なにしろホントの食事なのかそれとも食事ごっこなのか、全くわからなかったので。全部ピーターの気まぐれ次第なのでした。ゲームとしてならピーターは食べる(ホントに食事をとるってことです)のですが、ただたらふく食べて単に食欲を満たしたいためだけに、食事をとることはできなかったのでした。ほとんどのコドモにしてみれば、たらふく食べておなか一杯になることが他のなにより好きなのですが。ピーターにとって次に好きなことは、食べ物の話をすることでした。ごっこ遊びはピーターにとってはまるで本当のことみたいだったので、そういう食事ごっこの最中にもピーターが丸々と太るのがわかるくらいでした。もちろん食事ごっこはつらいことでしたが、ピーターのまねをするしか道はなかったのでした。そして木にあわないくらい痩せちゃったことが分かれば、ピーターもたらふく食べさせてくれるのでした。
 ウェンディが好きな縫い物や繕い物をする時間となるのは、みんながすっかり寝た後で、それからがウェンディの言葉を借りれば「ほっと一息つく自分だけの時間」になるのです。そしてコドモ達のために新しいものを作ったり、ひざ小僧に布をあてるのに取りかかるのでした。なぜならコドモ達のひざ小僧ときたら、みんながみんなすっかり擦り切れていましたから。
 かごに一杯のかかとに穴のあいた靴下を前にして座ると、ウェンディは両手をあげて大きな声で言うのでした。「あぁ、まったく、時々独身の女の人がうらやましくなるわ」
 こういいながらもウェンディの顔はほころんでいるのでした。
 ウェンディのペットのおおかみのことは覚えてらっしゃるでしょうか? ええ、おおかみはウェンディがこの島にきたことがすぐに分かったので、ウェンディを探し当て、お互いに走って抱き合ったのでした。それからというもの、おおかみはどこへでもウェンディのあとをついてまわるのでした。
 時が過ぎ、ウェンディは後に残してきた愛しい両親のことをいろいろ考えました。難しい問題でした。なぜならネバーランドでは正確にどれだけ時間がたったとは言えなかったからです。ネバーランドで時間は、たくさんの月と太陽で決められていたのですが、本当の世界よりあんまり数が多すぎるのです。でも申し上げにくいのですが、ウェンディは心の底からパパとママのことを心配しているわけでもありません。というのもウェンディは、パパとママがいつでも自分が飛んで帰ってくるのを窓をあけて待っててくれるだろうなんて妙な自信に満ちていたのでした。こう考えるとウェンディはすっかり安心するのでしたが、時々ウェンディを不安にするのは、ジョンが両親のことを曖昧にしかおぼえていないことでした。まるで一度きりしか会った事のないような人みたいに。一方マイケルはといえば、ウェンディが実のお母さんだと心から信じようとしているのでした。ただこんなことはウェンディをほんの少しびっくりさせただけで、ウェンディは立派に義務を果たそうとしました。昔の生活についてのテスト、できるかぎりウェンディがかつて学校でやったようなテストを弟にやらせることで、その昔の生活を記憶にとどめようとしたのでした。他の男の子達はテストにものすごく興味しんしんでした、ぼくもぼくもと参加したがるのです。自分用の石版を作って、テーブルを囲んで丸く座ると、ウェンディが別の石版に書いておいてみんなの間に回覧した問題について、いっしょうけんめい書いたり考えたりするのです。それは普通のことについての質問でした。「お母さんの目の色は? お父さんとお母さんはどちらが背が高かったか? お母さんはブロンドだったかブルーネットだったか? できれば三問とも答えること」「(A)前の休暇をどうやって過ごしたか、あるいはお父さんとお母さんの性格の比較について四十語以上のエッセイをかくこと。どちらか一つだけを選択すること」あるいは「(一)お母さんの笑い声の特徴を述べよ。(二)お父さんの笑い声の特徴を述べよ。(三)お母さんのパーティードレスがどんなふうか述べよ。(四)犬小屋とそこに住んでる犬について述べよ」
 テストの問題は、日常生活についてのこのような質問でした。そして答えられないときは、十字を切るようにいわれるのでした。そしてホントに恐ろしいことにジョンでさえ、なんという数の十字を切ったことでしょう。もちろん全ての質問に答えた、たった一人の男の子はスライトリーでした。なので、テストでトップをとるのはスライトリーをおいて他にないだろうと思われていましたが、スライトリーの答えときたら全然でたらめでした。そして実際にはびりだったのでした。なんてみじめなことでしょう。
 ピーターは、テストには参加しませんでした。なぜならひとつにはウェンディを除くすべての母親という母親を軽蔑していましたし、もうひとつにはピーターが、この島で書くこともほんの短い単語さえつづることもできないたった一人の男の子だったからでした。ピーターにとっては、そんなことはどうでもいいことでした。
 ところでさきほどの質問は「お母さんの目の色は何色だったでしょうか?」とかいった具合にすべて過去形で書かれていました。まぁ、ウェンディさえも忘れかけているのでした。
 もちろん、わたしたちがこれから見て行く予定の冒険は日々起こったことでした。でも今回ピーターはウェンディに手伝ってもらって、とっても面白い新しいゲームをやりだしました。突然興味を失っちゃうまででしたが、前にも言ったように、それはピーターのゲームでは良くあることなのでした。ピーターの今回のゲームとは冒険をしないフリをすることでした。つまりジョンやマイケルがしてきたような生活をするのです。こしかけに座ってボールを上になげたり、おしあいへしあいをしたり、外に散歩にいって、ハイイログマの一匹さえ殺さずに帰ってくるのでした。すごい見物だったのは、こしかけに座ってなにもしていないピーターを見ていることでした。さしものピーターもそんなときにはマジメに見えるのは仕方ないことだったでしょう。なにしろじっと坐ってるのは、ピーターにとってはこの上なくおかしなことだったんですから。ピーターは、健康のために外に散歩にいくのを自慢しました。いく日もの間、そういうことはピーターにとっては全ての冒険とくらべても一番新しい事で、ジョンとマイケルも喜んでるフリをしなければなりませんでした。さもなくばピーターにひどくされたでしょうから。
 ピーターは、よく一人で出かけました。帰ってきたときには、冒険してきたかどうかはっきりしたことは分かりません。ピーターは冒険のことなんかすっかり忘れていたでしょうから、冒険についてあれこれ言うなんてことはしないのです。そうしておもてに出ると、死体がみつかるのでした。それと反対に冒険についてあれこれ大いに語ることもあったかもしれません。でもそんなときには、死体はみつからないのでした。時々ピーターは家に帰ってくるとき頭に包帯をしていることがありました。するとウェンディはピーターにやさしく話しかけ、頭をぬるま湯につけるのでした。ピーターはそんなとき目もくらむようなお話をするのでしたが、ウェンディにはそれが本当のことかどうかはっきりとはわからないのでした、まあそうですよね。でも本当だとわかった冒険もたくさんありました。というのはウェンディも冒険に参加していましたから。少なくとも部分的には本当なんてものなら、もう少しありました。それは他の男の子達が参加したからです。ただ男の子達にいわせると、まったく本当のことだよっていいはるのでした。冒険を全部書いていたら、英語からラテン語、ラテン語から英語の辞典ほどの厚さの本が一冊必要になるでしょう。せいぜいわたしたちにできることは、この島のよくある一時間の見本を一つ示すことでしょう。難しいのはどの一つを選ぶかってことです。スライトリー峡谷でのインディアン達とのこぜりあいを取り上げましょうか? それは血わき肉おどるようなできごとで、ピーターの奇抜な点のひとつをよくあらわしている格別興味深いものでした。なにしろ戦ってる途中に、突然ピーターは敵味方を交代してしまったのでしたから。そのとき峡谷での戦いは、どちらに勝利の女神が微笑むのかまだ分からない状態でした。時々こちら側へ微笑んだかと思えば、時々はあちら側といった具合です。ピーターは叫びました。「ぼくは、今日はインディアンだ、おまえはどっちだ? トゥートルズ」トゥートルズは答えました。「インディアンです、おまえは? ニブス」そしてニブスは言いました。「もちろんインディアンに決まってるよ、あんたたちは? 双子」そうやって、男の子達は全員インディアンになりました。そして、もしピーターの方法にすっかり感心したインディアン達が今回に限って迷子の男の子達になることに決めなければ、もちろん戦いは終わっていたことでしょう。ただインディアン達がそうしたので、再び前よりずっとはげしく戦い続けたのでした。
 この冒険の驚くべき結末は……でもわたしたちは、これをこれからお話する冒険と決めてしまったわけではありません。たぶんもっといいのは、インディアン達が地下の家に夜襲をかけたやつでしょう。そのときインディアンの何人かは木の穴にひっかかって、コルクのように引っ張られなければなりませんでした。もしくはピーターが人魚のラグーンでどのようにしてタイガーリリーの命を救ったか、そしてピーターの味方になったかをお話してもいいかもしれません。
 もしくは、海賊たちが男の子達が食べて死ぬだろうって作ったケーキの話をしてもいいかもしれません。そしてどのようにしてケーキをあるずるがしこい場所、それから次の場所といった具合に置いたか? でもウェンディがコドモ達の手からケーキを取り上げたので、ケーキはそのうち水分をうしなって石みたいにカチカチになりました。そしてミサイルとして使われて、フックが暗闇でケーキにつまづく始末でした。
 または、ピーターの友達の鳥たちについてお話ししてもいいかもしれません。特にラグーンに張り出した木に住んでいたネバーバードについて。そして巣が水の中に落ちてもネバーバードはまだ卵を温めていて、ピーターがネバーバードのじゃまをしちゃいけないと命令をだしたてんまつを。これはすてきなお話で、おしまいにはどんなに鳥というものが、感謝を忘れないものなのかが分かります。でもそのお話をすると、ラグーンの冒険を全部お話ししないわけにはいきません。もちろん一つだけじゃなくて二つまとめてお話しすることになるでしょう。もっと短い冒険といえば、同じくらい興奮させますが、ティンカーベルが、住むところもない妖精何人かの力をかりて、寝ているウェンディを大きなプカプカ浮かんでる葉っぱにのっけて、現実の世界まで送り返そうとした話でしょうか。幸運にもその葉っぱが破れて、ウェンディが目をさまし、お風呂の時間だと思って泳いで引き返したのでした。あるいはふたたび、ピーターのライオン達への挑戦の話を選ぶべきなのかもしれません。ピーターは地面の自分のまわりに矢で丸く円をかいて、ライオン達にこの線を越えてこれるものなら越えてこいなんて挑発し、何時間も待ったのでした。他の男の子達やウェンディは、木の上から息を呑んで見守っていましたが、ライオン達の一匹としてピーターの挑戦をあえて受けて立つものはいませんでした。
 これらの冒険のどれをえらびましょうか? 一番いいのはコインのトスで決めることでしょうか。
 コインをトスしました、ラグーンのお話に決まり。ラグーンの話に決まってみると、峡谷やケーキやティンクの葉っぱの話に決まったらなぁなんて思っちゃいますね。もちろんもう一回コインをトスして、三つのうちから一つを決めてもいいのですが、たぶんラグーンのお話を選ぶのが一番公平なことでしょう。

[#2字下げ]八章 人魚のラグーン(さんごにかこまれた浅瀬)[#「八章 人魚のラグーン(さんごにかこまれた浅瀬)」は中見出し]

 もしあなたが目を閉じて運がよければ、暗闇に浮かぶおぼろげな色で輪郭のはっきりしない水溜りをときどきみることができるかもしれません。それからもっとぎゅっと目をつむれば、水溜りの輪郭ははっきりして、色も鮮明になります。もっとぎゅっと目をつむると、水溜りは炎をあげて燃え出すに違いありません。でも燃え出す直前に、あのラグーンが見えるのです。現実の世界ではこれがラグーンへの一番の近道で、天国にいるみたいな心地を味わうひとときです。そのひとときがちょっと長ければ、打ち寄せるさざ波を見て人魚たちが歌っているのが聞こえるかもしれません。
 コドモ達は、日の長い夏をしばしばこのラグーンですごしました。泳いだり、ほとんどの時間はただ浮いていたり、水中で人魚ごっこをしたりして遊びました。だからって人魚とコドモ達が仲良しだったなんて考えてはいけません。それどころか、ウェンディにとってはずっと残念だったことに、事実は全くの正反対で、ネバーランドにいる間人魚の誰からも礼儀正しく声をかけてもらったことはありませんでした。ウェンディがそのラグーンの端までこっそり忍び寄ったら、人魚たちがことにマルーナーの岩で実際のところどんな風だったかを見ることができたかもしれません。特にその場所で人魚たちは好んで日向ぼっこをしていて、ウェンディが本当にいらいらするようなものぐさな様子で髪をとかすのでした。もしくはウェンディはつま先歩きみたいにしてこっそりと、人魚から一ヤード以内まで泳いで行くこともできたかもしれません。でもそうすると人魚たちはウェンディを見つけて、たまたまというよりはたぶんわざとでしょう、尾っぽでウェンディにバシャと水をかけて水中に飛び込むのでした。
 人魚たちの態度は、男の子達に対しても同じでした。ただもちろんピーターは別格です。ピーターは人魚たちとマルーナーの岩で何時間もおしゃべりをして、人魚たちが生意気なときには尾っぽの上に坐りこんだりしました。ピーターは、ウェンディに人魚のくしを一つくれました。
 人魚たちを見るのにもっとも印象的なのは、月の変わり目と言われています。月の変わり目に人魚たちは奇妙な嘆き悲しむ声をあげるのでした。でもそんなとき、ラグーンは人にとっては危険この上ない場所なのです。わたしたちがこれからお話しする夕べまで、ウェンディは月光をあびているラグーンは一度も目にしたことがなかったのでした。それは恐いからというわけではありません、もし月光をあびているラグーンに行くなら、もちろんピーターが一緒に行ってくれたでしょうし。むしろ本当の理由は、みんなに七時には必ずベッドに入ることという厳しいルールが決められていたからでした。でもウェンディは雨上がりの晴れた日には、よくそのラグーンにいました。そんなときにはすごく大勢の人魚が水面にでてきて、自分たちのたてた水の泡とたわむれて遊ぶのでした。虹の水でできたいろいろな色の泡をボールにして、楽しそうに尾っぽで一方から一方へと打ち合い、割れるまで虹の中にあるようにします。ゴールは虹の両端で、キーパーだけが両手を使えるのです。時々、同時に一ダースものゲームがこのラグーンで行われることがあって、それはそれはすてきな眺めです。
 ただコドモ達が加わろうとすると、自分たちだけで遊ぶ羽目になるのでした。人魚たちはすぐさま姿を消してしまいます。ただわたしたちは、人魚がひそかに侵入者たちを見ていたことについては自信がありますし、コドモ達のアイデアを全く取り入れないというわけでもありませんでした。なぜならジョンが手のかわりに頭をつかう、泡の新しい打ち方をあみだしたのですが、人魚たちがそれを取り入れたことがありましたから。これこそジョンがネバーランドに残していった、たった一つのしるしなのでした。
 お昼ご飯のあとにコドモ達が半時も一つの岩の上で休憩しているのを見るのも、とてもすてきなことに違いありません。ウェンディは、これもルールと厳しかったのです。たとえご飯が“ごっこ”でも、休憩は本当にしなきゃならないのです。コドモ達がお日さまの中で寝そべっていると、体が反射してきらきら光りました。その間ウェンディはコドモ達の横にすわり、偉そうに見えました。
 そんなある日のこと、みんなはマルーナーの岩の上にいました。その岩は家の大きなベッドほどは広くなかったのですが、みんな場所を取らないようにするこつを心得ていて、うたたねしたり少なくとも目を閉じて横になっていました。そしてウェンディが見てなさそうな時には、時々つねりあいなんかをしてました。ウェンディは編み物でとても忙しかったのです。
 ウェンディが編み物をしていると、ラグーンにヘンカがおきました。よくない予感の身震いがラグーンに走り、太陽が雲にかくれ、水面に影がさし、寒くなりました。もうウェンディは針に糸を通すこともできません。目をあげると、今の今までいつもながらにあんなに楽しい場所だったラグーンは、ぞっとするような悪意に満ちた場所に見えたのでした。
 ウェンディにも夜が来たのではないことは分かりました。でも夜が来たのと同じくらい暗くなりました。いいえ、もっと悪いことに、まだ実際来てはいないのですが、今にも行くよといわんばかりに、海の上をあのよくない予感の身震いが送られてきたのでした。一体なにが起こるというのでしょう?
 ウェンディの頭は、マルーナーの岩について聞いたことのあるいろいろな話でいっぱいになりました。なぜマルーナーの岩(島流しの岩)と呼ばれるかというと、悪い船長たちが船員をここに置き去りにして溺れさせたからでした。潮が満ちると岩が水没するので、溺れてしまうといういわれがあったのです。
 もちろんウェンディは、すぐさまコドモ達をおこすべきでした。単に何かよく分からないものがやってくるというだけではなく、そもそも寒くなった岩の上で寝てるのは健康にもよくありませんでしたから。でもウェンディは新米のお母さんだったので、こういうことが分かっていなかったのです。ウェンディは昼食後には半時休みというルールは、とにかく守らなきゃと考えていたのでした。だからぞっとして、男の子たちの声が聞きたくなってもおこしませんでした。ウェンディは、音を立てないようにこっそり漕いでいるオールの音を聞きつけ、心臓が口から飛び出そうなほどビックリした時でさえ、男の子たちをおこしませんでした。あくまでちゃんと時間まで寝かせようと見守っていたのです。ウェンディの勇気があることといったら。 
 寝ているときでさえ危険をかぎつける子が、コドモ達の中にも一人いたのは良いことでした。ピーターは、犬みたいにすぐに目を覚まし、はじけるようにたちあがると、一言警告してみんなをおこしました。
 ピーターは、片耳に手をあててじっと立ってました。
「海賊たちだ!」と叫ぶと、みんなピーターのそばに集まりました。えもいわれぬ微笑がピーターの顔に浮かんでおり、ウェンディはそれを見て身震いしました。その微笑がピーターの顔に浮かんでいるときに、あえて話しかけるものはいません。みんなにできるのは立ちあがって、命令を待つことだけでした。するどくはっきりした命令が発せられました。
「飛びこめ!」
 飛びこむ足が光ったかとおもうと、ラグーンはたちまち人っ子一人いなくなりました。マルーナーの岩はまるで岩自体も島流しされたみたいに、不気味な海域でぽつんとひとつ浮かんでいるのでした。
 ボートが近づいてきました。海賊の小船で三人の人影があり、スメー、スターキーと三人目は捕虜でした。なんと捕虜は他でもないタイガーリリーです。手と足を縛られ、どんな運命が待ち構えているか観念しています。岩に取り残され、非業の死を遂げるのです。ピカニニ族の最後としては火あぶりや拷問よりもひどい死に方です。というのも部族の本を見ても、幸せな死後の楽園に至るためには水を通って行く道なんてないって書かれてませんでしたっけ? でもリリーは平然とした顔をしており、酋長の娘ですから、酋長の娘として恥ずかしくない死に方をしなければなりません。それだけが望みだったのです。
 海賊たちはリリーがナイフを口にくわえて、海賊船に乗り込んでくるところを捕まえました。フックが自慢するには、船に見張りはいなかったのですが、自分の名前が風に乗って一マイル四方は守ってくれるぞということでした。リリーの運命もまた船を守るのに一役買うことでしょう。夜風にのってもうひとつ、悲しい話が噂されるのでしょう。
 自分たちと一緒にやってきた暗闇の中で、二人の海賊は岩が見えずに衝突してしまいました。
「かじを風上だ、このまぬけ」アイルランドなまりの声がして、それはスメーです。「ここは岩だぞ。さてこれからやらなきゃならんのは、このインディアンを岩の上に置き去りにして、溺れさすことだな」
 その美しい娘を岩に引き上げるのは、あっというまの無慈悲な仕事でした。ただリリーは無駄な抵抗をしようとするには、プライドが高すぎたのでした。
 岩のほんの近くに、視界に入らない所ですが、二つの頭が上下に浮き沈みしていました。ピーターとウェンディの頭です。ウェンディはめそめそしており、それは初めて悲劇を目撃していたからでした。ピーターは悲劇は嫌というほど見てきましたが、全部すっかり忘れているしまつです。ピーターはウェンディほどはタイガーリリーに同情しているわけではありません。ただピーターを憤慨させたのは二対一ということで、だからリリーを助けることにしたのです。カンタンなのは、海賊達が行ってしまうまで待ってることだったでしょうが、ピーターがカンタンな方を選ぶような子でないのは先刻ご承知の通りです。
 ピーターに出来ないことなんて何もありませんでしたから、この時はフックの声を真似したのでした。
「おおい、そこの、まぬけども!」ピーターが呼びかけました。すばらしい物まねです。
「船長だ!」海賊たちは驚きのあまりお互いに顔を見合わせて、そう言いました。
「こっちに泳いでくるところに違いないぞ」海賊たちはあたりを捜しましたけど、船長の姿は見あたらなかったので、スターキーはこう言いました。
「インディアンを岩の上に置き去りにしますぜぃ」スメーは大声でさけびました。
「そいつを自由にしてやるんだ」びっくりぎょうてんの返答です。
「自由だって!」
「そうだ、縄をきって行かせてやれ」
「でも、船長」
「すぐにだ、聞こえただろ。さもなくば俺の右腕のフックをおみまいしてもいいんだぞ」ピーターは叫びました。
「おかしいなぁ!」スメーが息をのみこみながらそう言うと、
「船長のいうとおりにした方がいいぜ」とスターキーはびくびくしながら言うのでした。
「アイ、アイ」スメーはそういうと、タイガーリリーの縄を切りました。すぐさまリリーはうなぎみたいにスターキーの足の間をすりぬけて、水のなかに姿を消しました。
 もちろんウェンディはピーターの賢さに得意満面でした。でもウェンディは、ピーターも得意満面で時の声をあげそうなのを見て、そんなことをしたらピーターが真似してたってばれちゃうので、すぐさまピーターの口を覆おうと手を伸ばしましたが、ふと手が止まりました。なぜなら「ボート!」というフックの声がラグーンに響き渡ったからでした。今回は、声をあげたのはピーターではありません。
 ピーターは時の声をあげそうだったかもしれません、でもその代わりに顔が驚いたときに口笛をふくような顔になりました。
「ボート!」再び声が聞こえました。
 今やウェンディにも分かりました。ホンモノのフックもまた水中にいたのです。
 フックはボートめがけて泳いでいました。そしてフックの目印になるように手下どもがライトを照らしたので、フックはすぐに手下どものところまでたどり着きました。ランタンの明かりの中で、ウェンディはフックがボートのへりをつかむのを見ました。またボートに上がりこんだとき、邪悪な浅黒い顔から水がしたたり、身震いしたのも見えました。ウェンディは泳いで逃げだしたくなりましたが、ピーターは身動きひとつしません。活気に満ち満ちて、またもやうぬぼれて得意になっていたのです。「すごいよね、ぼくってすごいなぁ!」なんてウェンディにささやくのです。ウェンディもそうは思ってはいましたが、ピーターの評判を気にして、私だけしか聞いてなくてホントによかったと思ったのでした。
 ピーターは、ウェンディに耳をすますよう合図しました。
 二人の海賊は、船長がどうしてこんなところにやってきたのか興味しんしんでしたが、船長は頭を右腕のフックにもたせかけ、ものうげな様子で座っていました。
「船長、大丈夫ですかい?」手下どもはおずおずと声をかけましたが、うつろなうめき声の答えが返ってくるだけでした。
「船長は、ため息だ」とスメー。
「船長は、またため息だ」とスターキー。
「船長は、またまた三回目のため息だ」とスメー。
 そしてついに船長はかんしゃくを起こして叫びました。「お遊びは終わりだ、あのコドモ達は母親をみつけたぞ」
 ウェンディはびくびくもしたんですが、誇りで胸が一杯になりました。
「なんてついてない日だ!」スターキーは叫びました。
「母親ってなんですかい?」何も知らないスメーはたずねました。
 ウェンディは、あまりにショックを受けたのでおもわず声をあげました。「知らないんですって!」そしてこの後いつも、もし海賊をペットにできるものなら私はスメーがいいわねなんてウェンディは思ったのでした。
 フックが立ちあがって「あれはなんだ?」と叫んだので、ピーターはウェンディを水中に引き込みました。
「なんも聞こえませんぜ」スターキーは、水面の上に明かりをかざして言いました。海賊たちが見やったとき、不思議な光景が目に入りました。それは前にもお話ししたことがある鳥の巣で、ラグーンにぷかぷか浮いておりネバーバードが卵を抱いていました。
「見ろ」フックはスメーの質問にこう答えました。「あれが母親だ、見本だ! 巣が水に落ちてしまったに違いない。だけど母親は卵を見捨てたか? いいや」
 そこで一息おくと、まるでしばらく無邪気な日々を回想しているようでした。あの無邪気な日々に……と船長は自分の右腕のフックでこんな弱々しいところを振り払いました。
 スメーはすっかり感動して、巣が運ばれて目の前を通り過ぎていく間、母親の鳥からじっと目を離しませんでした。でもスターキーはもっと疑り深かったので「母親ならたぶんピーターを助けに、ここらへんにでもいそうなもんだけどな」と言いました。
 フックはびくっとして「ああ、それがわしが恐れてることなんだ」とつぶやきましたが、スメーの勢いこんだ声でその憂鬱をふりはらいました。
「おかしら」スメーははりきって言いました。「そのやつらの母親とやらを誘拐しちゃいましょう、それでわしらの母親にできませんかな?」
「そいつはすばらしい計画だ」フックはさけぶと、そのかしこい頭ですぐに現実的な計画を立てるのでした。「コドモ達をひっとらえてボートまで連れて来い。男の子達には板の上を歩かせて、ウェンディがわしらの母親といった具合だ」
 またウェンディはわれを忘れて「なるもんですか!」と叫んで頭を水中にしずめました。
「あれはなんだ?」
 でも海賊たちの目にはなにも映りません。海賊達は、風に葉っぱが一枚舞ってるにすぎないくらいに思っていました。「わかったか、やろうども?」フックはたずねました。
「手を重ねますぜ」二人とも声をそろえました。
「わしの右腕のフックもだ、誓うぞ」
 三人とも誓いました。このときすでに三人は岩の上にいて、突然フックはタイガーリリーのことに思い当たりました。
「インディアンはどこだ?」フックはぶっきらぼうにたずねました。
 フックはときどき冗談をいうので、二人はまた始まったなんて思いました。
「万事ぬかりないですぜ、船長」スメーはのんきにこう答えました。「ちゃんと逃がしましたぜ」
「逃がしただって!」フックは叫びました。
「だ、だって、おかしらの命令じゃないですか」甲板長がくちごもると、「向こうから、やつを逃がしてやれって叫んだじゃないですか」とスターキーも言いました。
「こんちくしょうめ」フックは大声でいいました。「なんだってんだ!」顔は怒りでどす黒くなりました。ただ手下どもが自身の言葉にこれっぽちも迷いを感じてないようなので驚いて、「おい、わしはそんな命令してないぞ」と少し震えた声で言いました。
「おかしなことだ」スメーはそういうと、みんな気味が悪そうにそわそわしました。フックは声を張り上げましたが、その声は震えていました。「今晩、この真っ暗なラグーンに出没する亡霊よ、わしのいう事が聞こえるか?」と呼びかけたのです。
 ピーターは黙ってるべきでしたが、もちろんそうしません。すぐにフックの声で答えました。
「おい、こりゃ、うるさい、聞こえてるぞ」
 こんなときでもフックは青ざめたり、のどの下のたるんだ肉の部分をぴくりともさせませんでした。でもスメーとスターキーときたら恐怖のあまり、お互いに抱きつくありさまです。
「おまえはだれだ? 怪しいやつ、名乗れ!」フックは聞きました。「わしはジェームズフックで、」その声は答えました。「ジョリーロジャース号の船長だ」
「おまえは違うぞ、おまえは違うんだ」フックはしゃがれた声で叫びました。
「こんちくしょうめ」その声はこう言い返しました。「もう一度言ってみろ、おまえに錨をぶち込むぞ」
 フックは機嫌をとるような調子でやってみました。「おまえがフックなら、」ほとんどへりくだるくらいの調子で「頼むから教えてくれよ、わしは一体だれなんだい?」とたずねました。
「タラだ」その声は答えました。「しがない魚のタラだよ」
「タラだって!」フックはぽかんと口をあけて、繰り返しました。そのときに、まさにそのときになると、フックのプライドは張りさけんばかりでした。フックは、手下どもが自分から距離をおくのが目に入りました。
「わしらは、いままでタラを船長だなんて思ってたのか! なんて恥さらしなんだ」二人はぶつぶつ言いました。
 飼い犬に手をかまれるようなものでしたが、フックは悲劇の主人公となっていたので、二人に注意を払うような余裕もありません。こんな恐るべき証言に対抗するためには、手下どもがフックのことを信じるかではなく、まず自分で自分のことを信じられるが問題でした。フックは自分を信じる気持ちが、するりと自分から逃げ出していくように感じて、「おい、逃げるんじゃない」としゃがれ声で自分を信じる気持ちにささやきかけました。
 フックの暗い性質には、ちょっと女性っぽいところがありました。それは名を成した海賊たちにはみんな備わっているもので、それこそが時々ひらめきを与えてくれるのです。フックは突然、推理ゲームをはじめました。
「フック、他の声も使えるのかい?」と本物のフック。
 さてピーターはゲームにはどうしても参加しないではいられないので、陽気に自分の声で「もちろんだとも」と答えました。
「じゃあ他の名前は?」
「まあな」
「野菜だな?」フックはたずねました。
「いいや」
「鉱物か?」
「いいや」
「動物だ?」
「そうさ」
「オトナか?」
「いいや、だんじて!」この答えはさげずむように響きました。
「男の子だな?」
「もちろんさ」
「ふつうの男の子かい?」
「いいや!」
「素敵な男の子か?」
 ウェンディには残念なことにこの時ひびきわたった答えも「そうに決まってるさ」でした。
「イングランドに住んでるのかい?」
「いいや」
「ここに住んでるんだな?」
「そうさ」
 フックは全く混乱してしまいました。「おまえらもやつに質問するんだ」手下どもにそういうと、汗でびっしょりの額をぬぐいました。
 スメーはじっくり考えましたが「なんも思いつかねぇ」と残念そうに言いました。
「ワカンナイかなぁ、ワカンナーイだろうなぁ!」ピーターは威張って言いました。「降参かい?」
 もちろんプライドのせいですが、ピーターはやりすぎでした。悪党どもは、すわチャンスとばかりに「うん、うん」と熱心に答えました。
「よし、じゃあ、僕はピーターパンだよ」と叫びました。
 パンですって!
 すぐさまフックは再び自分をとりもどし、スメーとスターキーはフックの忠実なるしもべに戻りました。
「さあ、やつをつかまえろ」フックは叫びました。「飛びこめ、スメー、スターキー、ボートに気をつけるんだ。やつを殺しても生きたままでもいいからひっとらえろ!」
 フックも叫ぶやいなや飛びこみました。そして同時にピーターの陽気な声がひびきわたりました。
「準備はいいか、みんな?」
「アイ、アイ」ラグーンのあちこちから声がしました。
「じゃあ海賊たちをぶったたくんだ」
 戦いは短く激しいもので、最初に相手の血を流したのはジョンでした。果敢にもボートに乗り込んで行くと、スターキーにつかみかかったのです。はげしい挌闘のすえ、短剣を海賊の手からもぎとって、スターキーは体をくねらせ船から水中へ飛びこみ、ジョンが続きました。小船は流されるままでした。
 あちこちで、水中から頭がでたり沈んだりして、悲鳴や歓声に続いて剣がぶつかって火花を散らしました。混乱のなかで味方になぐりかかるものまでいる始末です。スメーの“コルク抜き”はトゥートルズの四番目の肋骨にねじ込まれました。でもスメーも同じようにカーリーに切りつけられて、岩から離れたところではスターキーがスライトリーと双子をぎりぎりまで追い詰めていました。
 この間、ピーターはどこにいたのでしょうか? ピーターはもっと大きな獲物を捜し求めていたのでした。
 ピーター以外もみんな勇敢な男の子達でした。でも海賊たちの船長から後ずさりしたとしても、責められるべきではありません。フックは鉄のカギヅメで、自分のまわりに死に至る水の輪を作って、みんなは恐れをなした魚のように、さっとそこから逃げ出したのでした。
 フックを恐れない子が一人だけ、覚悟を決めてその輪に入っていきます。
 不思議なことに、フックとピーターが顔をつき合わせたのは水の中ではありませんでした。フックは一息つくために岩によじ登り、同時にピーターは反対側からよじ登っていたのでした。岩はボールのようにつるつる滑りやすく、登るというより、はいつくばってるありさまです。二人ともお互いが登っているだなんて知りません。手探りで相手の腕に突き当たったのでした。驚いて頭をあげると、顔がほとんど触れあわんばかりで、こうして顔をつき合わせたのです。
 偉大なる英雄でも戦いをはじめる直前には、弱気になるということを告白している人もいます。もしそのときピーターもそんな気持ちだったとしても、わたしは否定するつもりはありません。結局のところ、フックはシークックが恐れた唯一の男なのですから。でもピーターは弱気なんてどこふく風で、たった一つの思い、喜びであふれんばかりでした。そして喜びのあまり、そのすてきな歯で歯ぎしりをしました。とっさに、ピーターはフックのベルトからナイフを奪い取ると、もう少しでナイフが収まっていたその場所へ突きさせるところでした。その時ピーターは敵がいる岩より、自分が高い場所にいることに気がついて、それではフェアに戦ったことにならないだろうと、フックを引き上げるために手を貸しました。
 フックがピーターに一撃を食らわしたのは、その時でした。
 一撃の痛みではなく、そのアンフェアな態度こそがピーターを呆然とさせました。ピーターは全く困惑して、ただ恐ろしさに震えながら見つめるだけでした。コドモはみんな一番最初にアンフェアに扱われたときには、こんな風に感じるものなのです。コドモは親愛の情を示しにあなたのところにやって来て、当然フェアーに扱われるものだと考えているのです。あなたがコドモに対してアンフェアな態度をとったとしても、あなたのことを再び愛してはくれるでしょうが、二度と全く同じコドモのままというわけではないのです。最初にアンフェアに扱われたことは決して忘れないものです。ピーター以外は、ということですけど。ピーターはたびたびそういう目にあうのでしたが、必ず忘れてしまうのです。私が思うには、これこそピーターと他のコドモ達の全く違っているところなのでした。
 というわけで、今まさにそういう目にあっても、ピーターはまるでそれが初めてのように感じたのでした。困惑して見つめるだけです。再び鉄のつめがピーターをひっかきました。
 それからしばらくして、他の男の子達はフックが水をばたばたさせて、船の方に向かって泳いで行くのを見ました。今や悪そうな顔には喜びのかけらも見られず、ただ恐ろしさで血の気がひいています。というのも、あのワニが根気強くフックを追いかけていたのでした。普通の場合なら男の子たちはその脇で大騒ぎしながら泳いだものでしたが、今はピーターとウェンディが二人ともいない不安でいっぱいでした。小さいボートを見つけて、それに乗り込み「ピーター、ウェンディ」と叫びながら家まで帰りましたが、人魚たちのあざけりわらう声以外はなにも聞こえませんでした。「二人は泳いでか、飛んで帰ったにちがいないよ」男の子たちはそう結論づけました。みんなはすごく心配してるというわけでもなかったのです。なにしろピーターを信じてましたから。みんなは、寝る時間に遅れちゃうので、くっくと男の子っぽく笑いました。それは全部ウェンディお母さんのせいだったからです。
 男の子たちの声が聞こえなくなると、ラグーンには寒々しい静寂が訪れました。そしてかすかな声がしました。
「助けて、助けて!」
 二人の小さな体が岩に打ち上げられました。女の子は気を失っており、男の子の腕にだかれていました。男の子も気を失いそうだったのですが、水位があがってきてるのに気づきました。すぐに二人ともおぼれてしまうだろうって分かりましたが、なにもできません。
 二人は並んでよこたわり、一匹の人魚がウェンディの足をつかんでゆっくり水中へ引き込もうとしました。ピーターはウェンディが引きずられていくのを感じたので、はっとして目をさまし、すぐさま引っ張り上げました。ただウェンディに本当のことを言わなければなりません。
「ウェンディ、僕らは岩の上にいるんだ」ピーターはそう言うと「でもだんだん狭くなるんだ、今にも水に覆われる」と続けました。
 ウェンディはまだ分かっていません。
「じゃあ行かなきゃ」むしろ明るい調子でそう言うのでした。
「うん」ピーターはかすかな声で答えました。
「泳いで行く、飛んでいく? ねぇピーター」
 ピーターはウェンディに言わなければなりません。
「あの島まで泳ぐか飛んで行けるかい? ウェンディ、僕の助けなしで」
 ウェンディは正直いって自分がとても疲れている事は、認めなければなりませんでした。
 ピーターがうめきました。
「大丈夫?」ウェンディはすぐにピーターを心配して、そうたずねます。
「君を助けてあげられないんだ、ウェンディ。フックにやられたんだよ。飛べないし、泳げない」
「二人ともおぼれちゃうってこと?」
「水がどこまであがってきてるか見てごらん」
 二人はその光景から目をそむけるために、両目を手で覆いました。もうだめだと二人とも思いました。ただこうして座っていると、なにかがキスみたいに軽くピーターにふれ、そこでとどまって、おずおずとこう言っているようでした。「なにかお役に立てるかしら?」
 それはマイケルが数日前に作った凧のあしでした。マイケルの手から飛んでいって、流されていったのです。
「マイケルの凧だ」ピーターは最初は興味を示さずそういいましたが、次の瞬間にはその足をつかんでいました。そして凧を自分の方へ引き寄せました。
「凧はマイケルを地面から持ち上げた」ピーターは叫びました。「君を運べるよ」
「二人ともよ!」
「二人は無理だったんだ、マイケルとカーリーが試したんだ」
「くじびきにしましょう」ウェンディは勇気をもって言いました。
「君は女の子だよ、くじびきなんて絶対ごめんだ」すでにピーターはウェンディに凧をくくりつけていました。
 ウェンディはピーターと離れて一人で行くなんて嫌! とばかりにピーターに抱きつきました。でも「さようなら、ウェンディ」というと、ピーターはウェンディを岩から押しました。数分後には、ウェンディはピーターの見えないところまで飛んで行って、ピーターはラグーンに一人取り残されました。
 岩は立つ余地もないほど狭くなっていて、すぐにでも水にもぐってしまいそうでした。青白い光が水をよぎって、つま先立ちで通りすぎました。やがていっせいに世界中でもっとも耳に心地よく、もっとも悲しい声が聞こえてくるでしょう。それは人魚が月に呼びかけている声なのです。
 ピーターは、他の男の子達みたいに静かになんてしていません。でも最後には恐怖を感じました。まるで海に波が走るように、体に震えが走ります。ただ海では一つの波にもうひとつの波が続き大波になるものですが、ピーターはたった一つ震えを感じただけでした。次の瞬間、岩の上に再び立ちあがると顔には笑みを浮かべて体の中でドラムが打ち鳴らされるのを感じました。まるでこういってるみたいでした。「死ぬのはすっごい大冒険なんだろうな」

[#2字下げ]九章 ネバーバード[#「九章 ネバーバード」は中見出し]

 ピーターが一人取り残される前に最後に耳にしたのは、人魚たちが海の下の寝床に一人一人ひきさがる音でした。ピーターのところからは遠すぎてドア自体が閉まる音は聞こえません。ただ人魚が住んでいるサンゴの洞窟のドア一つ一つには小さなベルがついていて、ドアを開閉するたびにステキな音をたてるのです(わたしたちの世界でのステキな家とおなじように)。ピーターはそのベルの音を聞いていました。
 だんだん水位はあがり、ピーターの足にも水しぶきがかかるようになりました。そして水がすっかりピーターを飲みこんでしまうまで、ピーターはラグーンに浮かぶあるものを見つめていました。ピーターは、紙きれが一枚、たぶん凧の一部でも浮かんでいるのだと思いました。そして岸に打ち上げられるまでにどれくらいかかるんだろう? なんて漠然と考えていました。
 間もなくピーターは奇妙なことに気づきました。それが疑いなくある明確な目的をもって、ラグーンに浮かんでいることに気づいたのです。なぜなら潮の流れにさからって、時々は流れを乗り越えたりしたからです。乗り越えたときには、常に弱い方の味方であるピーターは拍手せずにはいられませんでした。なんて勇敢な紙切れでしょう。
 実はそれはただの一枚の紙切れではありません。ネバーバードです。巣に乗って死に物狂いで、ピーターのところまでたどり着こうとしていたのでした。巣が水に落ちたときから学んできた方法で羽をばたばた動かして、ある程度はその奇妙な乗り物である巣を操作することができたのです。ただピーターがネバーバードだと分かった時には、ネバーバードはすっかり疲れ果てていました。ネバーバードは、ピーターを助けにやってきたのです。卵を抱いているにも関わらず、巣を差し出そうというのでした。わたしはその鳥のことを本当に不思議に思います。なぜなら確かにピーターはネバーバードに親切にしてやったこともありましたが、時々はいじめたこともあったからです。私にはこうとしか考えられません。ピーターの歯が生えかわってなかったことに、ダーリング夫人やその他の人々と同じようにネバーバードも心を奪われたのでしょう。
 ネバーバードが、自分のやって来た理由をピーターに大声で言うと、ピーターは、そこで何をしているのかとネバーバードに大声で聞き返しました。しかしもちろんお互いに鳥と人間の言葉なので通じません。童話では、人と鳥は自由に話ができたりしますし、私もしばらくこのお話も同じようなフリをして、ピーターはネバーバードに賢明な返事をしました、なんて言えたらいいのにとつくづく思います。でも本当のことが一番ですし、私も本当に起こったことだけをお話ししたいのです。さてピーターとネバーバードはお互いの言ってる事が分からないばかりでなく、礼儀作法がどういうものかもすっかり忘れていたのでした。
「わたしは、あなたに、巣、を、使って、欲しい、の、よ」ネバーバードはできうる限りゆっくり、そしてはっきりと大声で叫びました。「そうすれば、岸、まで、いける、でしょ。でも、私は、とっても、つかれて、もう、これ以上、近くまで、巣を、運んで行けないわ。だから、ここまで、泳いで、いらっしゃい」
「なにをガーガー言っているんだい?」ピーターは答えました。「いつもみたいに流れにまかせて、巣を漂わせておいた方がいいよ」
「わたしは、あなたに、」ネバーバードは同じことをそっくり繰り返しました。
 今度はピーターがゆっくり、そしてはっきりと言ってみました。
「なにを、ガーガー、言って、いるん、だい?」てな具合です。
 ネバーバードはいらいらしてきました。だいたいネバーバードはとても気が短いのです。
「このぼんくら頭のおしゃべりぼうや」ネバーバードは叫びました。「わたしの言うとおりにしなさいってば」
 ピーターはネバーバードが自分の悪口をさけんでるような気がしたので、はっきりとわかっていたわけではなくて全くのカンだったのですが、かっとしてこう言い返しました。
「おまえこそ!」
 そしてとてもおかしなことに、二人とも同じ言葉を噛みつくように言いました。
「おだまり!」
「おだまり!」
 それにもかからわず、ネバーバードはできうる限りピーターを救おうと心に決めていたので、最後の力をふりしぼって巣を岩の方へおし進めました。それから自分のしていることの意味をはっきりさせるために、巣の卵を見捨てて飛び立ったのです。
 それでピーターもついに理解しました。巣をつかむと、頭上で羽ばたいているネバーバードに向かってありがとうというように手をひらひらさせました。でもネバーバードが上空でとどまっていたのは、ピーターの感謝をうけるためでもなければ、ピーターが巣に乗り込むのを見守るためでもありません。ピーターが卵をどうするかを見届けるためだったのでした。
 お話ししたかどうかは忘れてしまいましたが、岩には一本くいがたっていて、それはずっと昔に海賊たちが宝物を埋めた場所の目印にうちこんだものなのです。コドモ達はきらきら光る宝物を探し当て、いたずらをしたいときなんかにはポルトガル金貨やダイヤモンド、真珠、スペイン銀貨をカモメ達に向かってばら撒いたものでした。カモメ達は食べ物だと思ってそれらを口に入れると、自分たちに仕掛けられた卑劣ないたずらにカンカンになって飛び去るのでした。くいは今でもそこに立っていて、スターキーがそこに帽子を引っ掛けていました。広いつばのついた深い防水帽です。ピーターは卵をこの帽子にいれ、ラグーンにそっと置くと、それは見事にぷかぷか浮いたのでした。
 ネバーバードはピーターのしたことをすぐに理解して、賞賛の声をあげました。そして、あらまあ、ピーターも自画自賛しました。そして巣に乗り込んでくいを立ててマストにし、シャツをかけて帆にしました。同時にネバーバードは帽子の上に下りてきて、再びすっかり安心して卵の上に座りました。ネバーバードはあちらへ、ピーターはそれとは別のほうへ流されて行きました。二人ともすっかりご機嫌でした。
 ピーターは岸に着いたとき、乗ってきた巣をネバーバードがすぐに見つけられるような場所にちゃんと引き上げました。でも帽子がとてもいい具合だったので、ネバーバードは巣をお払い箱にしたのです。巣はばらばらになるまで漂っていて、スターキーはしばしばラグーンにきては、ネバーバードが自分の帽子に座っているのを苦々しく見守るのでした。ネバーバードをみることは二度とないでしょうから、ここでちゃんと書いておきましょう。今では全てのネバーバードがこんな形の巣を作って、つばがひろいので小鳥たちをその上で散歩させているのでした。
 凧であちこちをさまよっていたウェンディとほとんど同時に、ピーターが地下の家に着いたときには、みんなが大喜びでした。みんな自分の冒険を話したくてうずうずしていましたが、たぶんその中でも一番大きな冒険といえば、寝る時間を何時間も過ぎてしまっていたことでしょうか。みんな興奮していたので、少しでも長く起きていようといろいろとごまかしたりしたのです。ウェンディは全員が無事に家に帰ってこれたことを喜んでいましたが、時間が遅いことにすっかり腹を立てていたので、有無を言わせずこう叫んだのでした。「寝るのよ、さっさとベッドに行きなさい」ただ次の日になるとウェンディはとってもやさしくて、みんなに包帯をくばりました。そしてみんなは寝る時間までびっこをひいたり、三角巾で腕をつったりして遊んだのでした。

[#2字下げ]十章 楽しいわが家[#「十章 楽しいわが家」は中見出し]

 ラグーンでの海賊たちとのこぜりあいの末の大きな出来事といえば、コドモらとインディアンたちが友達になったことでしょう。ピーターがタイガーリリーを恐ろしい運命から救い出したので、彼女もとりまきの戦士たちもピーターのためなら何でもする勢いでした。毎晩地下の家を見張るために地上にすわりこみ、海賊たちが大攻勢をかけてくるのもそう遠いことではないと待ち構えています。昼間でさえ辺りをうろうろしており、インディアンパイプをすいながら、まるでちょっとうまいものでも食いたいなぁといった、もの欲しげな感じなのです。
 インディアン達は、ピーターを偉大なる白い父とよんで足元にひれ伏しました。ピーターはこれがすっかり気に入ったのでした。実のところ、あんまり本人のためにはならなかったのですが。
 ピーターは、自分の足元にひれ伏したインディアン達にむかって威厳のある態度でこう言ったものでした。「偉大なる白い父は、ピカニニの勇者達が海賊たちからわが家を守ってくれてうれしく思うぞ」
 気高く美しい女性がこう答えるのでした。「わたくし、タイガーリリー、お答えさせて、いただきます。ピーターパンさま、わたくし、お救い、くださいました。わたくし、あなたの忠実なるしもべ。海賊たちに、指一本触れさせないこと、誓います」
 リリーはたいへん美しく、こんな風にへりくだる必要はなかったのですが、ピーターときたら当然のことと思って、見下すような態度でこう答えるのでした。「それはいいな、ピーターパンが仰せだぞ」
「ピーターパンが仰せだぞ」というときはいつも、インディアン達はだまってその通りにしました。でもインディアン達は、他の男の子達には決してピーターほどの敬意を払ったわけではありません。男の子達は他の勇者と同じくらいとみなしていました。インディアン達は「どんなもん?」なんて口の利き方を男の子達にするのでした。男の子達をいらいらさせることに、ピーターまでもそんな口の利き方で問題ないと思っているのです。
 口には出しませんが、ウェンディも男の子達にはちょっと同情しました。ただとてもいい奥さんぶりを発揮していたので、お父さんへの口答えは耳に入らないのでした。「お父さんが一番いい方法を知ってるのよ」自分の意見がどうであれ、ウェンディはいつもこう言うのでした。ただウェンディの本音を聞くと、インディアン達はウェンディを“かみさん”なんてよぶべきじゃないということなんですが。
 “夜のなかの夜”としてみんなに知れわたっている夕べがやってきました。なぜ“夜のなかの夜”かといえば、あの冒険とその結末ゆえです。昼間はまるでこっそり集まる軍勢のように、ほとんどなにも起こりません。さてインディアン達は毛布にくるまり、地上の自分の持ち場についています。一方コドモ達は、ピーターを除く全員が揃って地下で夕食をとっています。ピーターは時刻を知るために外出していました。この島で時刻を知ろうとすると、ワニを探さなければなりません。ワニの時計が時刻を知らせてくれるまで、その近くにいるのです。
 今回の食事は、たまたまお茶ゴッコでした。テーブルの周りに座って、がぶがぶとお茶をのむのです。実際コドモ達のおしゃべりと口喧嘩、そのうるさいことときたら、ウェンディにいわせれば耳をつんざくようといった具合です。確かにウェンディはうるさいことは気にもしませんが、モノをひったくって、その上トゥートルズがひじで押したんだもん、なんて言い訳するのは許しません。決まりがあります、食事中は言い返さないこと、そしてウェンディに口喧嘩について言いたい時は、右手を礼儀正しく上げて「これこれについて言いたいのです」と言わなければならないのです。しかしいつものことですが、し忘れるか、しすぎるかのどちらかなのでした。
 二十回も「みんながいっせいにしゃべるんじゃないの」と言った挙句に「しずかに」とウェンディは叫びました。「あなたのコップはからっぽじゃないの、スライトリー」
「まだです、お母さん」スライトリーは、コップがあるフリをして、のぞきこんでいいました。
「やつはミルクに口をつけてもいません」ニブスが口をはさみました。
 これは告げ口です。スライトリーは自分のチャンスとばかりに「ニブスについて言いたいのです」とすぐさま叫びました。
 しかしながらジョンが最初に手を挙げています。
「ジョンどうしたの?」
「ピーターのところにすわってもいい? いないし」
「お父さんの席にすわるですって、ジョン!」ウェンディはあきれてしまいました。「絶対にだめです」
「本当のお父さんじゃないやい」ジョンは口答えしました。「だいたい僕が教えてやるまで、お父さんがどうするかも知らなかったんだよ」
 これは不平不満です。「ジョンについて言いたいのです」双子が叫びました。
 トゥートルズが手を挙げました。みんなの中でもとびぬけてつつましやかだったので、というかつつましやかなのはトゥートルズたった一人だったので、ウェンディも格別トゥートルズにはやさしいのでした。
 トゥートルズは自信なさそうにおずおずと言いました。「僕はお父さんにはなれないよねぇ」
「ええ、トゥートルズ」
 トゥートルズは、たびたびというわけではなかったんですが、いったん始めるとバカバカしい話を続けることがありました。
「お父さんは無理としたら、」のろのろと言いました。「マイケル、あかんぼうをぼくにゆずってくれないかな?」
「やだね」マイケルはわめきました。マイケルときたらもう揺りかごにはいっていたのでした。
「あかんぼうも無理としたら、」もっともっともっとのろのろと言いました。「双子はどうかな?」
「絶対だめ」双子は言いました。「双子になるのはすっごく難しいんだから」
「そういう大事なものは無理としたら、」トゥートルズは言いました。「だれでもいいから僕が手品をするのを見てくれないかなぁ?」
「やだ」みんなは声をそろえました。
 それでとうとうトゥートルズは話をやめてこう言いました。「最初からむりって思ってたけどね」
 不愉快な告げ口がふたたび始まります。
「スライトリーがテーブルの上で咳をしてます」
「双子がチーズケーキを食べてます」
「カーリーがバターとはちみつの両方をつけてます」
「ニブスが口にモノをいれながらしゃべってます」
「双子について言いたいのです」
「カーリーについて言いたいのです」
「ニブスについて言いたいのです」
「あら、まあ」ウェンディは叫びました。「ときどき、結婚してない人がホントにうらやましくなるわ」
 ウェンディはみんなに食事の後片付けをするように言うと、自分は熱心に裁縫にとりかかりました。どっさりの靴下で、いつも通り全部のひざのところに穴が開いていました。
「ウェンディ」マイケルが文句を言いました。「ぼくはもう揺りかごに入るには大きすぎるよ」
「だってだれかが揺りかごにいなきゃ」ぴしっとした調子でウェンディは答えました。「そしておまえが一番小さいし、揺りかごは家においとくと幸せな一家団らんのしるしなの」
 ウェンディが繕いものをしている間、コドモ達はまわりで遊んでいます。その幸せそうな顔と踊ってる手足の一団が、ロマンティックな暖炉の火に照らされています。これが、地下のわが家でのとても家庭的な風景でした。ただわたしたちがこの風景をみるのも最後なのですが。
 上で足音がして、あなたも思った通り、ウェンディが最初にそれに気づきました。
「みんな、お父さんの足音が聞こえるでしょ。ドアの所まで迎えにいったらお父さんは喜ぶわよ」
 上ではインディアン達が、ピーターの前で頭を垂れていました。
「良く見張れ、勇者たち、ピーターパンが仰せだぞ」
 それから、以前からよくしているように元気なコドモ達が、ピーターの木からピーターを家に引き込むのでした。以前からよくしているように……ただこれが最後になるのです。
 ピーターは、男の子たちには木の実を、ウェンディにはきちんとした時刻をお土産に帰ってきました。
「ピーターったら甘やかしすぎですよ」ウェンディが微笑みながらいうと、「ああ、おまえ」ピーターは自分の銃を壁にかけながら答えるのでした。
「僕が、ピーターにお母さんっていうのは“おまえ”って呼ぶんだよって教えたんだ」マイケルはカーリーにささやきました。
 すぐにカーリーは言いました。「マイケルについて言いたいのです」
 最初に双子がピーターのところにやってきました。「お父さん、おどろうよ」
「むこうでな、ぼうやたち」ピーターはとてもごきげんでした。
「お父さんにもおどって欲しいんだ」
 ピーターは実際のところみんなの中で一番ダンスが上手かったのですが、憤慨したフリをしたのでした。
「わしが! 老骨にムチうつのかい!」
「ママも」
「なんですって」ウェンディは叫びました。「こんなに両手にかかえるほどやることがあるお母さんがダンスですって!」
「でも土曜の晩だよ」スライトリーはほのめかすのでした。
 実際には土曜の晩ではありません、もしかしたらそうだったかもしれないのですが。というのも当の昔に日付がいつだか忘れていましたから。ただ何か特別なことをしたいときはいつも、土曜の晩といえばよかったのでした。
「もちろん土曜の晩ですしね、ピーター」ウェンディはやさしい声でいいました。
「世間の人がわしたちのこんな姿をみたらなんていうか、ウェンディ!」
「でもコドモ達しかいませんもの」
「たしかに、たしかに」
 そしてコドモ達はおどってもよろしいと許しを得ましたが、まずねまきに着替えなければなりませんでした。
「おお、おまえ」ピーターは横にいるウェンディに向かって言いました。ピーターは暖炉で暖まりながら、かかとをひっくりかえしているウェンディを見下ろしました。「わしとおまえにとって一日のやっかいな仕事が終わった後、かわいいコドモ達にかこまれて、暖炉のそばで一息つくほど心休まる夕べはないなぁ」
「幸せよ、ピーター」ウェンディはとっても満足したように言いました。「ピーター、私はカーリーの鼻ったらあなたそっくりって思うわ」
「マイケルはおまえ似だな」
 ウェンディはピーターの側に行き、肩に手を添えました。
「ねぇピーター、こんなに大家族で、もちろん私ももう若くはないけど、私に変わってほしいなんて思ってないわよねぇ?」
「もちろんだよ、ウェンディ」
 確かに変わって欲しくはありませんが、ピーターのウェンディを見る目はどこか居心地が悪そうです。まばたきなんかして、えーと、起きてるか寝てるかはっきりしない人みたいです。
「ピーター、どうしたの?」
「ただ考えてただけだよ」ピーターは少しびくびくしながら言いました。「僕がみんなのお父さんっていうのは、ただのフリなんだよねぇ?」
「そうよ」ウェンディは少し声を固くして答えました。
 ピーターは弁解がましく続けます。「みんなの本当のお父さんになるなんて、年寄りみたいな気がしちゃうんだよなぁ」
「でもコドモ達はわたしたちの、あなたとわたしのものよ、ピーター」
「でもホントじゃないんだよね、ウェンディ?」ピーターは心配そうに聞くのでした。
「そうしたくないならね」ウェンディは答えると、ピーターの安堵のため息をはっきり聞いたのでした。「ピーター」断固として譲らない調子で聞きました。「私のこと、あなたはどう思っているの?」
「お母さんとして尊敬してるよ、ウェンディ」
「そんなことだと思ったわ」ウェンディはそう言うと、ひとりで部屋のすみっこの方へ行って座りこみました。
「君はかわってるよ」ピーターは訳がわからないといった具合です。「タイガーリリーも全くおなじ。彼女もぼくの何かになりたいみたいだけど、それもお母さんじゃないみたいなんだよな」
「もちろんよ、決まってるじゃない」ウェンディははっきり答えました。やっとウェンディがインディアン達に反感をもっている理由もわかりましたね。
「じゃあなんなのさ?」
「女性の口から言うようなことじゃないわ」
「ああ、いいよ」ピーターは少しいらいらして言いました。「たぶんティンカーベルが教えてくれるよ」
「ああそうね、ティンカーベルが教えてくれるでしょうよ」ウェンディは軽蔑するように答えました。「ティンクなんて小さくて勝手気ままな子ですしね」
 ここで自分の寝室にいたティンクが立ち聞きしていて、なにか生意気なことをキーキーがなりたてました。
「ティンクがいうには、勝手気ままで光栄だってさ」ピーターは通訳しました。
 ピーターに突然ある考えが浮かびました。「たぶんティンクはぼくのお母さんになりたいんだ」
「このすっとこばか!」ティンカーベルはかっとして叫びました。
 これはしょっちゅう言っているので、ウェンディにも通訳してもらう必要はありません。
「彼女の気持ちはよーくわかるわ」ウェンディもかみつくように言いました。ウェンディがかみつくように言うなんて想像してみてください。でもウェンディもずいぶん努力はしていたのですが、夜が明けるまでに何が起こるかは全く知らなかったのです。もし知っていたら、かみつくように言ったりはしなかったことでしょう。
 だれも何が起こるかは知りません。たぶん知らない方がよかったでしょう。知らないがために、いま少し楽しいひとときをすごせたのですから。そしてそれがこの島での最後の一時間だったら、その一時間のなかに楽しい六十分があることを喜ぼうではありませんか。コドモ達はねまきをきて歌い、踊りました。それはどんなに愉快でぞっとさせるような歌だったでしょう。みんな自分の影におびえるフリをしたのです。すぐに影が自分たちに忍び寄ることにも気づかずに。その影こそが、恐ろしさのあまり後ずさりするようなものだったのです。ダンスはとても大騒ぎで、ベッドの上で外でどれほどとっくみあいをしたことでしょう。もうダンスというよりはまくら投げでした。終わったときにはまくら達がもう一回戦やりましょうなんていってるみたいです。まるでもう二度と会うことができない相棒みたいに。ウェンディがお休みのためのお話をする時間まで、みんなはいろいろお話ししました。スライトリーでさえ、その夜はお話をしようとしました。でも始まりが死ぬほど退屈だったので、他のコドモ達だけでなく自分でもぞっとしちゃうくらいで、うれしそうにこう言ったのでした。
「うん、退屈なはじまりだ。終わりのフリをしよっと」
 それからついにウェンディのお話を聞くためにみんなベッドに入りました。みんなは大好きですが、ピーターは大嫌いなあのお話をそろって聞いたのでした。いつもはそのお話しがはじまると、ピーターは部屋をでるか両手で耳をふさぐかするのです。そして今回もピーターがそのどちらかをしてくれれば、みんなはまだこの島にいたかもしれません。ただピーターは、今夜に限ってずっとこしかけに座っていたのでした。さてなにが起こるのか見てみることにしましょう。

[#2字下げ]十一章 ウェンディのお話[#「十一章 ウェンディのお話」は中見出し]

「よく聞いてなさい」ウェンディはそう言うと、心をこめてお話をはじめました。マイケルがウェンディの足元に、他の七人の男の子達はベッドにはいっています。「むかし一人の男の人が……」
「僕は、男の人より女の人がいいなぁ」とカーリー。
「僕は白いねずみだったらなぁと思ったけど」とニブス。
「静かに」お母さんが注意しました。「女の人も一人いました。そして……」
「ねぇ、ママ」双子の片割れが言いました。「女の人も一人いるって意味だよね? 女の人は死んでないよね、ちがう?」
「そうですよ、死んでませんとも」
「死んでなくて、死ぬほどうれしいよ」トゥートルズは言いました。「ジョン、君もうれしい?」
「もちろんぼくもうれしいさ」
「うれしい? ニブス」
「すごくね」
「うれしい? 双子」
「二人ともうれしいよ」
「あらあら」ウェンディはため息をつきました。
「そこ、静かにするんだ」ピーターが命令しました。ピーターにとってみればどんなにひどい話だろうと、とにかくウェンディがきちんと話せるようにしなくてはと心に決めていたのです。
「男の人の名前は、」ウェンディは続けました。「ダーリング氏といいました。女の人の名前はダーリング夫人でした」
「知ってるよ」ジョンがそう言ったので、他のコドモ達はムッとしました。
「僕も知ってるような気がするな」マイケルはかなり自信がなさそうに言いました。
「二人は結婚していました」ウェンディが説明します。「二人の間には、何がいたと思います?」
「白いネズミ達だね」ニブスは、思いついたように言いました。
「違うわ」
「うーんめちゃくちゃ難しいよ」トゥートルズは、その話をそらで暗記していたんですが、そう言いました。
「静かに、トゥートルズ。二人には三人の子孫がいたのよ」
「子孫って?」
「そうねぇ、あなたもそうよ、双子さん」
「聞いたかい、ジョン? ぼくも子孫」
「子孫っていうのは、単にコドモってことだよ」ジョンは言いました。
「あら、あら」ウェンディはため息をつきました。「さてその三人の子供には、忠実なナナという名前の乳母がいました。でもダーリング氏は、ナナに腹をたてて、庭に縛り付けてしまったのでした。それで三人のコドモ達は、飛び出してきたのです」
「とっても素敵な話だね」ニブスは言いました。
「三人は、迷子のコドモ達がいるネバーランドまで飛んでいったのでした」ウェンディは続けます。
「あー、ウェンディ」トゥートルズは大きな声でいいました。「迷子のコドモ達の一人は、トゥートルズって名前?」
「そうよ、もちろん」
「僕もお話に入ってる、ばんざーい、僕もお話に入ってるよ、ニブス」
「うるさいわよ。さあみんなに考えて欲しいのは、三人のコドモ達が飛んでいった後の不幸なお父さん、お母さんの気持ちよ」
「あぁ!」みんなはうめきました、ただその感情をあまりわかっていたわけではありません。
「空っぽの三つのベッドを考えてもみて!」
「あぁ!」
「なんて悲しいんだろう」双子の片割れは、さもうれしそうに言いました。
「どうやったらハッピーエンドになるのか、皆目見当もつかないや」双子のもう一人の片割れは言いました。「どう思う、ニブス?」
「ぼくもとっても心配だな」
「もしお母さんの愛情がどれほど大きなものか知っているのなら、」ウェンディはみんなに勝ち誇ったように言いました。「恐がることはないわ」ウェンディは、とうとうピーターが嫌いな場所にさしかかっていました。
「ぼくは、お母さんの愛情が大好き」トゥートルズは、まくらでニブスをぶちながら言いました。「きみは、おかあさんの愛情が好き、ニブス?」
「もちろん僕も」ぶちかえしながら、ニブスは言いました。
「わかってるでしょうけど」ウェンディは悦にいって言いました。「このお話のヒロインは、お母さんがコドモ達が飛んで帰って来れるように、ずーっとあの窓を開けっ放しにしているだろうってことを知ってたのよ。それで何年もとどまって、楽しい時間を過ごしたのでした」
「そもそも家に帰ったの?」
 ウェンディは、渾身の力をふりしぼって答えました。「さあ、未来をちょっとのぞいてみましょう」そしてみんな体をねじって、未来をのぞきこみやすくしました。「月日が流れ、ロンドン駅に降り立った、あの年齢不詳の優雅な女性はだれでしょう?」
「ウェンディ、だれなの?」ニブスはこれっぽっちも知らないかのように興奮して叫びました。
「まさか、そう。いいえ、それは、美しいウェンディでした」
「おぉー!」
「ウェンディに付き添っている、成人した二人の気品のあるかっぷくのいい姿はだれでしょう? ジョンとマイケルじゃありませんか? そうです、その通り!」
「おぉー!」
「“みてごらん、おまえたち”ウェンディは上の方を指さして言っています。“まだ窓は開いたままよ。あぁ、今こそわたしたちのお母さんの愛を信じるすばらしい気持ちが報われるのよ”そして、ママとパパの所に飛んでかえるのでした。この幸せなシーンは、とても語ることはできません、ここで幕をひくことにしましょう」
 お話はざっとこんな感じで、話の上手いウェンディと同じくらいみんなも喜びました。だって、お話はまさにありそうなことでしたから。コドモというものは、世の中でもっとも残酷なものみたいに逃げ出すことがあります。コドモとは、えてしてそういうものです。だからこそコドモは、魅力的でもあるんです。コドモには全く自分勝手な時があり、そしてみんなの注目を集めたいときは、おしりをぶたれるどころか誉めてもらえると信じこんで、胸をはって戻ってきたりするのです。
 みんなはお母さんの愛というものを強く信じていたので、もう少しくらい家を空けても大丈夫と思っていたのです。
 でもここには一人だけ、もっと物事をよくわかっているコドモがいました。そしてウェンディが話し終わると、力のないうめき声をあげたのです。
「どうしたの、ピーター?」ウェンディはピーターのそばにかけよって、具合が悪いのかしらと思って、声をかけました。ピーターのことを気づかって胸の下のほうをさわり、「どこが痛むの、ピーター?」と言いました。
「そういう痛みじゃないんだ」ピーターは低い声でつぶやきました。
「どんな痛みなの?」
「ウェンディ、お母さんってものについて、君はまちがってるよ」
 みんなはビックリしてピーターのまわりに集まり、ピーターの動揺がみんなを不安にさせました。いままで隠していたことを、ピーターは率直に口にしたのでした。
「むかし、」ピーターは言いました。「お母さんは僕のために窓を開けたままでいてくれると、君たちみたいに思ってた。だから僕は、何ヶ月も何ヶ月も何ヶ月も家を空けていたんだ。そしてその後、家に飛んで帰ったよ。でも窓は固く閉まってて、お母さんは僕のことなんかすっかり忘れちゃって、僕のベッドには別の小さな男の子が寝てたんだ」
 これが本当のことかどうかわかりませんが、少なくともピーターにとってはホントのことでした。みんなはビックリしました。
「お母さんって本当にそういうものなの?」
「そうさ」
 これがお母さんについての本当のことですって、ピーターったらなんていやなやつでしょう。
 物事は落ち着いて判断した方がよいのですが、コドモというのは、降参すると決めたらそれはそれはすばやいものです。「ウェンディ、帰ろうよ」とジョンとマイケルが口を揃えると、「ええ」とウェンディも二人をだき抱えてるようにして言ったのでした。
「今夜じゃないよね」迷子のコドモ達はまごつきながら言いました。でもコドモ達は心の中では、お母さんなしでもけっこう上手くやっていけるし、お母さんの方こそコドモなしでは上手くやっていけないものだってことを知っているのでした。
「すぐ帰るわ」ウェンディはすっかり腹を立てて、答えました。恐ろしい考えに取りつかれているのです。「たぶん今ごろお母さんは、私たちのことを半分あきらめて、死んでしまったと思っているかもしれない」と考えていたのでした。
 そんな恐ろしい考えに取りつかれていたので、ウェンディはピーターがどんな気持ちでいるか察するのは忘れてしまって、きっぱりとこう言ったのでした。「ピーター、いろいろ必要な準備をしてくださいな」
「君がそうしたいならね」ピーターは、まるで木の実でも取ってくださいなんて頼まれたようにそっけなく答えました。
 二人の間には、別れるのが寂しいという雰囲気はみじんもうかがえませんでした。ウェンディが別れてもなんとも思わないなら、僕も平気なところをみせてやろうっていうのがピーターでしたから。
 ただもちろんピーターだって、とても気にはしていたのです。ただいつものことですが、なにもかもめちゃくちゃにするオトナ達のことをカンカンに怒っていました。そして自分の木の中にはいるとすぐに、わざと一秒に五回、短く早く息をしたのでした。ピーターがそうしたのは、ネバーランドにはこんなことわざがあったからです。「息をするたびオトナがひとり死ぬ」ピーターは復讐心にめらめら燃えて、できる限り早くオトナを全員殺しちゃおうとしたのでした。
 そしてピーターがインディアン達に必要な指示を与えて、家に帰ってみると、そこではピーターが留守にしている間に、卑劣な場面が繰り広げられていました。ウェンディがいなくなるなんてとパニックに陥った迷子の男の子達は、ウェンディにほとんど脅すように詰め寄っていたのでした。
「ウェンディが来る前より悲惨」みんなは言いました。
「ウェンディを行かせやしない」
「とらわれの身にしちゃおう」
「うん、くさりでつなぐんだ」
 窮地に追い込まれたウェンディには、だれを頼りにすればいいのか自然とわかりました。
「トゥートルズ、おねがい」
 奇妙なことじゃないですか? ウェンディはトゥートルズにお願いしたんです。みんなの中で一番おばかさんなトゥートルズに。
 でもトゥートルズは立派にこれにこたえました。おろかなところはみじんも見せず、威厳をもってこう言ったのでした。
「ぼくはもちろんトゥートルズだ。だれもぼくのことなんか気にしない。でも、最初にウェンディに英国紳士らしからぬふるまいをするやつには、たっぷり血をみせてやるぞ」
 トゥートルズは短剣を抜き、そのときのトゥートルズはすごい勢いでした。他の男の子達は困惑して後ずさりしました。その時ピーターが帰ってきたのですが、すぐに男の子達は、ピーターからはなんの助けも期待できないことが分かりました。ピーターは、女の子が嫌がるのに無理やりネバーランドにとどめるようなことはしませんから。
「ウェンディ」ピーターは、大またで行ったり来たりして言いました。「インディアン達に森を案内するように頼んでおいた。飛ぶのはとても疲れるだろうし」
「ありがとう、ピーター」
「それから」ピーターは続けました。ハイという返事になれきっている短くするどい声です。「ティンカーベルが海を渡るのを案内してくれる。ティンクを起こすんだ、ニブス」
 ニブスは、返事を聞くまで二回もノックしなければなりませんでした。ティンクときたら、ホントのところはベッドに座って、聞き耳をたてていたのでしたが、「だれ? ずうずうしいったらありゃしない、向こうに行って」なんて大声で言うのでした。
「起きなきゃだめだよ、ティンク」ニブスは声をかけました。「で、ウェンディを旅につれて行くんだよ」
 もちろんティンクは、ウェンディが行ってしまういう事を聞いて、飛びあがるほどうれしかったのです。ただウェンディの案内なんて絶対ごめんだと心に決めていたので、まだにくたらしい言葉づかいで行かないと答えて、また寝たふりをしました。
「ティンクがいうには、行きたくないだって!」ニブスは、こんな反抗的なティンクにびっくりして声をあげました。その時ピーターは、つかつかとティンクの寝室にむかって歩み寄りました。
「ティンク」ピーターはわめきました。「起きてすぐに着替えないなら、僕がカーテンを開けて、ネグリジェ姿のおまえをみんなで見ることになるぞ」
 ティンクは、こう言われて床から飛びあがるほどびっくりして「誰が起きないなんていいました?」と答えました。
 その間ずっと、男の子達はとてもさびしそうに、ジョンとマイケルをつれて旅にでるウェンディを見つめていました。みんなは、すっかり意気消沈しています。ただウェンディがいなくなってしまうからというだけではありません。ウェンディが自分達は招かれていない、なにか楽しそうな場所へ出発するんだと思っていたのです。いつものことですが、みんな目新しいものには心を惹きつけられるのです。
 ウェンディは、みんながもっと気高い気持ちでいるのだと思い哀れに感じました。
「ねぇみんな、」ウェンディは言いました。「もしみんなが一緒に来たければ、パパとママに頼んでみんなを養子にしてもらうようにできると思うわ」
 このお招きは特にピーターに向けてのものでしたが、男の子たちはみんな自分こそが招かれたのだと考えて、すぐに大喜びで飛びあがりました。
「でもパパとママは、僕らをやっかいものだなんて思わないかな?」ニブスは、飛びあがりながらもそう聞きました。
「あら、そんなことないわ」ウェンディは、急いでよく考えて答えました。「客間にいくつかベッドをおけばいいことだし。第一木曜日には、ベッドはついたての後ろにかくせばいいわ」
「ピーター、行ってもいい?」みんなはお願いするように言いました。みんなは、自分たちが行けばピーターも一緒に来るのが当然と思っていました。ただホントのところ、ピーターのことは全然気にしていないのです。コドモなんてものは、目新しいものが現われると自分の一番大事なものさえ見捨ててしまうものですから。
「いいよ」ピーターは、無理に笑顔を作って答えました。すると男の子たちは、すぐに身の回りのものを取りに駆けだしました。
「じゃあ、ピーター」ウェンディは、これで大丈夫と思って言いました。「出発する前にお薬をあげなきゃね」ウェンディはみんなに薬を飲ませるのが大好きで、間違いなく飲ませすぎです。もちろん薬といってもただの水ですが、ボトルで作るのです。ウェンディはいつもボトルを振って、しずくを数えました。そうすると確かに薬と同じ効き目があるのです。でもこの時ばかりはウェンディは、ピーターに薬をあげることはできませんでした。というのも薬の準備をしているまさにその時、ウェンディの気分を落ち込ませるようなピーターの表情をふとみてしまったのです。
「ピーター、身の回りのものを準備しないと」ウェンディは身をふるわせながら言いました。
「いや」ピーターは無関心をよそおって、こう答えました。「僕は、君とは一緒にいかないよ、ウェンディ」
「行きましょう、ピーター」
「行かないよ」
 別にウェンディが行ってもへっちゃらさと見せびらかしたいばかりに、ピーターは部屋の中を楽しそうに、心はこもっていませんが笛を吹いたり、あちこちスキップしたりしました。ウェンディは、ピーターの後を走って追いかけまわさなければなりません。かなりみっともないことです。
「お母さんを見つけましょうよ」ウェンディはなだめるように言いました。
 ピーターに本当にお母さんがいたとしても、もう今ではお母さんがいなくて寂しいと思うことはまずありません。お母さんなんて、いない方がよっぽどいいことばかりです。お母さんのことにいろいろ思いをめぐらせてみましたが、思い出すのは悪いことばかりでした。
「だめ、だめ」ピーターは、ウェンディにバカにしたように言いました。「お母さんは、僕にもう大きすぎるっていうよ。僕はいつまでもコドモでいて、楽しくやりたいだけなんだ」
「でも、ピーター……」
「だめったら、だめ」
 みんなにも言わなければなりません。「ピーターは行かないって」
 ピーターが、行かないですって! みんなは、ぽかんとピーターを見つめました。みんなは背中に棒を担ぎ、棒には荷物がくくりつけてありました。最初にみんなが思ったのは、ピーターが行かないなら、たぶん気が変わってみんなも行かせてくれないだろうってことでした。
 でもピーターは、とてもプライドが高かったので“行かせない”とは言わず、憂鬱そうな声でこう言っただけでした。「もしお母さんなんてものが見つかったら、気に入るといいね」
 このひどく皮肉な言葉は、みんなの居心地を悪くしました。ほとんどの男の子達は、行こうかどうか迷いはじめたようです。つまるところ、みんなの顔はこう言ってるのでした。そもそも行きたいなんて、マヌケなのかな?
「さあ」ピーターは言いました。「騒いだり泣いたりせずに、さよならだ。ウェンディ」そして快活に手を出しました。まるで自分はなにか大事なことをやらなくちゃならないので、みんなにはすぐにでも行ってもらわなきゃといった風です。
 ウェンディは、ピーターと握手するほかありません。ピーターったら指ぬきの方がいいやというそぶりさえ見せないのです。
「ちゃんとフランネルの下着をかえるのを忘れないでね、ピーター?」ウェンディは、ピーターのことをぐずぐず考えながら言いました。ウェンディは、いつもフランネルの下着のことにはとってもうるさいのでした。
「うん」
「薬も飲むのよ?」
「うん」
 それで全部に思えました。そして気まずい沈黙が訪れました。でもピーターは人前で取り乱すようなことはしないので「準備はいいか、ティンカーベル」と大声をだしました。
「はい、はい」
「さあ道案内するんだ」
 ティンクは手近な木をさっと登ったので、誰も後に続けませんでした。と、まさにそのとき、海賊たちがインディアン達に恐ろしい攻撃を仕掛けたのです。地上では、物音一つしていませんでしたが、悲鳴と鉄のぶつかる音が空気をつんざきました。地下では、みんな死んだように静かです。みんなの口は開きっぱなしで、ウェンディは両膝をつきながらも、両腕をピーターの方に伸ばしました。みんなの両腕がピーターの方へと伸びました。まるでみんなが突然ピーターの方へと吹き飛ばされたかのようです。みんなは、無言でピーターに見捨てないでと頼んでいたのでした。ピーターはといえば、剣をひしとつかみました。ピーターは、その剣でバーベキューを殺したと思い込んでいるのです。そしてピーターの目には、闘争心がめらめらと燃えていました。

[#2字下げ]十二章 さらわれたコドモたち[#「十二章 さらわれたコドモたち」は中見出し]

 海賊の襲撃は、まったく驚くべきもので、無法者のフックが卑怯な手をつかったのは間違いありません。なぜならこれほどインディアン達を驚かすなんて、白人の考えつくことではないからです。
 未開の地の戦いでも不文律で、攻撃するのはインディアンと相場が決まっています。種族に特有のずる賢さで、夜明け直前に攻撃するのです。夜明け直前には、白人の勇気は潮がひくようになくなっていることをインディアンは知っていますから。一方白人たちは、向こうの方の起伏のある土地の一番高い所にそまつな柵を作ります。その一番低いところには小川が流れています。水から遠く離れるのは、命取りになりますから。そこで白人たちは猛攻撃をいまかと待ちうけるのでした。戦いの経験のないものは、拳銃を握りしめ小枝の上をうろうろ歩き回っていますが、古株たちは夜明け直前までぐっすり寝ています。長いやみ夜の間ずっと、インディアンの斥候たちは、草の間を葉っぱ一枚動かすことなく、へびみたいに身をくねらせていくのです。彼らの通った後は、モグラが砂に潜るのと同じくらい静かにやぶが元通りになります。斥候たちが、コヨーテの遠吠えそっくりの真似をする時以外は、物音ひとつしません。遠吠えには他の勇者達が答えます。そしてインディアン達のなかには、本物のコヨーテ以上に上手く遠吠えをするものもいました。そもそも、コヨーテはほえるのがあんまり上手くないのです。冷えこむ夜が過ぎていき、初めてそんな時をすごす臆病者の白人にとっては、長い間どきどきするのはとても落ち着かないことです。ただ鍛えられた古株にとってみれば、身の毛のよだつ遠吠えも、もっとぞっとさせるような静けさでさえ、夜が明けていくことを知らせてくれるものに過ぎません。
 これこそがいつものやり方だってことは、フックにとっても先刻承知でしたから、あえてそれを無視したのは、単に知らなかったからなんて言い訳は通りません。
 ピカニニ族はフックの道義心を信じて疑わなかったので、その夜の行動はフックのものとは全くといっていいほど対照的でした。ピカニニ族は、種族の評判に劣らぬ用意周到ぶりを発揮しました。この鋭敏な感覚は、文明人にとっては脅威でもあり、憂鬱のもとでもあるのです。その感覚でインディアン達は、海賊たちの一人でも乾いた小枝の一本を踏みつけた瞬間に、海賊が島に上陸したことを知るのです。そして信じられないほどすぐさま、コヨーテの遠吠えを始めます。フックが軍勢を上陸させた場所と木の下のわが家の間はくまなく、モカシン(インディアンのかかとのない靴)を前後逆に履いたインディアンの勇者達が、ひそかに調べました。小川が近くにある丘はたった一つしかありません。よってフックには選択の余地はないわけで、そこに陣をかまえて夜明け直前まで待機するにちがいありません。このように抜け目のない手際の良さでなにもかもを計画し、インディアン達のほとんどは体に毛布をまきつけています。そして彼らにとっては男の中の男といった落ち着いた態度で、コドモ達の家の真上に身を潜め、白人たちを皆殺しにする冷酷な瞬間を待ちうけているのでした。
 目はかっと開いているのですが、インディアン達は夜明けにフックをこの上ない拷問にかける夢を見ています。そんな疑うことをしらない未開人たちは、裏切り者のフックに見つかってしまうのでした。全てが終わった後、虐殺を逃れたいく人かの斥候による説明では、薄暗い明かりでフックの目に丘がはっきり見えていたのは確かでしたが、そこで休むそぶりさえ見せなかったとのことです。おめおめと攻撃を待つなんてことは、最初から最後までフックのずる賢い頭には、露ほども思い浮かばなかったようです。フックは夜明けまで待つことすらせず、ただただ戦ってやるという一心で猛攻撃をかけたのでした。あわてふためいた斥候たちに何ができたでしょうか、さしもの歴戦の斥候たちでもこんな戦法は初めてだったので、どうすることもできません。フックの後をつけましたが、すぐに見つかってしまい、哀れなコヨーテの遠吠えをあげたのでした。
 勇敢なタイガーリリーのまわりは、一ダースもの最強の勇者が取り囲んでいました。裏切り者の海賊たちが急襲してくるのが、突然彼らの目に入りました。目の前での処刑を夢見ていたうすい膜はびりびりと引裂かれ、火あぶりで拷問するどころではありません。自分たちこそが、今や死後の楽園にいるのです。自身でもそれはよくわかっていました。あとはただ先祖の名に恥じぬようにふるまうだけです。その時でさえ、もしあたふたしてすぐに立ちあがったなら、むざむざ踏みにじられないように守りを固める時間はあったでしょう。でもそうすることは、部族の伝統で固く禁じられています。気高いインディアンは、決して白人の前では驚きの表情を見せないものだと部族の本には書かれているのです。だから海賊たちが突然現われたのは、インディアン達にとっても恐ろしいことだったでしょうが、まるで敵を招待したかのように微動だにせず、しばらくじっとしていたのでした。それから雄々しく伝統に従い、武器をつかみました。鬨の声があたりを引裂いたのですが、いかんせん遅すぎました。
 闘いというよりは虐殺がどのように行われたかを書くのは、わたしたちの役目ではありません。ピカニニ族の勇敢な戦士たちの多くは、惨殺されました。でも彼らとて反撃しないまま、死んだわけではありません。やせた狼の男は、アルフ・メイソンを倒しました。メイソンは、カリブ海をこれ以上荒らしまわることもないでしょう。殺された他の海賊たちの中には、ジョージ・スカリー、チャールズ・ターリーそしてアルザスのフォガッティーがいました。ターキーは獰猛なヒョウの男のトマホークで殺されて、獰猛なヒョウの男は、タイガーリリーと部族のわずかな生き残りとともに海賊たちが取り囲む中を切り開き、ついには逃げ出したのでした。
 この場合のフックの戦術がどれくらい非難されるものかは、あくまで歴史家の決めることです。もし丘で決められた時間まで待機していたら、フックと手下どもはたぶん全員切り刻まれたことでしょう。フックをさばくには、その点を考え合わせるのがフェアーというものです。たぶんフックがやるべきだったのは、新しい戦法を使うつもりであることを前もってインディアン達に知らせておくことだったかもしれません。ただもしそうしていたら、相手を驚かせる効果はなくなって、フックの戦術は役には立たなかったでしょう。だから問題は、全てを考えあわせると、なかなか難しいものなのです。少なくとも、このような大胆な計画をたてた知恵とそれを実行に移した恐ろしい才能には、しぶしぶながらでも拍手をおくらずにはいられません。
 この大勝利をフック船長はどう感じているのだろう? フックの手下どももそれこそが知りたかったのでした。手下どもは荒々しく息をして、短剣の血をぬぐいながら、ただ右腕のフックが届かないところに集まって、この人並みはずれた男をさぐるような目つきでじっと見つめたのでした。フックの心にも得意な気持ちはあったに違いありませんが、表情にはいっさい表わしません。いつもの暗く寂しげな謎めいた表情で、フックは体だけではなく、心までも手下どもとは距離をおいて立っていました。
 その夜の仕事も、これで終わりというわけではありません。フックが皆殺しにしたいとやってきた目的は、インディアンではないのです。インディアンは、はちみつを採ろうとする時に、あぶり出される蜂みたいなものです。フックの目的はピーターパン、そうピーターパンとウェンディとその一団で、もちろんピーターパンが一番の目的なのはいうまでもありません。
 ピーターはあんなに小さな男の子なのに、どうしていい大人のフックがこんなにも憎むのか不思議に思われるかもしれません。たしかにピーターが、フックの腕をワニへ放り投げたのは事実です。ただ、このためにワニがいつも跡をつけねらうので、命をますます脅かされるようになったことだけでは、これほどまでに情け容赦ない敵意にみちた復讐心の説明にはなりません。本当のところはこうです。ピーターには、どこかこの海賊の船長をかっかっとさせるところがあったのでした。それは勇気でもないし、惹きつけられる外見でもなければ、えーと、遠まわしに言うのはやめましょう。わたしたちはそれが何かよく知ってるわけですから、言ってしまいましょう。それはピーターの生意気なところでした。
 それこそがフックの気にさわるのです。それが右腕の鉄の鉤をぴくぴくさせ、夜には耳元でブーンと音をたてる虫のように眠りをじゃまするのでした。ピーターが生きている限り、この悩める男はこのように感じるのでした。自分はオリに閉じ込められたライオンで、そこにツバメが一匹まぎれこんできたと。
 今や問題は、どうやってフックが木を降りて行くかということでした。あるいは、どうやって手下どもを降ろすかといってもいいかもしれません。フックはぎらぎらした目を手下どもに走らせ、一番やせてるのはだれか探りました。手下どもは不安そうに身をむずむずさせています。フックときたら、自分たちを棒で木に詰め込みかねないことを知っていましたから。
 その間、男の子達はどうなったでしょう? わたしたちが見たのは、男の子達が最初の武器がかちあうチャリンという音で、まるで石の像みたいに固まってしまったところまででした。みんな口が開いたままで、助けてという風にピーターの方に手を伸ばした姿です。そして今、男の子達の様子をみてみると、口は閉じて、手は両脇に下ろしています。荒々しい一陣の風のように、大混乱は起きた時とおなじくらい突然におさまりました。ただ男の子達は、通りすぎて行く間に自分たちの運命も決まったことを知っていました。
 どっちが勝ったんだ?
 海賊たちは木の入り口で熱心に耳をすませて、コドモ達一人一人の質問、そして特にピーターの答えを聞いていました。
「インディアン達が勝ったら、太鼓をうちならすよ。太鼓がいつも勝利のしるしなんだ」
 スメーはすでに太鼓を見つけていて、今はその上に座っていました。「この太鼓の音を聞くことは、二度とねぇやな」とつぶやきましたが、もちろん聞きとれないぐらい小さな声です。なにしろフックに静かにしろって命令されましたから。スメーが驚いたことに、フックは太鼓を打ち鳴らすよう合図をして、そしてスメーにもその命令の恐ろしいほどのずる賢さがのみこめてきました。たぶんこの頭のまわらない男が、これほどフックを尊敬したこともなかったでしょう。
 二回、スメーは太鼓を打ち鳴らし、叩く手を止めると、舌なめずりをするように聞き耳をたてました。
「太鼓だ、インディアンが勝ったんだ!」悪党たちはピーターのさけぶ声を聞きました。
 不運が待ち構えてるとも知らず、コドモ達は歓声をあげ、その声は地上にいる悪いやつらには、甘美な音楽の調べのように響きました。そしてすぐにコドモ達は、ピーターに向かってもう一度さようならと繰り返しました。さようならの意味は海賊たちには分かりませんが、敵がいまにも木を登ってくるんだというさもしい喜びで一杯だったので、他の考えは全部そっちのけでした。海賊たちはお互いににやにや笑って、手をこすり合わせます。すばやく静かにフックが命令を下しました。一人一本の木について、その他の者は二ヤード置きに一列に並べと。

[#2字下げ]十三章 妖精を信じますか?[#「十三章 妖精を信じますか?」は中見出し]

 恐ろしいことはさっさと片付けましょう。最初に木から頭を出したのは、カーリーでした。木から出るとセッコの腕に抱えられ、スメーに投げ渡され、スターキー、ビル・ジュークス、ヌードラーに次から次へとリレーされ、黒い海賊つまりフックの足元にほうり投げられました。男の子たちは全員こんな風に、木から情け容赦なく引っこ抜かれました。そして何人かが同時に宙を舞って、それはまるで手から手へと放り投げられる荷物みたいでした。
 最後にやってきたウェンディの扱いは違います。フックは、もったいぶった丁寧さで帽子をひょいと持ち上げると手を差し出して、他の男の子たちがさるぐつわをかまされてる所までエスコートしてきました。フックはこんな風に振舞い、それはとても威厳のある態度だったので、ウェンディは声もあげられないくらいうっとりしてしまいました。なんといっても小さな女の子でしたから。
 ほんの少しの間とはいえ、フックがウェンディを魅了したと声を大きくしていうのは告げ口っぽいかもしれません。でもこのウェンディのちょっとした失敗が奇妙な結果をもたらしたので、ウェンディについてのお話を続けることにしましょう。もしウェンディが乱暴にフックの手を振り払ったなら(わたしたちは、彼女のためにもそう書けたらどんなによかったでしょう)、他の男の子たちみたいに空中に放り投げられたでしょう。そうすればたぶんフックは、コドモ達が縛られたその場所にいなかったでしょう。縛られた場所にいなければ、スライトリーの秘密を暴くこともありません。そしてその秘密が暴かれなければ、つまるところフックがピーターの生命をおびやかすこともなかったことでしょう。
 男の子達は飛んで逃げないように、両ひざが両耳につくほど体を折り曲げて縛られました。コドモ達をくくるために、フックは一本のロープを九等分しました。スライトリーの番までは上手くいったんですが、スライトリーときたら、まるで荷物の周りにひもをかけると結び目を作る分が足りなくて、いらいらさせる荷物みたいでした。海賊たちはカンカンに怒って、ちょうど荷物をそうするみたいにスライトリーを蹴っ飛ばしました(正しくは、ひものほうを蹴っ飛ばすべきなんですけど)。そして奇妙なことに海賊たちの暴力を制したのは、フックでした。悪意に満ちた勝利の笑みで、フックのくちびるはゆがんでいます。フックの手下どもが汗だくになっている間、というのもかわいそうなスライトリーはある所でぎゅっとしばると他の所がふくれるのでした。フックの興味を引いたのは、スライトリーの外見上の問題ではなく、もっと深いところの問題でした。結果ではなく、原因をさぐっており、フックの勝ち誇った様子からはその原因がわかったみたいでした。スライトリーはフックが自分の秘密を暴いたことを知り、すっかり真っ青になりました。その秘密とはこういうことです。普通の人でも押し込むのに棒が必要な木なのに、こんなにふくれた男の子が入れるはずがないではありませんか。かわいそうなスライトリー、今やコドモ達みんなの中でも一番惨めな気持ちでいます。ピーターのことが心配でうろたえており、とにかく自分がしたことを深く反省したのでした。暑いときに狂ったように水を飲んだので、水ぶくれして今の寸法になってしまったのです。そしてスライトリーは自分の木にあうようにダイエットするかわりに、他の男の子たちには内緒で、木を削ったのでした。
 フックが考えるには、これで十分でした。ピーターをついに自分の思うようにすることができるのです。でも心の奥底に抱いた悪だくみを口には一言も出さず、ただ捕虜を船まで運ぶように、そして自分を一人にするようにと命令しました。
 どうやって運んだものでしょう? コドモ達はロープで縛り上げられていますから、樽みたいに丘を転がしてもいいところですが、道のりのほとんどは沼地でした。再びフックのひらめきが問題を解決します。小さい家につめこんで運べるはずだと指示しました。コドモ達は家に放り込まれ、四人の頑丈な海賊が家を肩に担いで、他のものは後に続きます。そして嫌な気分にさせる海賊の歌を歌いながら、奇妙な行列が森へと出発しました。コドモ達で泣いているものがいたかはわかりません。でももし泣いていても、歌声がかき消してしまったでしょう。しかし小さな家が森に姿を消すときに、まるでフックをバカにするように、煙突から勇敢なほんのひとすじの煙を噴き出しました。
 ただフックがそれを見たのは、ピーターにとっては良くないことでした。それは、フックの怒りが煮えたぎる胸の内に残っていたかもしれない哀れみの気持ちの一滴をもすっかり蒸発させたのです。
 すっかり暮れていく夕闇のなかで、一人きりのフックが最初にしたことは、スライトリーの木へ忍びよることでした。そして自分が通れるかどうか確かめ、それから長い間深く考えこみました。縁起の悪い帽子を芝生の上におき、そよ風がフックの髪をさわやかに吹きぬけていきました。邪悪な考えに染まっていたにもかかわらず、フックの青い目ときたらタマキビ貝のような落ち着いた色合いでした。地下の家からなにか物音がしないかと聞き耳をたてましたが、地上と同じように地下も全く静かなものでした。地下の家は、だれもいないまったくの空家みたいに思えました。あいつは寝てるんだろうか、それともスライトリーの木の下で手に短剣を握り締めて待ち構えているのだろうか? 
 それを知るには、降りて行く他ありません。フックは、マントを静かに脱ぐと地面に置きました。そして汚らわしい血がにじむほど強くくちびるをかみしめて、木の中に足を踏み入れたのです。フックは勇敢な男ですが、しばらくそこにとどまって、ろうそくのろうのように流れ落ちる額の汗をぬぐわなければなりません。それから静かに未知の世界に足を踏み入れました。
 フックは労せず穴の下までたどり着き、ふたたび静かに立ちつくします。激しく息をして、ほとんど息も絶え絶えといったようすでした。フックの目が薄暗い明かりに慣れてくると、地下の家のいろいろなモノの形がはっきりしてきました。フックの目は、たったひとつのもの、長い間捜し求め、とうとう見つけた大きなベッドに釘付けです。ベッドの上では、ピーターがぐっすり寝ていました。
 地上で演じられていた悲劇には全く気づかず、ピーターは子供たちが行ってしまったあともしばらく愉快そうに笛を吹いていました。別に一人きりでも全然気にならないや、と自分に言い聞かせるみたいに笛を吹いたのです。それからウェンディをがっかりさせるために、薬は飲まないことにしました。あとウェンディをもっといらいらさせるために、上布団をかけずにベッドに横になりました。ウェンディは、いつもみんなを上布団の中に押し込んだものでした。みんなは知らないでしょうけど、夜になって寒くならないとも限らないからです。それからピーターは、泣きそうになりましたが、その代わりに笑ったら、どんなにウェンディが腹をたてるかと考えついたので、なまいきそうに笑って、笑いながら眠りに落ちました。
 時々、しばしばというわけではありませんが、ピーターは夢をみます。その夢は他の男の子の夢と比べると、苦痛に満ちたものでした。ピーターは夢の中でおいおい泣きますが、何時間も夢からさめないのです。わたしが思うに、その夢こそがピーターが存在する謎と関係があるのでしょう。そんな時には、ウェンディがピーターをベッドから起こします。そして自分のひざの上で、ウェンディ独特のやさしいやり方でピーターを落ち着かせます。そしてピーターが落ち着いてくると、すっかり目を覚ます前にベッドにもどすのでした。だからピーターは、ウェンディが彼にしてくれた恥ずかしいことは全く知らずにすみました。ただ、今回はピーターは夢を見るひまもなく、すぐに眠りに落ちました。片腕をベッドの端から垂らし、片足は立てひざで、口には笑いのあとがただよい、口が開いたままで真珠のような歯がみえていました。
 フックは、この無防備なピーターを見つけたのです。フックは木の根元に立ちつくし、部屋の向こうにいる敵に目をやりました。哀れみの情がフックの暗い心を押しとどめなかったでしょうか? フックは根っからの悪人というわけではありません。フックは花をそして美しい音楽を愛していました(花に関してはそう聞きましたし、フック自身、正真正銘のハープシコード奏者だったのです)。そして、正直に言えば、その場の幸せそうな雰囲気は、フックの心を深く揺り動かしました。心の中の良い部分が勝利をおさめ、しぶしぶながら木を登ろうとしたのです。ただ一つ、それを押しとどめたものがありました。
 フックを押しとどめたのは、寝てる時でも生意気なピーターの姿でした。口をあけて、手を垂らし、たてひざで、なまいきを姿で表すとしたらこうなるというぐらいのものです。全部がそろっているなんて、無礼な態度にうるさい人の目に入らないことを願うばかりです。そんな態度が、フックの心を非情なものにしました。もしフックの体が怒りのあまりいくつもの破片にばらばらになっても、そのひとつひとつがばらばらになったことなんて気にせずに、寝ているピーターに飛びかかったことでしょう。
 ただ一つのランプの明かりがベッドをぼんやり照らし、フックは暗闇に立ちつくしていました。静かに最初の一歩を踏み出すと、障害物にぶつかりました。スライトリーの木のドアです。そのドアにはわずかながらスキマがあったので、のぞくことができました。取っ手をさがしましたが、腹立たしいことに、手が届かないほど低い位置についています。怒りのあまり頭がくらくらして、ピーターの顔と姿がいよいよいらいらさせるように目に映ります。フックはドアをガタガタさせると、体ごとドアにぶつかりました。フックの宿敵は、結局逃げおおせたのでしょうか?
 あれはなんだ? フックの燃えるような赤い目に、ピーターの薬がすぐ手に届く棚の上にあるのが映りました。フックはすぐにそれが何であるかがわかり、寝ているやつの命運が自分の手中にあることを悟ったのでした。
 生きながらとらわれの身にならないよう、フックは肌身はなさず毒薬をもっていました。自分の手に入った致死量にいたるもの全てを、自分自身で混ぜ合わせたのでした。フックが黄色い液体に煮詰めた毒薬は、科学的にも不明なもので、たぶん存在するものの中で一番の猛毒だったでしょう。
 これを五滴、ピーターのコップに垂らしました。手は震えましたが、恥ずかしさのためというよりは喜びのあまりです。毒薬を垂らしたとき、寝ているやつの方は見ませんでした。それも同情のあまり心が痛むからというよりは、単に毒薬をこぼさないようにといった理由からです。それから満足していけにえにじっくり目をやると、きびすをかえし、手探りでやっとのことで木を登りました。木の上から姿をあらわしたフックは、まるで悪魔の霊が住んでる穴から姿をあらわしたかのようでした。しゃれて斜めに帽子をかぶると、マントをはおり、夜から姿を隠すようにマントの端を前でおさえました。夜の闇のなかでもフックがひときわ暗くて、なにやらつぶやきながら木々の間に姿を消しました。
 ピーターはぐっすり寝ていました。明かりが燃え尽きて消え、部屋は真っ暗になりました。でもピーターは目を覚ましません。ワニの時刻によれば、十時にはなっていたでしょう。ピーターはなにかに起こされて、突然ベッドに座りなおしました。ピーターを起こしたのは、ピーターの木のドアを静かに慎重に叩く音でした。
 静かにそして慎重に、でも静まりかえっていたので不吉な感じがしました。ピーターは、短剣を握り締めるまであたりをさぐり、それから口を開きました。
「だれだ?」
 しばらく答えがありません、それから再びノックが響きました。
「だれだい?」
 答えはありません。
 ピーターはスリルを感じました。スリルを感じるのがなにより好きなのでした。大また二歩でドアまで行きます。スライトリーのドアとは違って、ピーターのドアには隙間はありませんから、向こうは見えません。もちろんノックしている相手にもピーターの姿は見えませんでした。
「口をきかない限り入れないよ」ピーターは叫びました。
 それからとうとう訪問者は口を開きました。鈴がひびくような美しい声でした。
「入れてちょうだい、ピーター」
 ティンクだったので急いでドアを開けてやると、ティンクは興奮して飛びこんできました。その顔は紅潮しており、着てるものときたら泥だらけでした。
「何事だい?」
「わかりゃしないでしょうね!」といって、三回であててごらんなさいなんて言いました。「話せ!」ピーターが声を荒げると、ティンク文法的にはめちゃくちゃで、手品師が口からだすリボンのようにとりとめなく延々と、ウェンディと男の子たちがつかまったてんまつを話したのでした。
 聞いていて、ピーターの心は上下に波打ちました。ウェンディが縛られて、海賊船に乗せられてるだって。あんなに全てがきちんとしているのが好きなウェンディが! 
「助けなきゃ!」ピーターは叫んで武器を手にしました。武器を手にして、ふとウェンディを喜ばせることができると思いつきました。薬をのめばいいんです。
 ピーターの手は、運命を決めるコップを握りしめました。
「だめ!」ティンカーベルは悲鳴をあげました。ティンクは、フックが森を駆け抜けている時に自分がやったことをつぶやいている声を聞いていたのです。
「どうしたんだい?」
「毒が入っているのよ」
「毒だって? 一体誰が入れるんだい?」
「フックよ」
「バカ言うな、どうやってフックがここまで降りてくるんだ?」
 あぁ、ティンカーベルにはどうやって降りてきたかは説明できませんでした。スライトリーの木に隠された秘密までは知りませんでしたから。でもフックの言葉は確かでした。コップには毒がはいっているのです。
「だいたい、僕が寝てたとでもいうのかい」ピーターは自信満々に言いました。
 ピーターがコップを持ち上げると、もうあれこれ言ってるひまはありません、行動するのみです。電光石火の動きでティンクはピーターのくちびるとコップの間に割り込むと、薬を全部飲みほしたのでした。
「なぜ、ティンク、わざわざ僕の薬を飲んだりするんだい?」
 ティンクは答えません。すでに空中でよろめいていました。
「どうしたんだい?」ピーターは突然恐ろしくなって声を荒げました。
「毒なのよ、ピーター」ティンクはやさしく言いました。「私は死ぬわ」
「ティンク、僕を助けるために飲んだんだね」
「ええ」
「でもどうして、ティンク」
 羽はティンクを支えていられません、でも答えるためにピーターの肩に止まると、ピーターの鼻を軽くかみ、耳元でこうささやきました。「すっとっこ、ばか」そしてよろよろ自分の部屋まで行くと、ベッドに倒れこみました。
 ピーターが悲しみのあまりティンクの側でひざまずくと、小さな部屋の入り口はピーターの頭ですっかりふさがれてしまいました。刻一刻とティンクの光は力を失っていき、ピーターは光が消えた時がティンクも死ぬ時だとわかりました。ティンクはピーターの涙が大好きだったので、そのキレイな指を伸ばして、その上を涙が流れるままにしたのでした。
 ティンクの声は力なく、最初なにを言っているのか分かりませんでした。でもやっと聞き取ったところでは、もしコドモ達が妖精がいることを信じてくれるなら、また元気になるかもしれない、と言うのです。
 ピーターは両手を差し伸べました。ここにはコドモは一人もいません。でも夜だったので、ネバーランドの夢をみているかもしれないみんなに語りかけたのでした。ネバーランドの夢を見てるってことは、あなたが思うより、ずっとピーターの近くにいるものなのです。ねまきを着た男の子たち、女の子たち、木につるされたバスケットの中のすっぽんぽんのあかんぼうたちに語りかけたのです。
「信じるかい?」ピーターは大声でいいました。
 ティンクはベッドに座りなおすと、きびきびといってもいいくらいの様子で運命に耳を傾けました。
 ティンクの耳には「はい」という返事が聞こえたような気もしたのですが、確信はもてませんでした。
「どう?」ティンクは、ピーターにたずねました。
「もし信じてるなら、手をたたいて。ティンクを見殺しにしないで」ピーターはコドモ達に大声でいいました。
 たくさんの拍手です。
 何人かはしてません。
「しーっ」なんてひどいことまで言うコドモもいました。
 拍手は突然なり止みました。まるで大勢の母親が、いったい何事かとばかりにコドモ部屋に駆けつけたみたいでした。でもティンクの命は救われました。最初に声が力を取り戻し、ベッドから跳ね起きると、いつもより一段とうきうきして小生意気そうに部屋をこうこうと照らしました。ティンクは、信じてるって拍手をしてくれたコドモ達への感謝の気持ちなんて全然なかったのですが、「しーっ」と言ったコドモ達へは何か仕返ししなきゃと思っていました。
「さあ、ウェンディを助けなきゃ!」
 ピーターが木から地上へ出た時、曇り空に月が浮かんでいました。ピーターはベルトに武器をつけた以外には、ほとんど武器をもたずに、危険な旅へと出発しました。本当なら出発するような夜ではありません。ピーターは飛んで行きたい、つまり地面すれすれに飛んで、普通でないものを全て見ておきたかったのです。ただこんな明るくなったり暗くなったりする明かりのもとで低く飛べば、ピーターの影が木々にかかることになり、鳥たちをざわつかせ、警戒している敵にピーターがきたことを知らせてやるようなものです。
 ピーターは、いまさらながらこの島の鳥たちにあんな変な名前をつけたことを後悔しました。おかげで鳥たちは全然人に慣れなくて、近づくことさえ難しいありさまです。
 インディアンみたいにして、進んで行くしかありません。でも都合がいいことに、ピーターはその達人でした。でもどちらにいけばいいのでしょうか? ピーターには、コドモ達が海賊船につれて行かれたと確信はできませんでした。少し降った雪が、足跡をすっかり消してしまいましたし、全ての生き物が死んでしまったように、島中がしーんと静まり返っています。まるで大自然がさっきの大虐殺に恐れをなして立ちすくんでいるみたいです。ピーターはコドモ達にタイガーリリーやティンカーベルから教わった森でのしきたりを教え込んでいたので、こんな危機迫った状況でも、コドモ達がそれを忘れているハズがないと思いました。例えばスライトリーは、チャンスを見つければ木にしるしをつけますし、カーリーは種を落として行くでしょう。ウェンディは、ここという場所にハンカチをおとしていくことでしょう。でもその目印をさがすためには、朝を待たなければなりません。ピーターに待てるわけがありません。天空に向かって呼びかけもしましたが、助けは得られませんでした。
 ワニがわきを通り過ぎて行きましたが、他の生き物は、物音ひとつ、身動きひとつしませんでした。ピーターにはよくわかっていましたが、次の木の所で後からこっそり忍び寄られ、突然殺されるかもしれないのです。
 ピーターは誓いを立てました。「今度こそ、フックか僕かだ」
 そして蛇みたいに前進したかとおもえば、立ちあがって、月明かりの照らすなかを駆けぬけます。しーっとでもいうように指を一本くちびるにあて、いつでもこいといった具合に剣をぬいて。ピーターは、うれしくてうれしくてたまらないのでした。

[#2字下げ]十四章 海賊船[#「十四章 海賊船」は中見出し]

 海賊川の河口近く、キッド入り江に斜めに射しこむ緑の明かりひとすじが、横帆の二本マストの船、ジョリーロジャース号が停泊している位置を示しています。スピードの出そうな船でしたが、船体には海草などがこびりついており、横梁ときたら全部あれほうだいです。まるで羽がばらばらになって、地面に散らばっているかのようです。この船は、いろいろな海で人食い船として知れ渡り、見張りもいらないくらいでした。というのもその名をみんなが恐れて、停船しても誰も近づくものはありません。
 船は夜のとばりにおおわれて、船からは岸までなにも聞こえてきません。そもそも音がほとんどしませんでしたし、スメーが向かっているミシンのぶーんという音をのぞけば、耳に心地いいといえるような音は、一切しなかったのでした。いつも仕事熱心で、親切で、平凡中の平凡な男、哀れなスメーが、ミシンを動かしていました。わたしにはどうしてスメーがこんなにも哀れなのかわかりません。スメー自身が、哀れなほどそのことに気づいてないからでしょうか? でも屈強な男たちでさえ、スメーを見ると急いで目をそらしてしまうのです。夏の夕べには、一度ならずとフックの涙腺にふれ、涙を流させたことさえありました。こんなことにも、その他何でもですが、スメーときたら全く気づいていないのです。
 海賊たちの幾人かは、夜の毒気を吸い込み、手すりにもたれかかっていました。他のものは、樽のそばに横になって、サイコロ遊びやカード遊びにうつつをぬかしています。あの小さい家を担いできた四人は疲れ果て、甲板でうつぶせになって寝ています。その時でさえ、フックの腕の届かないところへと、あちらこちらへ上手に寝返りをうちました。もちろんフックが通りがかるとき、何気なく引っかかれたりしないようにです。
 フックは物思いにふけって、甲板をうろうろしていました。全く想像もつかない男です。いまこそ、フックが勝利の味をかみしめている時でした。ピーターはもう永遠にフックを邪魔することはないし、他の男の子達は全員船に囚われの身で、後はただ板を歩いてもらうばかりです。こんなにむごい仕打ちをしたのは、バーベキューをひざまづかせた日々以来のことでした。でもわたしたちがそうであるように、成功の順風で帆をふくらませるのは、どんなにむなしいものか知っていますから、フックが今甲板ですっかり落ち着きをなくして歩いていても、わたしたちは格別驚きやしません。
 でもフックの足どりからは、うれしさはみじんも感じられません。その足どりはフック自身の暗い胸の内と同じで、実のところフックは憂鬱な気分だったのでした。
 フックは、静かな夜に船の甲板で深く考え込むと決まっていつもこういう風でした。なぜかといえば、フックは孤独だったからです。この謎めいた男は、手下どもに囲まれている時ほどいっそう孤独を感じるのでした。そもそも手下どもとは身分が違いすぎたのです。
 フックというのは、本当の名前ではありません。たとえ今日でも、フックの本名を明かせば国中大騒ぎになることでしょう。行間を読む方なら既におわかりでしょうが、フックは名門のパブリックスクールの出身なのです。そしてそのときの習慣が、衣服に見られるようにきちんと身についています。もちろん習慣それ自体、衣服にまつわるものが多かったのです。今もフックにとって腹立たしいのは、船を略奪した時と同じ服装で乗船していることだったりします。そしていまだに歩く時にはかたくなに、その学校独特の前かがみの姿勢なのでした。でもなによりもまずフックは、礼儀作法を重んじる心を持ちつづけていたのです。
 礼儀作法! どんなにフックが堕落の道を歩んできたかもしれませんが、まだ礼儀作法がカンジンだってことは分かっていました。
 フック自身の心の奥底から、さびついた門がたてるようなギーギーという音が聞こえてきます。門を通して厳しいトン・トン・トンといった、まるで眠れない夜に聞こえてくるハンマーのような音が響きました。「今日も礼儀正しかったか?」というのが、その永遠の問いかけでした。
「有名、有名、そのきらびやかなマガイモノはわしのものだ」フックは口にだして言いました。
「何事においてでも、有名になるということは礼儀にかなっているだろうか?」学校時代からのトン・トンといったフックの心の音が答えます。
「わしはバーベキューが恐れた唯一の男だぞ。バーベキューはフリントが恐れた男だし」
「バーベキュー、フリント、どの学寮出身だい?」辛らつな返事が返ってきます。
 全てをよく考えてみると、もっとも気にかかるのはこういうことです。よい礼儀作法について考えなくてはいけないことそれ自体が、礼儀作法をわきまえてないことを意味するのでは?
 フックの良心はこの問題にきりきりと苦しめられ、これこそ鉄のつめより鋭く心をえぐるつめでした。そのつめが心を痛めつけるとき、フックのろうのような顔から汗が滝のようにしたたり、上衣にしみをつけました。そんな時にはフックは袖で額をぬぐうのですが、流れ落ちる汗を押しとどめることはできないのです。
 えぇ、フックみたいじゃなかったら、どんなにうらやましいことでしょう。
 フックは、近いうちに破滅する予感を覚えました。まるでピーターの厳しい誓いが、船の上まで聞こえてきたかのようです。フックは、遺言をしたためたいような憂鬱な気分におそわれました、やがて遺言なんてしたためている時間はなくなるかもしれません。
「わし、フックにとっていいのは、あまり野心をむき出しにしないことだな!」フックが一番落ち込んでいる時には、自分自身を第三者の目で見るのです。
「わしのことを好きになってくれる小さなコドモなんていやしない!」
 奇妙にもフックは、こんなことに思いをめぐらせました。以前は、こんなことで思い悩むことはなかったのですが、たぶんミシンの音が、フックにそうさせたのでしょう。長い間、フックはスメーの方をじっとみながら、なにやら独り言を言いました。スメーは、コドモ達はみんな自分のことを恐がってると思いながら、一心不乱に縁取りをしているのです。
 スメーを恐がる! よりによってスメーを! この夜船に乗っているコドモは全員、すでにスメーを大好きになっています。スメーはコドモ達にいろいろ怖がらせるようなことを言ってみたり、こぶしで殴ることはできなかったので、平手でコドモ達をぶってみたりしたのですが、そうすればするほどコドモ達はスメーになついて、マイケルときたらスメーの眼鏡をかけてみるありさまでした。
 哀れなスメーに、コドモ達はおまえのことをかわいい! なんて思ってるぞとフックは言いたくてうずうずしましたが、言ってしまうのは無作法に思えたのでした。フックは、そのかわりにこの謎を頭で考えました。どうしてコドモ達は、スメーのことをかわいいなんて思うんだろう? 警察犬がそうするように問題を追求しました。フックには警察犬みたいなところがあったのです。もしスメーがかわいいと思われてるなら、どうしてそう思われるんだろう? 恐ろしい答えが突然心に浮かびました。「行儀作法をわきまえているから?」
 意識しないでもあの甲板長のスメーは、行儀作法をわきまえている。それこそ礼儀作法を本当にわきまえているってことではないでしょうか?
 イートン校の社交クラブに入るには、意識しなくても礼儀作法をわきまえていることこそ必要不可欠であることをフックは思い出しました。
 怒りのおたけびとともにフックは、右腕のフックをスメーの頭におみまいしようと持ち上げました。ただ振り下ろしはしません。フックを思いとどまらせたのは、こう考えたからです。
「礼儀作法をわきまえているからという理由だけで、その男を引き裂くなんて、それこそなんだ?」
「礼儀作法をわきまえてない!」
 フックは不幸のあまり、すっかり気落ちして、切花のようにポキンと前のめりに倒れました。
 手下どもは、一時的にフックの気がふれたんだと思いました。ただ鉄の規律がゆるみ、よっぱらってどんちゃん騒ぎをはじめる間もありませんでした。フックはまるでバケツで水をかけられたかのように、人間らしい弱々しいところを振り払い、すぐに立ちあがったのです。
「うるせぇ、おまえら、静かにしないと錨をぶちこむぞ」すると騒ぎはすぐにおさまりました。「ガキたちは、飛んでいかないようにつないであるんだろうな?」
「アイ、アイ」
「帆をあげるんだ」
 哀れな囚われの身のコドモ達は、ウェンディを除いて船倉から引きずりだされ、フックの前に一列に整列させられました。しばらくフックは、コドモ達がそこにいるのに気づかないようでした。フックは楽にして、憂鬱なんてどこふく風といった様子で、ひどい歌を切れ切れにハミングしながら、一組のカードをもてあそんでいます。時々フックのハマキの火がかすかに顔を照らしました。
「さあ、ガキども」フックは手短にいいました。「今夜はおまえらの内、六人に板を歩いてもらおうか。二人はボーイにしてやる。ボーイになりたいのはどいつだ?」
「むやみにフックを怒らすんじゃありませんよ」船倉でウェンディによくこう言い含められていたので、トゥートルズは礼儀正しく一歩前に出ました。こんな男の下で働くなんてぞっとします。本能的に、ここにはいない人に責任をなすりつけておくのが一番ってことがわかっていたのでした。トゥートルズは、どちらかといえば頭の足りない子でしたが、お母さんというものは、いつでもよろこんでコドモ達のために犠牲になるということを知っていたのです。コドモはみんなお母さんがこういうものだということを知っていて、軽蔑しながら、いつも利用するのです。
 だからトゥートルズもずる賢くこう説明しました。「おわかりでしょう、ぼくのお母さんがぼくが海賊になるのをよろこばないと思うんですよ、きみのお母さんはどうだい、スライトリー?」
 トゥートルズは、スライトリーにウィンクしました。スライトリーも残念そうにこう言ったのでした。「僕も喜ばないと思う」まるでそうでなかったらよかったのにというように。「君のお母さんは、君らが海賊になるのを喜ぶかい、双子?」
「僕も喜ばないと思う」他の子と同じくらい賢く、双子のお兄さんがそういいました「ニブス、君の」
「無駄ぐちをたたくな」フックが怒鳴り、トゥートルズはすごすご引き下がりました。「おまえ」フックはジョンを指差して言いました。「おまえはちょこっと勇気がありそうじゃないか。海賊になりたいなんて思ったことはないか? どうだ?」
 たしかにジョンは数学の宿題をやっているときに、時々そう思っていたことがあったのでした。そしてフックが自分を選んでくれたことにも感激して、おずおずとでしたがこう言いました。
「前に一度、赤手のジャックなんて呼ばれたらなんて思ってました」
「いい名前じゃないか。いいぞ、仲間になるならそう呼ぼう」
「どう思う? マイケル」とジョンがたずねると「ぼくが仲間になったら、なんて呼んでくれる?」とマイケルもたずね返しました。
「黒ひげのジョー」
 マイケルはもちろんこれが気に入って「どう思う? ジョン」とジョンに決めてもらいたそうです、でもジョンもマイケルに決めてもらいたいのでした。
「もちろんぼくらは、国王に敬意を表する臣民のままでしょうね?」ジョンがそうたずねると、フックは口を閉じたまま、もごもごとこう答えました。「おまえは“国王を倒す”と誓わなきゃならんな」
 たぶんここまでのジョンの態度は、誉められたものではなかったでしょうが、急にはきはきとした態度になって、「じゃあ、お断り」とフックの前にある樽を叩いて、そう答えました。
「じゃあ、ぼくもおことわり」マイケルもそう答えました。
「イギリス国王万歳!」カーリーは金切り声でさけびました。
 カンカンになった海賊たちは、その口の聞き方にコドモ達へ向かって殴りかかりましたし、フックはこう叫びました。「おまえらの運命は決まった。お母さんとやらをつれて来い、板の準備をするんだ」
 彼らはほんの男の子でしたし、ジュークスとセッコが死へ向かう板を用意するのをみて、顔が真っ青になりました。ただウェンディが連れてこられると、勇敢にみせかけようとしたのでした。
 ウェンディが、海賊たちをどれほど軽蔑していたかは言葉では言い表せないほどです。男の子達にしてみれば、海賊って職業には、少しは魅力的に思える点がありました。けれどウェンディが見たものといえば、何年もの間掃除もされたことのない船でした。指で“汚いブタ”と船の汚れた窓に書けるほどで、ウェンディはすでに何箇所にもその言葉を書きました。でも男の子達が、彼女の周りに集まってきた時には、もちろん男の子達のことだけを考えていました。
「さあ、お嬢さん」フックはまるでシロップにつかって話しているかのようにこう言うのでした。「あなたには、コドモ達が板を歩くのを見てもらうことになるかな」
 フックは立派な紳士ですけど、あんまり勢いこんで話したのでひだのある襟を汚してしまいました。そしてウェンディがそれを見ているのに突然気づきました。急いで隠そうとしましたが、遅すぎます。
「コドモたちは死ぬんですか?」ウェンディがまったく軽蔑を隠さずに、そう尋ねたので、フックはほとんど気絶しそうなほどでした。
「そうだ」フックは怒鳴るように言い、そしてうっとりとこう続けました。「みんな静かに、お母さんからコドモたちへの最後の一言だ」
 こんな時でもウェンディは、立派なものでした。「これが私の最後の言葉です、息子たち」ウェンディは断固とした調子で言いました。「私はあなた達に本当のお母さんも望んでいる事を伝えたいと思います。それはこういうことです“息子が最後までイギリス紳士たること”」
 海賊たちでさえ胸を打たれ、トゥートルズは興奮してこう叫びました「お母さんの望むとおりにするよ。きみは、ニブス?」
「お母さんの望むとおりにするさ。君は、双子?」
「お母さんの望むとおりに。ジョン、君」
「彼女を縛り上げろ!」フックが叫びました。スメーがウェンディをマストに縛りつけました。「ねぇ、おまえさん」スメーはささやきました。「わしらのお母さんになるって約束するなら、わしが助けてやってもいいよ」
 でもたとえスメーのいう事でも、ウェンディにはそんな約束をする気はさらさらありません。「それならコドモなんて一人もいない方がずっとましだわ」ウェンディは軽蔑するようにそう言ったのでした。
 ただ残念なことに、スメーがウェンディをマストに縛り上げる時にそれを見ている男の子は一人としていません。全員の目は、板に注がれています。あと最後の数歩を歩くだけです。もう胸を張って歩くどころの騒ぎじゃありません。考えることさえできずに、ただじっと板を見つめて震えているだけでした。
 フックはコドモ達をみてほくそえみ、ウェンディの方へ一歩近づきました。男の子一人一人が板を歩くところを見せるべく、ウェンディの顔をこちらへ向けようとしたのです。ただフックはウェンディの所まで行きつくことはありませんでした。ウェンディの口から苦しみの一声を絞りだし、それを聞くこともありません。その代わりにある音を聞いたのでした。
 それは、あのワニの恐ろしいチクタクという音でした。
 みんなが、その音を聞きました。海賊たち、男の子たち、ウェンディ。そしてすぐさまみんなの頭は、ある方向を向きました。音が近づいてくる水際の方ではなく、フックの方です。みんなが、これから起こる事がフックにしか関係ないことを知っています。そして自分たちが舞台から降り、見物する側にまわった事を知ったのでした。
 フックを襲った変化を見ると驚きを隠せません。まるで全ての関節に切りこみを入れられたように、どさりと倒れこんだのですから。
 その音はだんだんと近づいてきます。そしてその音に先んじて恐ろしい考えが浮かびました。「ワニは船に乗り込もうとしてる!」
 鉄の鉤はだらんとぶらさがり、まるで攻めてくる相手が欲しがっているのは鉤じゃないってことを知っているかのようでした。全くのひとりきりで取り残され、誰か他の人なら目を閉じたまま倒れていたでしょうが、フックの明晰な頭脳は働きを止めないのでした。頭脳の命ずるがままに、フックは甲板の上を腹ばいで膝をつかってできる限り音から遠ざかろうとしました。海賊たちは敬意を払って、さっとフックのために道をあけると、フックは船の手すりのところまでやってきて初めて口を開きました。
「わしを隠すんだ!」フックは恐怖におののいて叫びました。
 海賊たちはみんなフックの周りに集まって、船に上がり込んで来るものから目をそむけていました。戦おうなんて夢にも思いません。運命ですから。
 フックが隠れて男の子達から見えなくなると、ようやく好奇心から男の子達は手足が自由に動くようになり、ワニが登ってくるところを見るために船べりにかけつけました。それから男の子達は、夜の中の夜でも一番ビックリしました。助けに登ってきたのはワニではありません。ピーターでした。
 ピーターは男の子達に、海賊たちを疑わせるような賞賛の声をあげないよう合図しました。そしてチクタクといい続けるのでした。

[#2字下げ]十五章 今度こそ、フックか僕かだ[#「十五章 今度こそ、フックか僕かだ」は中見出し]

 実際に起きた時にはしばらく気づかないものですが、わたしたちの人生には奇妙なことが起きるものです。例えば、どれくらいかはわかりませんが、そうですね、三十分くらいでしょうか、耳が片方聞こえなくなっているのに突然気づくことがあります。ちょうどその夜ピーターに起こったことは、そういう類のことでした。最後にピーターを見た時、ピーターは指を一本立ててくちびるにあて、短剣を携えて島を駆け抜けていました。ワニが側を通って行くのを目にしましたが、別になにか変わっていることには気づきませんでした。ところが、そのうちピーターはワニがチクタク音を立ててないことに思い当たりました。初めのうちは不吉に思ったのですが、すぐに時計が止まったということがわかったのです。
 突然一番身近な仲間を奪われたワニに同情するでもなく、ピーターはどうやったらこの異変を自分に有利に使えるか考えはじめました。そして自分がチクタク言うことにしたのです。そうすれば獣たちはピーターのことをワニだと思って、邪魔せずに通してくれると思ったのでした。ピーターのチクタクの真似はすばらしいものでしたが、一つ予期しない結果を生みました。ワニもその音を聞きつけて、ピーターの後をついてきたのです。失ったものを取り戻そうというのか、単に時計はまたチクタクと音を立て始めたと信じて、ピーターのことを友達だと思ってついてきたのか、はっきりしたことはわかりません。ただいったん信じたことは変えない奴隷みたいに、ワニがおろかな動物なのは確かなことです。
 ピーターは、難なく岸までたどり着き、進みつづけました。ピーターの足が水の中に入っても全く気づきもしないように、水の中を進んでいきました。多くの動物はこんな風に陸から水の中へと入っていくものです。ただ私の知る限り、人間でこんな風なのは、ピーターを除いて他に思い当たりません。泳いでいてもピーターは、一つのことしか考えていませんでした。「今度こそ、フックか僕かだ」ピーターはあんまり長いことチクタクと言っていたので、意識しなくてもチクタクと言いつづけました。意識していたなら止めていたことでしょう。すばらしいアイデアですが、船に乗り込むのにチクタクと音を立てればいいなんてことは、ピーターに思いつくことではありませんから。
 その反対に、ピーターはネズミのようにこっそりと船を登ろうと考えていたのでした。海賊たちがピーターを避け、フックときたら海賊たちの真ん中でワニの音を聞いたみたいに惨めな姿でいるのを見て、ピーターは驚きました。
 ワニ! ピーターがそれを思い出した時には、チクタクという音を耳にしていました。最初その音が本当にワニから聞こえてくるのかと思って、すばやく振り返ったほどです。それから自分で音を立てていることに気づいて、すぐさま状況を把握して、「なんて僕は賢いんだろう!」とすぐに思ったのでした。そして男の子たちに拍手喝さいしないように合図したのです。
 ちょうどそのときでした。エド・テイントという操舵係が船室から姿をあらわして、甲板をやってきました。さあ読者のみなさん、自分の時計でこれから起こることを計ってください。ピーターがぐさりとやり、ジョンがそのつきのない海賊の口を、死のうめき声がもれないように手で覆いました。海賊は前のめりに倒れ、四人の男の子がドスンと音を立てないように支えました。ピーターが合図をすると、死体は海へ放りこまれ、ドボンという音がして、その後静寂があたりを覆います。さてどれくらいかかったでしょうか?
「一人」(スライトリーがカウントを始めました。)
 すぐさまにではありませんが、ピーターは全身つま先立っているようにこっそりと、客室に姿を消しました。海賊たちは一人ならず勇気をふるって、辺りをさぐりはじめています。海賊たちは、お互いの苦しい息遣いを耳にして、あのワニのチクタクという音が聞こえなくなったことが分かりました。
「行っちまいましたぜ、船長」スメーは眼鏡を拭きながらいいました。「すっかり静かなもんです」
 ゆっくりとフックはひだのある襟から頭を出すと、とても注意深く耳をすませたので、チクタクという音のこだまでも聞こえたことでしょう。たしかに物音一つしません。フックは背筋を伸ばして、立ちあがりました。
「板渡り野郎にカンパイだ!」フックは恥知らずにもそうさけびました。自分の弱いところを男の子達に見られたので、前よりいっそう憎々しげです。フックは意地の悪い歌を歌い始めました。

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「よーほー、よーほー、たっのしい板渡り
歩いてわたれば、板が途切れて、まっさかさま
海神さまがお待ちだよ!」
[#ここで字下げ終わり]

 フックはもっと捕虜を怖がらせるために、威厳はなくなりますが、甲板を板に見たてて、歌いながら男の子達にしかめ面をみせ踊りました。歌い終わると、叫びました。「板を渡る前にネコにさわりたいか?」
 そのときになって、男の子達はひざまづいて「やだ、やだ!」とあんまり哀れみを誘う声をあげたので、海賊たちはみんなほくそえみました。
「ネコをつかまえてこい、ジュークス」フックは命令しました。「船室にいるぞ」
 船室ですって! ピーターがいるじゃありませんか! コドモ達はお互いに目を合わせました。
「アイ、アイ」ジュークスは二つ返事で、船室に入っていきます。コドモ達はジュークスの後を目で追います。ですから、フックが手下どもと一緒に歌い始めたことにとんと気づきませんでした。

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「よーほー、よーほー、ネコは引っかく
尾っぽは九つ、ネコが背中をひっかきゃ……」
[#ここで字下げ終わり]

 歌の最後はなんだったのか分かりません。というのも突然船室から恐ろしい悲鳴が聞こえてきて、歌をさえぎったからです。その悲鳴は船中に響き、そしてやみました。それから男の子たちには、先刻ご承知の時の声が聞こえてきました。ただ海賊たちには、その声は悲鳴より薄気味悪かったのでした。
「あれは何だ?」フックが尋ねます。
「二人」スライトリーはおごそかに数えました。
 イタリア人のセッコはしばらく迷ったあと、船室に飛びこんでいくと、ふらふらになってよろめきながら外へ出てきました。
「ビル・ジュークスはどうした、おい、おまえ?」フックがのしかからんばかりに、非難がましく尋ねました。
「ヤツがどうしたかっていえば、死んでますぜ。さし殺されてるんで」セッコは呆然とした声で答えました。
「ビル・ジュークスが死んだって!」びっくりした海賊たちは叫びました。
「船室は穴ぼこみたいに真っ暗でさぁ」セッコは、ほとんどわけがわからないぐらいの早口でまくしたてました。「あそこには、なんだか恐ろしいものがいますぜ。時の声をだすものがいるんでぇ」
「セッコ」フックは、この世のものとは思われないほど無情な声で命令しました。「もどって、コケコッコーとなくやつを捕まえて来い」
 セッコも勇者の中の勇者でしたが、船長の前でちぢこまって「だめです、だめっす」とさけびました。でもフックときたら鉤をひけらかし、満足げに目をつむってこう言いました。
「そんなに行きたいのか、セッコ?」
 セッコは絶望したように最初に両腕を投げ出すようにして、歩いて行きました。歌を歌うものは一人もおらず、全員耳をすませています。そしてふたたび死の悲鳴と時の声です。
 スライトリー以外に口をきくものはありません。「三人」
 フックは、部下どもに集まれと手招きしました。「一体、全体」フックは怒鳴りました。「ええい、どいつがあのコケコッコーとなくやつをひっ捕らえてくるんだ?」
「セッコが出てくるまで待ちやしょう」スターキーはうめいて、他のものたちも賛同の声をあげました。
「おまえがやってくれるのか、スターキー」フックはふたたび満足げに言いました。
「絶対いやですぜ!」スターキーは叫びました。
「わしの右腕のフックは、おまえがやるって言ってるがな」フックはスターキーに逆らうように続けます。「右腕のフックの言うとおりにした方がよくはないか、スターキー?」
「あそこに入るくらいなら、トンズラしますぜ」スターキーは頑固にいいはり、そして再び船員たちの賛同の声があがりました。
「これは反乱なのか?」フックは前よりもっと楽しそうに尋ねました。「スターキーが首謀者というわけだ!」
「船長、お慈悲を!」スターキーは今や全身をぶるぶると震わせながら、泣き言をいう始末です。
「握手だ、スターキー」フックは鉤を差し出しました。
 スターキーは周りに助けを求めましたが、みんなしらんぷりです。スターキーが下がれば、フックが一歩前にでて、フックの目には赤い炎が輝いています。絶望的な悲鳴をあげて、スターキーは艦載砲に跳びのると、自分からまっさかさまに海へ落ちて行きました。
「四人」スライトリーは言いました。
「さて」フックは丁寧に言いました。「まだ他に反乱を口にする紳士はいらっしゃるのかな?」ランタンをつかみ、鉤を振り上げ脅すようなそぶりで「自分であのコケコッコーとやらを引きずりだそう」というと、船室に飛び込みました。
「五人」どれほどスライトリーは、そう言いたかったことでしょう。スライトリーは、いつでもそう言えるようにくちびるをしめらせました。しかしフックは、ふらふらしながら船室から出てきました。ランタンはもっていません。
「なにかが明かりを吹き消しやがった」フックは少しおどおどしながら言いました。
「なにかだって!」マリンズは繰り返しました。
「セッコはどうなったんで」ヌードラーは聞くと、
「ジュークスと一緒でおだぶつさ」フックはぶっきらぼうに答えました。
 フックでさえ船室にもどりたがらない様子なので、全員不吉な予感を覚えました。そしてふたたび反乱の声がわきあがります。だいたい海賊なんてものは、迷信家と決まっています。コックソンは叫びました。「実際に数えるより一人余計に船にだれかが乗ってるのは、もっとも不吉なしるしだって聞いたことがあるぞ」
「おれもだ」マリンズはつぶやきました。「やつはいつも海賊船に最後に乗り込むんだ。やつにはしっぽがありますかね、船長?」
 他のものも、フックを意地悪く見つめながら口を開きました。「やつが来たときには、船の中で一番悪いやつにとりつくって聞いたぞ」
「やつには手にフックがありますかね、船長?」コックソンは無礼にもそう尋ねました。そして一人また一人と声をあげました。「この船はのろわれている」この時になって、コドモ達は歓声を押さえられませんでした。フックはほとんどコドモ達のことなんか忘れていたのですが、今、彼らの方へ振り向くフックの顔には再びかがやきがもどっているのでした。
「おい」フックは手下どもに呼びかけました。「これは一つの意見だ、聞いてくれ。船室のドアをあけて、やつらをそこへ叩きこむんだ。コケコッコーの野郎と命をかけて戦わせようじゃないか。コドモ達が勝てば、わしらにはバンバンザイだ。コケコッコー野郎が勝ったところで、わしらには別に損もなし」
 これで最後になるのですが、手下どもはフックに感心し、その命令を忠実に実行しました。男の子達は、戦うフリをしながら、船室におしこまれ、ドアが閉まりました。
「さあ、耳をすませ!」フックが号令をかけると、みんなが耳をすませます。しかしドアをまっすぐ見るものは、一人としていません。いや、ただ一人、ウェンディがいました。ウェンディは、この間中ずっとマストにくくられていたのです。ウェンディが待ち構えているのは、悲鳴でもなければ、時の声でもありません。ピーターが再び登場するのを待っていました。
 ウェンディは、それほど待つ必要もありませんでした。船室の中で、ピーターは捜し求めていたものをようやく見つけたからです。コドモ達にかけられていた手錠をはずす鍵です。そしてみんなで手当たり次第の武器を身につけて、こっそり外へ出て行きました。ピーターは最初に隠れろと合図をして、ウェンディのなわを切ります。本当なら飛んでいってしまうのが一番カンタンでしたが、「今度こそ、フックか僕かだ」の誓いがそうはさせません。ウェンディを自由にすると、ピーターは男の子達と隠れているようにささやきました。そしてマストのウェンディがいた場所に自分の身を置いたのです。ウェンディの衣服を身にまとっていたので、ピーターとはわからないでしょう。そして大きく息をすうと、時の声をあげました。
 海賊たちにしてみれば、その叫び声は男の子たちが船室で皆殺しということの証拠ですから、パニックです。フックは手下どもを落ち着かせようとしましたが、いままで犬みたいに扱ってきたので、フックに向かって歯をむく始末です。そして手下どもから目を離そうものなら、フックに飛びかからんばかりなのでした。
「おい」フックは必要に応じてアメとムチをつかおうと考え、一瞬もひるむことなくこう言いました。「考え抜いたんだが、不吉なやつがこの船にいるみたいだな」
「あぁ」手下どもはうなるように言いました。「鉤のついたやつがな」
「ちがうぞ、おい、違うんだ。女だ。海賊船に女が乗って幸運だったためしがねぇ。女さえいなくなりゃ、この船も安泰だ」
 手下どものなかには、フリントがこう言ってたのを思い出すものもいましたから、「とにかくやってみよう」としぶしぶ言いました。
「海に投げこんじまえ」フックが命令し、手下どもは服に身を包んだ者へと駆け寄りました。
「おまえを助けてくれるやつは一人もいないね、お嬢さん」マリンズがひやかすように言うと
「一人いるよ」と答えが返ってきました。
「誰だ?」
「ピーターパン、復讐にもえる者!」という恐ろしい答えを口に出すや、ウェンディの服を脱ぎ捨てました。みんなは、仲間を船室で殺したのがだれなのかはっきり分かりました。フックは二回、口を開こうとしましたが、二回とも声がでません。こんなに恐ろしい目にあって、フックの荒々しい心も粉々になってしまったんだとわたしは思います。
 ついにフックは怒鳴りました。「やつを切り刻め!」なんだが自信に欠けた声でした。
「海賊たちをやっつけろ!」ピーターの声が響き渡りました。時を置かず、武器のかち合う音が船中に響き渡りました。海賊たちはそのままかたまっていれば、確実に勝てたでしょう。ただ心の準備ができないままに戦いが始まったので、あちらこちらを駆けまわり、めいめい自分が最後に生き残った一人だと思いこんで、でたらめに武器を振り回しました。一対一なら海賊の方が強いですが、海賊ときたら防戦一方なので、男の子たちはペアを組み、獲物を選ぶことができたのです。悪党どものなかには海に飛び込むものまでいましたし、暗い所に隠れているものもいました。ところがスライトリーに見つけられてしまうのです。スライトリーは戦わずに、ランタンをもって駆けまわり、海賊たちの顔を照らします。すると海賊たちは目がくらんで、やすやすと他の男の子の刃のつゆと消えるのでした。聞こえる音といえば、武器のぶつかる音、時折の悲鳴、ドブンという水の音、そしてスライトリーの単調な数を数える声、五、六、七、八、九、十、十一ぐらいのものでした。
 血に飢えた男の子達の一団がフックを取り囲んだ時、わたしはこれで海賊たちも全滅だと思いました。ただフックときたら不死身の命でももっているかのようです。炎の輪を作り、その中には一歩たりとも男の子達を踏み込ませないのです。男の子達は手下どもはやっつけましたが、この男は一人でも十分に男の子全員と戦えるみたいです。何度もフックに迫るのですが、何度もフックの剣で退けられてしまいます。右腕のフックで男の子を一人血祭りにあげると、その男の子を盾として使います。ちょうどその時、マリンズを叩き切った男の子が戦いに飛びこんできました。
「おまえらは剣をしまえ」飛びこんできた男の子は言いました。「こいつは僕がやる」
 そして突然フックは、ピーターと向かいあうことになりました。他の男の子たちは引き下がり、二人の周りに輪を作ります。
 しばらく二人は互いに見詰め合っていました。フックがわずかに体をふるわせると、ピーターはふてきな笑みをうかべました。
「ああ、パン」フックはついに口を開きました。「全部おまえがやったことなんだな」
「ああ、ジェームズフック」手厳しい答えです。「全部僕がやったんだ」
「小生意気で無礼なこわっぱめ、覚悟しろ」とフックが言えば、「腹ぐろい不吉なやつ、かかってこい」とピーターも負けてはいません。
 それ以上言葉を交わすことなく、二人は戦い始めました。しばらくは二人とも互角です。ピーターはすばらしい剣の使い手で、目にもとまらぬ速さで身をかわします。時折フェイントをかけて、フックの防御をかいくぐる一撃をくりだすのですが、腕が短すぎて効果がなく、剣を深く突きさすことはできません。フックも剣の才能ではピーターに劣ってはいませんが、それほど手先はすばやいというわけではありません。とにかく攻めて、攻めることでピーターを退けています。昔にリオのバーベキューから教わった必殺技でさっさと片付けようとします。ところがフックが驚いたことに、この必殺技が何度もかわされてしまうのでした。そこでフックは距離をつめて、鉄の鉤で最後の一撃を食らわそうとしましたが、これまでのところ空を切るだけでした。ところがピーターは体を曲げて鉤をかわすと、快心の一撃をおみまいし、フックの肋骨へと剣を突きさしました。自分の血をみて、前にも出てきましたけど覚えてらっしゃるでしょうか、その独特の血の色がフックの動揺をさそい、フックは剣を取り落としてしまいました。今やフックの命はピーターの手中です。
「今だ!」男の子たちは声をそろえました。ただピーターは堂々とした態度で、フックに剣を拾わせてやりました。フックはすぐに剣を拾いましたが、ピーターが礼儀正しかったので、くやしかったのです。
 今までフックは、自分と戦っているのは悪魔かなんかだと思っていたのですが、疑念がふつふつと頭をもたげてきました。
「パン、いったい全体おまえは何者なんだ?」フックはかすれた声で聞きました。
「僕は若さであり、喜びだよ」ピーターはでたらめに答えました。「僕は産まれたての小鳥だよ」
 もちろんなんの意味もありゃしません。でもそれこそが、フックにとっては不幸なことに、あることの証明になるのでした。つまりピーターが自分が何者であるか全く知らないことこそが、正しい礼儀の極意なのです。
「もう一度打ち負かしてやる」フックはやけくそになって叫びました。
 フックはまるでさおになったように手を振り回して戦っています。剣の一振り一振りが、邪魔するものはオトナだろうがコドモだろうがまっぷたつといった勢いでした。でもピーターは、まるでフックが剣を振り下ろす時に起こす風で危ない場所から外へと吹き飛ばされるかのように、フックの周りを蝶のように舞うのでした。ピーターは何度も突進し、フックを突き刺しました。
 今やフックは戦ってはいますが、勝つ希望を失っています。情熱的な心も生きることに執着していませんし、ひとつ願い事があるだけでした。自分の体が永遠に冷たくなる前に、ピーターの行儀の悪いところを見たいという願い事です。
 戦うことをあきらめると、フックは火薬庫に駆け込み、火をつけました。
「二分で」フックは叫びました。「船は木っ端微塵だ」
 さあ今だ、フックは思いました。ピーターの本性とやらが見られるぞ。
 でも、ピーターは砲弾を両手に抱えて火薬庫から出てくると、何事もなかったかのように海へほうりなげました。
 フック自身はといえば、どんな本性をあらわにしたのでしょうか? フックに同情するわけではありませんが、進む道を誤りはしましたが、フックが最後には自分の民族の伝統に忠実だったことは喜んでいいことでしょう。ピーター以外の男の子たちはフックの周りを飛びまわりながら、フックのことをあざけり、ののしっています。フックは甲板をよろめきながら歩き、力なくコドモ達にぶつかりました。フックの心はすでにここにはありません。昔に運動場で前かがみに歩いたことや、ずっと校長のかわりをしたことや、あの有名な壁のところから、イートン校の壁を使うサッカーをみたことを思い出していました。彼の靴はピカピカですし、チョッキも身につけ、ネクタイもくつしたもきちんとしていました。
 ジェームズフック、英雄と呼べなくもない男、さらば。
 フックの最後は目前です。
 ピーターが短剣で釣り合いをとりながら、少しづつ空中をフックの方へ近づいてくるのを見て、フックは海へ飛びこむために船のへりへとよじ登りました。フックはワニが待ち構えていることを知りません。というのも、ワニが待ち構えていることを知らせないように、わたしたちはわざとチクタクと音をたてる時計を止めたのです。わたしたちからの最後の敬意のしるしです。
 フックは最後の勝利をひとつ手にしました。最後の勝利ですから、フックをねたむ必要もないでしょう。へりの上にたって、肩越しにピーターが空中を飛んでくるのをみて、フックはピーターに足を使うように身振りで示すと、ピーターは剣で突き刺す代わりに足でけったのでした。
 とうとうフックの願い事はかないました。
「行儀わるいぞ」フックはほくそえむと、ワニの胃袋へと消えて行きました。
 ジェームズフックの最後でした。
「十七人」スライトリーは大声で歌うように言いました。でもスライトリーの数え方は、全然正確ではありません。十五人はその夜に自分の罪を償いましたが、二人は岸まで泳ぎついたのです。スターキーはインディアン達につかまって、赤ん坊の子守りをさせられました。海賊としてはずいぶんな落ちぶれようです。そしてスメーといえば、あの眼鏡をかけ、世界中を放浪し、明日をも知れぬ生活を送っていました。俺こそが、ジェームズフックが恐れた唯一の男だなんていいながら。
 ウェンディはもちろん、戦いには参加しないで立ちすくんでいましたが、ピーターをきらきら輝く目で見ていました。いま全てが終わって、またウェンディの出番がやってきたのです。ウェンディはみんなを公平にほめてやり、マイケルが一人殺した場所を自慢するとうれしさのあまり身震いをしました。そしてウェンディは、フックの船室へみんなを連れて行き、くぎでかかっている時計を指差しました。“一時半!”
 時間が遅いことこそが、一番大事なことのようです。ウェンディは、すぐにピーター以外のみんなを海賊のベッドに寝かしつけました。ピーターはといえば甲板を行ったり来たりしていましたが、いつのまにか艦載砲の脇で眠りに落ちています。ピーターは、その夜にもいつも見る夢の一つを夢に見て、眠りながら声をあげて泣きました。そしてウェンディは、ピーターを固く抱きしめてやりました。

[#2字下げ]十六章 帰宅[#「十六章 帰宅」は中見出し]

 その朝にベルが三回鳴るころには、全員大忙しです。なぜなら船は大海を走っていましたから。甲板長のトゥートルズの姿も見てとれます。ロープの端をつかみ、噛みタバコをくちゃくちゃしています。全員膝までの海賊の服を着用し、スマートな髪型にして、ホンモノの水夫のように体をゆすりズボンを引きずりながら、ひっくり返ったりしています。
 船長がだれかは言うまでもないでしょう。ニブスが一等航海士、ジョンが二等航海士で、女性も一人乗っています。残りはただの水夫で、水夫部屋で寝起きしています。ピーターは、すでに操舵にかかりきりになっていましたが、両手で笛を作ってならし、みんなに短い挨拶をしました。おまえらが勇敢な仲間として、義務を果たしてくれることを望んでるぞとか、おまえらがリオや黄金海岸のくずってことは承知してるがなとか、反抗しようものなら引き裂くぞといったものでした。脅しの効いた甲高い声での言葉は、水夫にはピンとくるものがあり、みんなはピーターを力いっぱい誉めそやすのでした。そしてするどくいくつかの命令が下り、船の向きをかえ、現実の世界へと向かいました。
 船長のパンの計算によれば、船の海図を検討したところ、天候さえよければ六月二十一日にアゾレス諸島に到着し、その後は飛んだほうが時間の節約になるみたいです。
 コドモ達の中には海賊船はやめたいというものもいましたし、海賊船のままがいいというものもいました。でも船長ときたら船員たちをイヌ同様に扱うので、敢えて一人一人でピーターに自分の意見を言うものはいません。絶対服従こそが生き残る方法でした。スライトリーなんか、水深を測れと命令された時に戸惑った表情をうかべただけで十二回も鞭打たれたのですから。みんなが思うにはこうです。ピーターが海賊でないのは今だけウェンディをだますためで、フックのもっとも悪趣味な服をウェンディがいやいやながら作り変えて、新しい服ができたあかつきには、ピーターはさっと海賊へと変わってしまうに違いないと。後になって船員たちの間で噂になったことには、出来上がった服を着た最初の夜、ピーターはフックの葉巻を口にくわえ、片手の親指以外をかたく握り締め、親指をそらして、脅すように鉤みたいに高く上げて、船室に長いこと座っていたらしいじゃありませんか。
 でも船を見守る代わりに、わたしたちの三人の主人公が、ずっと昔に勝手に空を飛んで、飛び出した寂しい家に戻らなければなりません。こんなにずっと十四番地の家を無視してきたなんて恥ずべきことかもしれませんが、ダーリング夫人がわたしたちに文句をいうことはないと思います。もしわたしたちがお母さんに深く同情して急いで帰ろうものなら、こう言った事でしょう「だめじゃないの、私がどうしたっていうの? もどってコドモ達を見ていてちょうだい」お母さんがこんな風だから、コドモ達はそれを利用するのです。コドモ達は、お母さんがそうすることに賭けさえするかもしれません。
 さて、わたしたちはおなじみのコドモ部屋を見てみることとしましょうか。そこにいるべき人たちは、帰路についているわけですし。わたしたちはコドモ達に先回りして、ベッドがちゃんと干してあるか、そしてダーリング夫妻が晩に外出しないかを確かめに、急いでコドモ部屋に向かうのです。わたしたちは、せいぜいが召使といったところでしょうか。一体全体どうしてコドモ達のベッドがちゃんと干してなければいけないんでしょう? 考えてもみてください、コドモ達はあんな恩知らずに急いでコドモ部屋から飛び立ったというのに。コドモ達が帰ってきて、パパとママがその週末は田舎に行っていると知っても、それが至極当然の扱いじゃありませんか? わたしたちがコドモたちと出会って以来、彼らには本当に必要だったいい道徳の教訓になることでしょう。でもわたしたちがこんなことを仕組んだとしたら、ママは決してわたしたちのことを許してはくれないでしょう。
 私がとてもしたいことは、本の作者がよくやるように、ママにコドモ達は帰ってきますよと教えてあげることです。特に来週の木曜日にここに帰ってくるでしょうと教えてあげたいです。ただこうすると、ウェンディとジョンとマイケルが楽しみにしている、みんなを驚かす計画は台無しになってしまうでしょう。コドモ達は、船でそういう計画をたてたのでした。ママの大喜び、パパの喜びの声、ナナの一番最初にコドモに抱きつくための大ジャンプ、ただ本当にコドモ達に用意されてなければならないのは、ムチ打ちの罰なんですが。前もってそのニュースを知らせて、計画を台無しにしたらどんなに楽しいことでしょう。そうすればコドモ達が堂々とドアから入っていっても、ママはウェンディにキスさえしないでしょうし、パパときたら「ちぇ、またコドモらか」なんてがみがみと文句をいうでしょう。でもわたしたちがこんなことをしても感謝もされませんし、ママについては今となれば、どのような人かは分かってきました。きっとママはコドモ達からささやかな喜びを奪ったことで、わたしたちをひどくしかりつけることでしょう。
「でも、奥さん、来週の木曜日までは十日もあります。だからわたしたちが事態がどうなっているかあなたに言えば、十日分不幸せな気持ちを味わわなくてすむわけですよね」
「ええ、大きな犠牲を払ってね! コドモ達から十分の喜びを奪うんですよ」
「まぁ、あなたがそうお考えになるなら!」
「あら、他にどう考えようがあるんです?」
 えぇ、女の人はこういうものです。わたしはママのことをうんと誉めるつもりだったんですが、もう軽蔑しましたから、一言だって誉めるもんですか。そもそもママは、準備するようになんて言われる必要はなかったんです。というのも準備万端でしたから。ベッドはどれも干してありましたし、外出することもなく、ほらごらんなさい、窓も開けてあります。ママのためにわたしたちが出来ることといったら、船に戻ることぐらいみたいです。でも今ここにいるわけですし、とどまって見守ることにしましょう。わたしたちなんて、そんなものです、傍観者なんです。だれにも必要とされていません。なら、見守ってだれかが傷つく皮肉のひとつでもいうことにしましょう。
 コドモ部屋の寝室で唯一目に見えて変わったことといえば、夜の九時から朝の六時までは、イヌ小屋がそこにはないことでした。コドモ達が飛んで行ってしまって、パパはすべて悪いのはナナをつないだ自分で、最初から最後までナナは自分より賢かったということが骨身にしみたのです。もちろん今までみてきたように、パパはとても単純な人です。頭が薄くなっていることを除けば、コドモといっても十分通用するくらいです。でも立派な正義感と自分が正しいと思ったことは貫き通すライオンのような勇気を持っていたので、コドモ達が飛んで行った後、よくよく考えて、四つんばいでイヌ小屋に入ったのでした。どんなにママが出てきて下さいと哀願しても、パパは寂しげなただ断固とした調子でこう答えるのでした。
「だめだ、わしみたいなものにはここで十分なんだ」
 深い後悔の念にかられて、パパはコドモ達が帰ってくるまで、イヌ小屋を離れまいと誓いをたてました。もちろんこれはかわいそうなことです。でもパパは何であれ、やる時はやりすぎなければならないのでした。さもなければ、すぐにあきらめてしまいますから。かつてはあんなに自尊心の高かったジョージ・ダーリング氏ほど、今や謙虚な人はいません。パパは晩になるとイヌ小屋の中にすわって、コドモ達のことやコドモ達のかわいいしぐさのことを妻と話すのでした。
 パパがナナを尊敬していることも、とても心を打ちます。パパはナナをイヌ小屋に入れようとはしません。ただし、その他のことでは全てパパはナナのいうことを信じて疑わないのでした。
 毎朝パパの入ったイヌ小屋は、馬車に乗せられて会社まで運ばれます。そして同じようにして六時には帰宅します。もし以前はどんなに近所の人の噂を気にしていたかを思い出せば、パパの性格の強さのようなものがうかがえると思います。パパの一挙手一投足が今や注目の的でした。心の中では苦しんでいましたが、たとえ若者がイヌ小屋をばかにしても、平気なフリをするのです。そしてイヌ小屋をのぞきこむご婦人には、丁寧に帽子をとって挨拶したものです。
 その態度はドンキホーテみたいだったかもしれませんが、とにかく立派なものでした。すぐにイヌ小屋に入っている理由が知れわたり、みんなは心打たれました。群集が馬車のあとに続き、声高に褒めたたえるのでした。キレイな女の子達がサインを求めて馬車によじ登ってくるありさまです。高級紙にインタビューが掲載され、社交界から夕食のお招きがあり、その招待には「イヌ小屋にはいったままおいで下さい」と付け加えられていました。
 重大なことがおきる来週の木曜日には、ママはコドモ部屋の寝室でパパが帰ってくるのを待っていました。とてもかなしそうな目です。わたしたちがもっとママを近くでみて、昔の陽気な姿を思い出してみると、今や全てが失われていました。それというのも、ママがコドモを失ってしまったからです。わたしには、ママに対してひどいことを言うなんてとてもできません。もしママがあんな悪いコドモ達を可愛がりすぎたからといって、それはどうしようもないことなのです。椅子にすわっているママの姿をみてみましょう。そのまま眠りこんでいます。最初に目がいく口の端は、すでに魅力をなくしてしまっています。ママの手は、まるで胸が痛むかのようにせわしなく胸のあちこちを押さえています。ピーターを一番好きな人もいましょうし、ウェンディが一番好きな人もいるでしょう。でもわたしはママが一番好きです。ママを幸せにするために、眠っている間に耳元でコドモ達が帰ってくるよとささやいたらどうでしょう。実際のところ、コドモ達はあの窓から二マイルと離れてないところにいるのですから。そして力強く空を飛んでいます。わたしたちは単に帰ってくるよとささやけばいいんです。さあそうしましょう。
 わたしたちのしたことは哀れな結果を生みました。というのもママは、コドモ達の名前を呼びながら飛び起きたのに、部屋にはナナしかいませんでしたから。
「あら、ナナ、わたしはコドモ達が帰ってきた夢をみたわ」
 ナナの目も涙でかすんでいましたが、できることと言えば前足をやさしくママの膝の上におくことくらいでした。そして二人が一緒に座りこんでいると、イヌ小屋がもどってきました。パパはイヌ小屋から頭をだしてママにキスすると、わたしたちはパパの顔が昔より老けているのにも気づきました。でも昔よりおだやかな表情です。
 パパがリザに帽子をわたすと、リザは軽蔑したように帽子を手にしました。リザには想像力のかけらもありませんでしたから、パパがどうしてこんな行動をするのか全く理解に苦しみました。家の外では、馬車と共にやってきた群集がまだ騒いでおり、パパももちろん無関心ではいられません。
「彼らの声をきいてごらん、愉快なものだねぇ」とパパがいうと
「ガキばかりですよ」とリザがバカにしたように答えました。
「今日はオトナもちらほらいるよ」パパは少し顔を赤くしてそういいました。ただリザがバカにしたように頭をつんと後にそらしても、パパは一言も彼女をしかりません。社会で成功してもパパは鼻を高くしたりはせず、むしろもっと思いやりのある人になったのでした。時々パパは、頭をイヌ小屋の外に出して座りこむと、ママとこの成功について話し合いました。そしてママが成功でのぼせ上がらないでほしいわと言った時には、パパはママの手を安心させるように握りしめました。
「だがもしわしが弱い男だったら」パパはいいました「ああ、もしわしが弱い男だったらなぁ!」
「でも、あなた」ママはびくびくしながら聞きました。「あなたは今でも後悔してらっしゃるんでしょう?」
「もちろん今でも後悔してるよ、おまえ! 罰をみてくれよ、イヌ小屋に住んでいるんだよ」
「でも罰になっているんでしょうね、ジョージ? もちろん楽しんでなんてないわよね?」
「おまえ!」
 もちろんママは、パパに謝りました。それからパパは眠くなって、イヌ小屋で体を丸くしました。
「コドモ部屋のピアノで、子守唄をなにか弾いてくれないかい?」そしてコドモ部屋に行こうとしたママに、何気なくこう付け加えて言いました。「窓を閉めてくれないか、風が冷たいんだよ」
「まあジョージ、それだけは言わないで下さいな。あの窓はコドモ達のためにいつも開けておかなきゃいけないんです。いつも、いつも」
 さて今度はパパが、ママに謝る番です。コドモ部屋に入ってママがピアノをひくと、すぐにパパは寝てしまいました。そしてパパが寝ている間に、ウェンディとジョンとマイケルが部屋に飛びこんできたのでした。
 あらまあ、わたしは筆を滑らせてしまいました。なぜならそれが、わたしたちが船を離れた時の三人の素晴らしい計画だったからです。でもあれからなにかがあったに違いありません。というのは飛びこんできたのは三人ではなく、ピーターとティンカーベルだったからです。
 ピーターの最初の言葉で事情がわかりました。
「急いで、ティンク」ピーターはささやきました。「窓をしめるんだ、かんぬきもするんだよ! それでいい。さて君と僕はドアから逃げなきゃね。ウェンディが来た時には、お母さんが締め出したと思うだろうね。それで僕と一緒に島にかえるんだ」
 さあ、これでわたしが不思議に思っていたことがわかりました。ピーターが海賊をやっつけた時、ピーターは島にもどって、ティンクだけを現実の世界への案内役として残していかなかった理由がわかりました。ずっとこんないたずらを企んでいたのです。
 ピーターは悪いことをしたなんて思う代わりに、喜びのあまり小躍りしました。そしてピーターは、コドモ部屋でだれがピアノをひいてるのかのぞいて、ティンクにささやきました。「ウェンディのお母さんだ! キレイな人だねぇ。まあ僕のお母さんほどじゃないけど。口元はゆびぬきでいっぱい。それも僕のお母さんほどじゃないけどね」
 もちろんピーターは、自分のお母さんのことなんてなにも知りやしないのですが、時々ティンクに自慢してみせるのでした。
 ピーターはその曲を知りませんでしたが、「ホーム、スイートホーム」です。ただピーターにもその曲が「帰っておいで、ウェンディ、ウェンディ、ウェンディ」と語りかけている事は分かりました。そしてピーターは、思わず勝ち誇ったようにさけびました。「もう二度とウェンディには会えないよ、なんてったって、窓は閉まってるからね!」
 ピーターは、どうして音楽が止まったのかふたたび部屋をのぞきこみました。そしてママはピアノに頭をもたせかけ、目には二粒の涙が浮かんでいました。
「彼女は、僕に窓を開けて欲しいんだろうな」とピーターは思いました。「でも開けるもんか、絶対に僕は開けないぞ!」
 またピーターは部屋をのぞきこみました。涙はまだ目に浮かんでいましたが、あるいはべつの二粒が取って代わったのでしょうか。
「彼女は、とってもウェンディのことが好きなんだ」ピーターはひとりごとを言いました。ピーターは、ママがどうしてウェンディがいなくなったのかがわかっていないことに腹をたてました。
 理由はカンタンです。「僕もウェンディを大好きだからだよ。ウェンディは二人のものにはなれないし、ねぇご婦人」
 しかしそのご婦人は、この状況をなんとかしようとはしないのでした。そしてピーターは、自分が悪いことをしている気持ちになりました。ピーターはママを見るのをやめましたが、ママはピーターを行かせてはくれません。ピーターはあたりをスキップして、おかしな顔を作ってみたりしました。ただそうするのをやめてみると、まるでママがピーターの心の中にいて、ノックをしているみたいでした。
「わかりましたよ」とうとうピーターはそういうと、涙をこらえました。それからピーターは窓をあけて、「おいで、ティンク」というと、自然の摂理を思いっきりばかにして「ばかばかしいお母さんなんているもんか」と叫んで、飛んで行ってしまいました。
 そうして結局ウェンディとジョンとマイケルは、窓が開いているのを見つけました。窓が開いているなんて、もちろんこんなコドモ達にとっては分不相応なことです。コドモ達は、全然悪いことをして恥ずかしいなんて思わずに床に降りたつと、一番小さい子に至っては家をわすれている始末です。
「ジョン」マイケルは、あたりを自信なさそうにみまわしながら言いました。「僕は前にもここに来たことがあるような気がするよ」
「当たり前だよ、ばーか、あれはおまえのベッドだよ」
「そうだね」なんていいながら、マイケルはまだふにおちない様子です。
「ほら、イヌ小屋だ!」ジョンは叫ぶと走って行って、中をのぞきこみました。
「たぶんナナがいるわよ」ウェンディが言いましたが、ジョンは口笛を吹いて言いました。「ひゅー、中には男の人だ」
「パパだわ!」ウェンディは興奮して叫びました。
「パパをみせて」マイケルは熱心に頼んで、よーく見ました。「パパは、僕がやっつけた海賊ほどは大きくないね」とてもがっかりした調子でいったので、わたしとしてはパパが眠っていてほっとしたぐらいです。もしこれがパパの聞くおちびのマイケルが言った最初の言葉だとしたら、どんなに悲しいことでしょう。
 ウェンディとジョンは、パパがイヌ小屋にいるなんて少しあっけにとられました。
「たしか」ジョンは記憶があいまいになった人みたいに言いました。「パパってイヌ小屋で寝てなかったよね?」
「ジョン」ウェンディもくちごもりました。「たぶんわたしたちは自分たちで思ってるほど、昔のことをよく覚えてないのよ」
 二人はぞっとしましたが、これこそ当然のむくいです。
「お母さんはうかつだな、ぼくらが帰ってきたのにいないなんて」この小悪党のジョンは言いました。
 その時ママのピアノの音が再び始まりました。
「ママだ!」ウェンディがのぞきこみながらさけぶと「そうだよ!」とジョンも言いました。
「じゃあウェンディは、ぼくらのホントのママじゃないの、ねぇ?」とマイケルは眠そうに言いました。
「あらまぁ!」ウェンディは、この時初めて心底から後悔の念にかられてさけびました。「ちょうど帰りどきだったんだわ」
「そーっとしのびこんで、ママの目をだーれだってかくすのはどう?」ジョンはそう言いだしましたが、ウェンディはうれしいニュースはもっとおだやかに知らせなきゃいけないことを知っていたので、よりいい案をだしました。
「ベッドにもぐりこみましょう、そしてママが入ってきてもそのままにしてるのよ。まるでずっとどこにも行かなかったように」
 そしてパパがねているか確かめにママがコドモの寝室に戻ってきた時も、ベッドは全て一杯でした。コドモ達は、ママが喜びの声をあげるのを今かと待ちました、でも声はあがりません。ママは、コドモ達をみましたが、本当にそこにいるとは信じられなかったのでした。まぁ、ママは夢で何回もコドモ達がベッドにいるところを見たので、これもまた夢の中のことだと思っていたのです。
 ママは、暖炉の側の椅子に腰をおろしました。昔はそこでコドモ達をあやしたものでした。
 コドモ達にはそんなことはわかりません。三人ともぞっとしました。
「ママ!」ウェンディが声をあげました。
「あらウェンディだわ」ママは、まだ夢かどうかはっきりしないように言いました。
「ママ!」
「あら、ジョンだわ」ママは言いました。
「ママ!」マイケルが言いました。今はもうマイケルもママのことがわかります。
「マイケルじゃないの」ママは言いました。そして両腕をのばしました。三人の身勝手なコドモ達を再び抱けるなんて思いもせずに。大丈夫です、腕の中に抱くことができました。ウェンディとジョンとマイケルを抱くことができたのです。三人はベッドから抜け出し、ママのところまで走ってきました。
「ジョージ、ジョージったら!」口がきけるようになると、ママは大きな声をだしました。パパも目をさまし、喜びをわかちあいます。ナナも駆けこんできます。これほどすばらしい光景があったでしょうか。ただその光景を見ているのは、窓の外からじっと眺めている小さな少年一人きりでした。少年は、他のコドモ達には決して経験できないような多くの楽しい思いもしてきましたが、たった一つのその喜びについては、窓の外から眺めていることしかできません。きっとその喜びからは、永遠に締め出されているのでしょう。

[#2字下げ]十七章 オトナになったウェンディ[#「十七章 オトナになったウェンディ」は中見出し]

 他の男の子達は、どうなっているか知りたいでしょう。ウェンディが、両親に男の子達のことを説明するまで、彼らは下で待っていました。そして五百まで数えた時、登って行きました。階段を使って登って行きました。その方が印象がいいと思ったのです。男の子達は、ママの前に帽子を脱いで、海賊の服を着てなかったらなぁと思いながら、一列になって立ちました。なにも言いませんでしたが、目は僕らもこの家のコドモにしてくださいと訴えかけていました。男の子達はパパの方も見なければならなかったのですが、パパのことはすっかり忘れてしまっていたのでした。
 もちろんママはすぐに、みんなこの家のコドモにしますといったのですが、パパは不思議なくらいに落ち込んでいるので、男の子達はパパが六人は多すぎるなんて思ってるんじゃないかと考えました。
「言っておかないとな」パパはウェンディに言いました。「おまえは物事をちょうどいい半分くらいの所で切り上げられないんだな」いやいやながらの意見で、半分なんていうので、双子は自分たちのことを指してるのだと思いました。
 双子の兄はプライドが高かったので、頬を赤くして聞きました「ぼくらが多すぎると思ってらっしゃるのですか? もしそうなら、帰ってもいいですよ」
「パパったら!」ウェンディは、ショックをうけて叫びました。ところがパパの心はまだ曇っています。父親らしくはないとは思いましたが、どうしようもありません。
「ぼくらは、みんな一緒の部屋で寝れますよ」ニブスは叫びました。
「みんなの散髪もできるわ」ウェンディが言いました。
「ジョージったら!」ママは夫が乗り気ではないようなので、心を痛めて叫びました。
 それからパパは泣き出してしまいました。本当のことがわかりました。パパもママと同じように男の子たちをコドモにすることはうれしかったのですが、パパが言うには男の子達はママに許しを得るだけではなく、パパの家にもかかわらずパパをいないみたいに扱うのではなくて、パパにも許しを得るべきだということでした。
「ぼくは、パパがいないみたいなんて思わないな」トゥートルズはすぐにいいました。「君はどう思う、カーリー?」
「僕もそうは思わないけど、どうだい、スライトリー?」
「全く思わない。どうかな、双子?」
 だれもパパのことをいないみたい、なんて思ってないことが分かりました。そしてパパはこっけいなほど喜び勇んで、客間にみんなが入れるだけの場所があるかどうか見てみようといいだしました。
「大丈夫だと思います」男の子たちもうけあいました。
「わしにつづけ」パパは陽気にさけびました。「いいか、客間があるかないかわからんが、あるフリをすればいいや。同じことだ、そら」
 パパは踊りながら家中を歩き回りました。そして男の子達も「そら!」と叫んで、パパのあとに踊りながら続きました。みんな客間をさがしました。わたしはみんながそれを見つけたどうかは忘れてしまいましたが、とにかくみんなはすみっこを見つけて、家に住みこんだのでした。
 ピーターはといえば、飛んで行ってしまう前にウェンディをもう一度見ました。ピーターは、窓のところまで来たわけではありません。ただピーターは、ウェンディがそうしたければ窓を開けて呼びとめると思ったので、帰りがけに窓をかすめるようにしたのでした。ウェンディは窓を開けて、ピーターを呼びとめました。
「やあ、ウェンディ、さようなら」ピーターは言いました。
「ええっと、行っちゃうの?」
「ああ」
「ピーター、とってもいいことをわたしのパパとママに話してくれない?」ウェンディはためらいながら言いました。
「いいや」
「わたしのことは、ピーター?」
「いいや」
 ママは窓のところにやってきました。今ではママは、ウェンディのことを注意深く見守っています。ママはピーターに他のみんなも養子にするし、ピーターのことも養子にしたいわと言いました。
「僕を学校にやるんですよね?」ピーターは抜け目なく聞きました。
「えぇ」
「しまいには会社にも」
「そうでしょうね」
「すぐにオトナになる?」
「えぇ、すぐにね」
「学校に行って、かしこまって勉強なんかしたくないね」ピーターははげしい口調で言いました。「オトナになんてなりたくない。ウェンディのお母さん、もし僕が朝起きて、ヒゲがあったりしたら!」
「ピーター」ウェンディは慰めるようにいいました「ヒゲのあなたも好きよ」。そしてママは、両手をピーターの方に伸ばしましたが、ピーターは拒否しました。
「さがって、だれもぼくをつかまえて、オトナになんてできないんだ」
「どこで暮らしていくの?」
「ティンクと、ウェンディのために作った家で暮らすよ。妖精たちが夜に自分達が寝る木のてっぺんに、あの家を持ち上げてくれるんだ」
「ステキ」ウェンディがあこがれるように言ったので、ママはウェンディをしっかりつかみました。
「妖精なんてみんな死んじゃったのかと思ったわ」ママは言いました。
「若い妖精もたくさんいるのよ」ウェンディが、すでにその道の権威ですから説明します。「どうしてかっていうと、一人のあかんぼうがはじめて笑うと、妖精が一人生まれるの。いつも新しいあかんぼうが生まれるから、いつも新しい妖精がいるってわけ。妖精は木のてっぺんの巣に住んでいて、薄い青色なのが男の子で、白いのは女の子。それで青い色の子はどっちかわからないおばかさんなの」
「楽しいだろうなぁ」ピーターがウェンディの方を見ながらそう言うと、「夜、暖炉の側に座ると、とてもさびしいと思うわ」とウェンディは答えました。
「ティンクがいるよ」
「ティンクなんてこれっぽちも役にたちゃしないわ」ウェンディは少し痛烈に言ってやりました。
「ずるいわ、告げ口なんかして!」ティンクはどこかすみの方から怒鳴りました。
「かまわないさ」ピーターはそう言いました。
「ピーター、だめよ」
「じゃあ、君が僕と一緒にあの小さな家に来てくれなきゃ」
「ねぇママ?」
「ダメです。やっと帰ってきたんですから行かせるものですか」
「でもピーターにもお母さんは必要なの」
「あなたにもでしょ、かわいい子」
「ああ、かまわないよ」ピーターは、まるで単に礼儀上ウェンディを誘ったとでもいわんばかりに言いました。でもママは、ピーターのくちびるがひきつっているのを見ましたし、ステキな提案をしました。毎年春になったら、大掃除にウェンディは一週間だけピーターと一緒に行ってよろしいと。ウェンディはもっと長くがよかったのですが、そして春なんてまだまだ来ないような気さえしました。でもこの約束をするとピーターは再び陽気になりました。ピーターには時間の感覚はありませんし、冒険はあふれるほどたくさんありましたから。わたしがお話した冒険は、ほんの一部にすぎないのです。ウェンディもそのことを知っていたせいでしょう。ピーターへの最後の言葉もかなり悲しげなものでした。
「私のことを春の大掃除が来る前にわすれないでね、ピーター、おねがい」
 もちろんピーターは約束して、飛んで行ってしまいました。ママはピーターにキスをしました。他のだれにもしたことのなかったキスを。ピーターったらいともカンタンにしてもらったのでした。おかしなことです。でもママはとっても満足みたいです。
 もちろんコドモ達は、みんな学校に行きました。ほとんどの子は三級に入りましたが、スライトリーは最初は四級に、次に五級にまわされました。もちろん一級が一番いいんです。コドモ達は、一週間も学校に行かないうちに、島に残らなかったのはなんてマヌケだったんだと思いましたが、もう遅すぎます。そしてすぐに腰を落ち着けて、あなたや私、そしてジェンキンズさんの息子みたいな普通の子になりました。飛ぶ力もだんだん失ってしまったことを言わなければならないのは、つらいことです。最初は、夜に飛んでいってしまわないように、ナナが足をベッドの柱にくくったものでした。コドモ達の昼間の楽しみの一つといえば、二階建てのバスから落っこちるフリをすることでしたが、だんだんベッドの足かせも引っ張らなくなりましたし、バスの二階から飛び降りると怪我をすることがわかりました。そのうち、帽子を追っかけて飛ぶことさえできなくなりました。口では練習不足だなんて言っていましたが、本当はもう信じることをやめたせいなのです。
 マイケルは他の男の子たちより長い間信じていて、ずいぶんからかわれたものでした。だからピーターが最初の年の終わりにウェンディを迎えに来た時、マイケルはウェンディの味方でした。ウェンディはネバーランドの葉っぱと小果実で昔につくった上着をきて、ピーターと一緒に飛んで行きました。ウェンディのたったひとつの心配は、ピーターが上着が短くなった事に気づきやしないかということでした。でも気づくはずもありません、ピーターったら自分のことを話すので大忙しですから。
 ウェンディは、ピーターと昔のスリルのあったお話をするのを楽しみにしていました。でも新しい冒険が、ピーターの心から古い冒険をすっかり押し出してしまったのでした。
「フック船長ってだれ?」ウェンディが、ピーターの宿敵のことを話したとき、ピーターは興味深そうに聞きました。
「覚えてないの?」ウェンディはビックリして聞き返しました。「あなたがフックをやっつけて、わたしたちみんなを救い出してくれたじゃないの?」
「やっつけちゃったやつらのことなんて覚えてないよ」ピーターは興味なさそうに言いました。
 ウェンディは、ティンカーベルが私に会ってうれしがるかしら? とあんまり期待しないできくと、ピーターは「ティンカーベルってだれ?」と聞くのでした。
「あら、ピーター」ウェンディはショックをうけました。でもウェンディが説明しても、ピーターは思い出せません。
「妖精なんてたくさんいるからね、」ピーターは言いました。「たぶん彼女はもういないと思うな」
 わたしもピーターが正しいと思います。妖精の命は長くありません。体が小さいので、短い時間でも妖精にとっては十分なんでしょう。
 ウェンディは、過ぎ去った一年もの時間がピーターにとってはほんの昨日のことに過ぎないのがわかって、とても残念に思いました。待っている身のウェンディにとっては、とても長い一年でしたから。でもピーターは以前と同じくらい魅力的でしたし、二人は、木のてっぺんの小さな家でステキな春の大掃除をしたのでした。
 次の年ピーターは、ウェンディを迎えにきませんでした。ウェンディは新しい上着をきて待っていたんですが。古い上着は着ようったって着れませんでした。だけどピーターは来ませんでした。
「きっと病気なんだよ」マイケルは言いました。
「ピーターは病気になんてならないって知ってるくせに」
 マイケルはウェンディの側に近づくと、恐ろしさのあまり震えながらこうささやきました。「たぶんピーターなんてそもそもいないんだよ、ウェンディ!」もしマイケルが泣き出していなかったら、ウェンディが泣いていたことでしょう。
 ピーターは次の春の大掃除には来ました。そして奇妙なことにピーターは、一年飛ばしたことは気づいていないのです。
 それが少女のウェンディが、ピーターを見た最後でした。もうしばらく、ウェンディはピーターのために成長しないようにしてみました。ウェンディは優等賞をもらったときにピーターに後ろめたい気がしました。でも年月はすぎていき、あの気ままな少年は来ることはありません。二人が再び会ったときには、ウェンディは結婚していました。ピーターなんてウェンディにとっては、取って置いたおもちゃ箱の小さなほこりみたいなものでした。ウェンディは成長したのです。ウェンディのことをかわいそうに思う必要はありません。もともとは成長したいのですから。しまいには、他の女の子より一足先に自分の意思で成長したぐらいでした。
 男の子達もこの時までにはみんな成長して、すっかりダメになりました。ですから、男の子達についてこれ以上何をいってもむだですが、まあ、みてみましょう。双子とニブスとカーリーは毎日、めいめい小さなかばんと傘をもって、会社に出かけて行きます。マイケルは機関手になり、スライトリーは名家の女性と結婚して、いまや貴族です。かつらをつけた裁判官が鉄の扉から出てきました。かつてのトゥートルズです。自分のコドモにはお話のひとつもできないひげの男、それがジョンでした。
 ウェンディは、白いウェディングドレスでピンクのかざりをつけて結婚式をあげました。ピーターが教会におりてきて、結婚に異議ありといわなかったなんて奇妙なことです。
 再び年月は過ぎ、ウェンディには娘が一人生まれました。こういうことはインクではなく、金色で派手に書かなければいけません。
 娘はジェーンという名前で、いつも何かたずねたそうな顔つきでした。まるでこの世界に生まれてきた時から、質問したがっているみたいでした。質問できるほど大きくなった時、質問のほとんどはピーターパンについてでした。ジェーンはピーターのことを聞くのが大好きで、ウェンディはよく知っているフライトが始まったあの子供部屋で、思い出せる限りのことをジェーンに話してやりました。あのコドモ部屋は、今はジェーンのコドモ部屋でした。ジェーンのお父さんは、三%の金利でお金をかりて、パパから家を買ったのです。パパは、階段がつらくなったのでした。ママは、もうとうに死んでしまって、みんなの記憶にありません。
 コドモ部屋には、今は二つしかベッドはありません。ジェーンと乳母の二つです。イヌ小屋もありません。ナナも死んでしまいました。ナナは長生きで、死ぬ間際にはとても扱いが難しくなっていました。自分しかコドモの世話はできないと固く信じていたのです。
 週に一回ジェーンの乳母は晩に休みをとりましたので、その時ジェーンを寝かしつけるのはウェンディの役目で、その晩にお話をするのでした。ジェーンの発明したことですが、シーツをママと自分の頭からかぶせてテントを作って、真っ暗な中でささやくのです。
「何が見える?」
「今夜はなにも見えないわ」ウェンディはもしナナがここにいたら、お話をこれ以上やめさせただろうなと思いながら、言いました。
「そうね、ママにはね」ジェーンは言いました。「小さな女の子の時は見えたでしょうね」
「ずっと昔のことよ、かわいい子」ウェンディは言いました。「あらあら、時は飛ぶように過ぎ去ってしまうものね!」
「ママがコドモのとき飛んだみたいに、時も飛ぶの?」このしっかりした子は尋ねました。
「わたしが飛んだみたいに? そうねぇ、ジェーン、本当に自分が飛んだのかどうか不思議に思うことはあるわねぇ」
「飛んだんでしょ」
「飛べたのはなつかしい日々ねぇ!」
「どうして今は飛べないの、ママ?」
「それはね、オトナになったからよ。オトナになるとやり方を忘れるのよ」
「どうして忘れるの?」
「オトナは、陽気でむじゃきで残酷ではいられないからよ。飛べるのは、陽気でむじゃきで残酷なコドモだけなの」
「陽気でむじゃきで残酷って何? わたしも陽気でむじゃきで残酷ならいいのに」
 もしくは、ウェンディが何かが見えるわと言う時もあります。
「私には、コドモ部屋が見えるわ」ウェンディは言いました。
「わたしも」ジェーンも言いました。「続けて」
 二人は、ピーターが自分の影をさがして飛びこんできた夜の大冒険に足を踏み入れるのでした。
「頭わるいわね、影をせっけんでくっつけようとするなんて。できなくて、泣いてたのよ。それで私が起きて、その男の子のために縫い合わせてあげたわけ」ウェンディは言いました。
「ちょっとぬかした」ジェーンが口をはさみました。今ではママよりそのお話をよく知っているのです。「床に座って泣いている男の子を見たとき、なんて言ったんだっけ?」
「ベッドに座りなおして。“どうして泣いてるの?”って言ったわね」
「そうそう、それよ」ジェーンは大きく息をして言いました。
「それで男の子は、わたしたちをネバーランドまで飛んでつれて行ってくれたの。そこには妖精や海賊やインディアンや人魚のラグーン、地下の家とあの小さな家があるのよ」
「そう! ママはどれが一番すき?」
「地下の家かしらねぇ」
「わたしも。ピーターはママに最後になんていったの?」
「ピーターは最後に“ずっとぼくのことを待っててね、そうすれば僕が時の声をあげるのが聞こえる夜があるよ”って言ったわね」
「そう」
「でも、あらまぁ、ピーターは私のことはすっかり忘れちゃって」ウェンディは微笑みながらそう言いました。すっかりオトナになっていたのでした。
「ピーターの時の声ってどんなの?」ジェーンはある晩にたずねました。
「こんな感じかしらね」ウェンディはピーターの時の声を真似しようとしながらさけびました。
「違うわ」ジェーンは自信ありげに言うと「こうよ」そしてママよりよっぽど上手く時の声を真似しました。
 ウェンディは少しびっくりしました。「どうやってわかったの?」
「眠りにつくときによく聞くもの」ジェーンは言いました。
「そうね、多くの女の子は眠る時に聞くものよ。起きてて聞いたのは私一人なの」
「運がいいわ」ジェーンは言いました。
 そしてある夜悲劇がやってきたのです。その年の春に、ちょうどお話をしていた夜でした。ジェーンはベッドで寝ていて、ウェンディは床に座りこんでいて、つくろいものをするために暖炉のすぐ側にいました。コドモ部屋には、ほかに明かりらしい明かりもありませんでしたから。座りこんでつくろいものをしていると、時の声を聞きました。すると窓が昔みたいに風で開いて、ピーターが床に降り立ったのでした。
 ピーターは昔と全く同じでした。ウェンディは、すぐにピーターの歯が生え変わってないことを見てとりました。
 ピーターは小さなコドモで、ウェンディはオトナでした。ウェンディは暖炉の側に身を寄せて、動くこともできずに、どうすることもできない、ピーターに対してやましい気持ちで一杯でした。なんといってもオトナですから。
「やあ、ウェンディ」ピーターは、ウェンディの違いは全く目に入らないとでもいうように声をかけました。ピーターは自分のことしか考えてませんから、うすぐらい明かりの中で、ウェンディの白いドレスはピーターがはじめてウェンディを見た時のねまきに見えたにちがいありません。
「こんにちわ、ピーター」ウェンディはできるかぎり身を縮めて、自信がなさそうに答えました。ウェンディの心の中にあるなにかが、こう叫んでいました。“オトナ、オトナの女の人は私から出て行って”
「やあ、ジョンはどこだい?」ピーターは、突然三つ目のベッドがないことに気づいて言いました。
「ジョンはもうここにはいないのよ」ウェンディははっと息を呑みました。
「マイケルが寝てるのかい?」ピーターは何気なくジェーンの方を見ながら尋ねました。
「そうね」ウェンディは答えましたが、ピーターと同じくらいジェーンに対しても後ろめたく感じました。
「マイケルじゃないの」まるで天罰が下らないようにといった感じで、ウェンディは早口でつけ加えました。
 ピーターは目をやりました。「ふーん、新しい子?」
「そうよ」
「男の子、女の子?」
「女の子よ」
 さてようやくピーターには分かったでしょうか、いや全然分かってないみたいです。
「ピーター」ウェンディはためらいがちに言いました。「わたしに一緒に飛んで行って欲しいの?」
「もちろん、そのために来たんじゃないか」少しきつい調子でつけくわえると「今が春の大掃除の時期ってことを忘れたのかい?」
 ウェンディには、ピーターが何回も春を抜かしたのよっていっても無駄なことはわかっていました。
「行けないわ」ウェンディはもうしわけなさそうに言いました「どうやって飛ぶか忘れちゃったの」
「またすぐに教えるよ」
「ピーター、妖精の粉をかけても無駄よ」
 ウェンディが立ちあがると、とうとうピーターは恐怖に襲われました「どうしたんだい?」。ピーターは後ずさりしながら叫びました。
「明かりをつけるわ」ウェンディは言いました。「自分でみればいいわ」
 わたしが知る限りでは、ピーターが一生のうちで恐いなんて感じたのはこの時だけだと思います。「明かりをつけないで」ピーターは叫びました。
 ウェンディは、悲しみに打ちひしがれたピーターの髪をなでてやりました。ウェンディは、もうピーターのことで深く傷つくような小さなコドモではなかったのです。ウェンディは、全てを笑顔で見守るオトナなのです。でも笑っている目は、涙でぬれていました。
 それからウェンディが明かりをつけると、ピーターは見ました。ピーターは悲しみの声をあげ、そして背の高い美しい女の人がかがみこんで、自分の両腕にピーターを抱き上げようとすると、すばやく後ずさりしました。
「どうしたんだい?」と再び叫びました。
 ウェンディは、ピーターに言わなければなりません。
「わたしは年をとったの、ピーター。わたしはもうとっくに二十歳はこえたの。ずっと前にオトナになったの」
「オトナにならないって約束したのに!」
「しょうがなかったの。わたしは結婚してるのよ、ピーター」
「ちがう、結婚してない」
「してるの、それでベッドの小さいコドモはわたしのあかんぼうなの」
「ちがう、ちがうよ」
 でもピーターはそうなんだろうなぁと思いました。そこでピーターは眠っているコドモに短剣をぬいて、一歩近づきました。もちろん切りつけはしませんが、そのかわりにすわりこんですすり泣きました。ウェンディはどうやってなぐさめたらいいか見当もつきません。昔はあんなにカンタンにできたというのに。今はもうオトナの女の人なのでした。ウェンディは、考えをまとめるために部屋から出て行ってしまいました。
 ピーターは泣きつづけました。そして泣き声がジェーンを起こすと、ジェーンはベッドに座りなおして、すぐに興味をもちました。
「あなた」ジェーンは言いました。「どうして泣いているの?」
 ピーターは立ちあがると一礼しました。そしてジェーンもピーターに向かって返礼しました。
「こんにちわ」ピーターは言いました。
「こんにちわ」ジェーンも言いました。
「僕の名前はピーターパンです」ピーターはジェーンに言いました。
「知ってるわ」
「お母さんに一緒にネバーランドに来てもらうためにきたんだけど」
「知ってるわ」ジェーンは答えました。「わたしもずっとあなたを待っていたんですもの」
 ウェンディが自信なさそうに部屋に戻ってきた時、ピーターが、ベッドの柱にこしかけて得意げに時の声をあげていました。一方ジェーンはといえば、ねまきをきたままうっとりとして部屋を飛びまわっていました。
「彼女が僕のお母さんだ」ピーターは説明しました。ジェーンは降りてきて、ピーターの側に立ちました。ジェーンの顔には、ピーターが女の人が自分を見るときはそうあって欲しいという表情が浮かんでいました。
「ピーターには、とってもお母さんが必要なの」ジェーンは言いました。
「わかるわ」ウェンディはとてもさびしそうに認めました。「わたしには十分にわかっているわ」
「さようなら」ピーターはウェンディにそういうと、飛び立ちました。そして恥ずかしげもなくジェーンがそれに続きました。彼女にとっては、すでに飛ぶことがもっとも手軽でした。
 ウェンディは窓のところにかけよります。
「だめよ、だめ」ウェンディはさけびました。
「春の大掃除の間だけ」ジェーンは叫びました。「ピーターは、わたしにいつも春の大掃除をしてもらいたがっているの」
「一緒にいけたらねぇ」ウェンディはため息をつきましたが、「飛べないんでしょ」とジェーンは答えました。
 もちろんやり取りの後、ウェンディは一緒に飛んで行くことを許しました。わたしたちが最後にみるウェンディの姿は、窓べにいる姿でした。ウェンディは、二人が星と同じくらい小さくなるまで空へ遠ざかって行くのを見ていました。
 ウェンディを見ると、髪に白いものが混じっているのが目に入るかもしれません。そして姿は再び小さくなっています。全ては昔々に起こったことですから。ジェーンは、今はふつうのオトナで、マーガレットと言う名前の娘がいます。そして春の大掃除の時期にはいつも、ピーターが忘れなければ、マーガレットをネバーランドにつれて行くためにやってきます。ネバーランドで彼女にしてもらう話は、ピーターのことばっかりです。なんといってもピーターが一番聞きたいのは、ピーター自身の話でしたから。マーガレットがオトナになれば、娘ができて、順番でピーターのお母さんになるでしょう。それはいつまでも続いて行くことでしょう。コドモ達が陽気でむじゃきで残酷であるかぎり。

[#本文終わり]
原文
 Peter Pan and Wendy (1911)
翻訳者
 Katokt
ライセンス
 プロジェクト杉田玄白正式参加
公開日
 2000年
最終修正日
 2012年7月6日
URL
 Egoistic Romanticist: http://www1.bbiq.jp/kareha/

 (C) 2000 katokt
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